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名古屋高等裁判所 平成4年(う)231号 判決

本籍《省略》

住居《省略》

会社役員 戸塚宏

昭和一五年九月六日生

〈ほか五名〉

右戸塚宏に対する傷害致死、監禁致死、監禁致傷、監禁、傷害、暴行被告事件、A、Bに対する各傷害致死、監禁致死、監禁致傷、監禁、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反、暴行被告事件、Cに対する傷害致死、監禁致死、監禁致傷、監禁、傷害、暴行、強要被告事件、Dに対する傷害致死、監禁致傷、監禁、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件、Fに対する傷害致死、監禁致死、監禁致傷、監禁、傷害、暴行、強要被告事件について、平成四年七月二七日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官、右被告人六名及びその原審弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官亀井冨士雄、同江幡豊秋出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決中、被告人戸塚宏、被告人A、被告人C、被告人B、被告人Dに関する部分、被告人Fに関する有罪部分を破棄する。

被告人戸塚宏を懲役六年に、被告人Aを懲役三年六月に、被告人Cを懲役三年に、被告人B及び被告人Fを懲役二年六月に、被告人Dを懲役二年に、それぞれ処する。

原審における未決勾留日数中、被告人戸塚宏、被告人A、被告人B及び被告人Fに対し七〇〇日を、被告人Cに対し六〇〇日を、被告人Dに対し五〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

この裁判確定の日から、被告人Fに対し四年間、被告人Dに対し三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、別紙目録記載のとおり被告人らの負担とする。

理由

検察官の控訴趣意は、名古屋高等検察庁検察官加藤元章が提出した名古屋地方検察庁検察官山岡靖典作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人青木俊二、同伊神喜弘、同関口悟、同成田龍一、同服部優、同細井土夫、同山本秀師が連名で作成した答弁書に記載のとおりであり、弁護人の控訴趣意は、右弁護人七名が連名で作成した控訴趣意書、弁護人の控訴趣意書正誤表、控訴趣意書の補足に記載のとおりであり、これらに対する答弁は、名古屋高等検察庁検察官寺西賢二、同中島義則が連名で作成した答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の所論は、Mに対する傷害致死事件、Uに対する傷害致死事件について事実誤認と被告人戸塚宏ら六名に対する量刑不当の主張であるが、弁護人の所論は、右の両事件を含む多数の事件についての多岐にわたる主張なので、弁護人の所論中各事件で共通する事項について先に判断し、次に個別の事件について順次検討判断する。なお、事件の表示は原判決書の目次の表示に従い、原審で取り調べた証拠を引用するときは、原判決書の表記方法に従い、当審で取り調べた証拠については当審である旨を付加し、原判決書と同様な表記方法をし(例えば、当審甲1とは、当審の検察官請求に係る証拠等関係カード甲番号1の証拠を意味し、当審弁1とは、当審の弁護人請求に係る書証の証拠等関係カード番号1の証拠を意味する。)、証拠が謄本又は抄本であるときはその表示を省略し、被告人の呼称は氏のみ記載し、原判決書を引用するときは原判決書である旨の断り書を原則として省略し、特に必要のない限り行数も省略し、頁数のみ記載する。

第一共通する事項について

一  捜査方法と被告人らの取調べ状況について

弁護人の所論は、警察官及び検察官は、被告人戸塚ら六名のほか、原審相被告人H(以下「H」という。)らのコーチを不当に長期間にわたり逮捕勾留し、愛知県内の多数の警察署に分散留置して分断孤立化を図り、弁護人との接見を妨害し、戸塚ヨットスクール株式会社(以下「戸塚ヨットスクール」という。)の校長である被告人戸塚や他のコーチらの不信をあおり、過酷な取調べをした、という。すなわち、暴走族事件は決して重大な事件とはいえず、任意捜査で十分捜査できるのに、捜査官は、昭和五八年五月二六日(以下、「昭和」を消略し、この項では「五八年」も省略する。年度の記載のないときは昭和五八年のことである。)コーチの被告人A、同C、同B、同F、同D、E(以下「E」という。)を同事件で逮捕勾留し、被告人らの分断弧立化を図るため愛知県内の多数の警察署に分散留置し、その後U事件で被告人戸塚を逮捕し、被告人Aらを再逮捕し、多数の警察署に分散留置し、弁護人らとの接見を妨害した。そして、捜査官は、事件発生後二年半以上も経過し、捜査も完了し関係人を逮捕勾留する必要もないM事件で被告人戸塚らを逮捕勾留し、戸塚ヨットスクールを潰すため、残って特別合宿を続けていたコーチのH、I(以下「I」という。)を八月八日に、コーチG(以下「G」という。)を九月二六日に逮捕し、異なる警察署に分散留置した、そして被告人Aらの取調べに際しては弁護人の解任を求めるなどした、という。

そこで、記録を調査し、当審における事実調べの結果を加えて検討すると、警察官や検察官らの捜査過程に違法不当な点があるとは認められない。

すなわち、検察事務官作成の捜査報告書(甲848)、司法警察員作成の戸塚ヨットスクール関係被疑者(コーチ)の弁護人との接見状況報告書(甲849)、当審で調べた証人伊神喜弘の証言(一八回)、準抗告決定書(当審弁26ないし33)など関係証拠によれば、以下の事実が認められる。(1) いわゆる暴走族は、三月ころから愛知県知多郡美浜町大字北方字宮東七〇番地の一所在の戸塚ヨットスクールの合宿所(以下「宮東合宿所」という。)の西側を南北に走る国道二四七号線を暴走する際、宮東合宿所前付近において「人殺し」などと罵声を浴びせながら、爆音をとどろかせて気勢をあげることが多くなり、これに腹を立てた被告人Dらは、四月二四日暴走していたD1らを捕まえて殴打するなどの暴行を加えて監禁し、その暴行により傷害を負わせるという暴走族事件を起こした。(2) 警察官は、五月二六日被告人A、同C、同B、同F、同D、Eを暴走族事件で逮捕し、検察官は、勾留場所を代用監獄である愛知県内の警察署とする勾留状(被告人Aは愛知県刈谷警察署、以下、愛知県を省略する。同Cは半田警察署、同Bは常滑警察署、同Fは東海警察署、同Dは碧南警察署、Eは愛知県警察本部)と、接見等禁止決定を得て県下の警察署に各逮捕者を勾留した。被告人Aらが選任した弁護人は、勾留場所を名古屋拘置所にすべきであるとの準抗告を申し立てたが、準抗告はいずれも棄却された。(3) 検察官は、六月一六日被告人Aら六名を暴走族事件(原判示第一章の七の23)で起訴したが、弁護人らは、その間に被告人Aらに何度も面接した(例えば、被告人Aについては、五月二七日、同月三〇日、六月二日、同月四日、同月八日、同月一一日)。(4) 警察官は、U事件で六月一三日被告人戸塚、コーチのR(以下「R」という。)、Q(以下「Q」という。)を逮捕し、同月一四日被告人A、同C、同B、同D、Eを逮捕した。検察官は、被告人別に勾留場所を愛知県下の特定警察署として勾留請求をしたが、勾留場所を名古屋拘置所とする勾留状が発付されたため、暴行を加えた者を特定するための面通しの必要、証拠物や写真を提示しての取調べの必要、名古屋拘置所内の取調べ室の不足などを理由に代用監獄である請求警察署にすべきであるとの準抗告を申し立てた。準抗告裁判所は、名古屋拘置所では取調べ室の数に制限があり、取調べ時間にも制約があること、証拠物を持ち込んでの取調べに困難を伴うことなどを理由に、勾留場所を名古屋拘置所とする部分を取り消し、改めて被告人戸塚を愛知県警察本部、被告人Aを中村警察署、被告人Cを半田警察署、被告人Bを中警察署、被告人Dを北警察署、Eを昭和警察署、Rを熱田警察署、Qを南警察署とそれぞれ指定した。六月一九日被告人FがQ"子に対する強制わいせつ事件で逮捕され、同月二二日東海警察署に勾留された。(5) 検察官は、被告人戸塚らを勾留したころ、勾留場所の警察署長に対し弁護人との接見等の日時場所を別に発する指定書のとおり指定する旨連絡をした。弁護人は、被告人戸塚らとの接見が困難となったとして、検察官が被告人らとの接見をさせようとしない処分をしたなどとして相次いで準抗告を申し立てた。準抗告裁判所は、接見指定書を受け取りこれを持参しない限り接見を拒否する旨の検察官の処分を取り消したり(当審弁41)、六月八日、二〇日、二一日具体的指定書を持参しなかったため接見を拒否されたなどの事実から一般的指定は単なる内部的事務連絡にとどまるものではなく、準抗告の対象たる処分にあたるとして一般的指定を取り消したり(当審弁42)、被疑者と一定期間内に二〇分間接見できる(当審弁43)との決定をしたり様々の対応をした。(6) 名古屋地方裁判所の裁判官は、そのころ名古屋地方検察庁検察官と弁護人との間で接見方法について協議する場を設け、その結果、検察官と弁議人は、六月二二日から弁護人が三日前までに接見の通知をしたときは、検察官は原則として弁護人らが接見できるように具体的指定書をあらかじめ代用監獄に届ける、接見時間は最初は三〇分、二回目以降は二〇分とするなどの申合せをした。そして、U事件で勾留された後、被告人戸塚は同月二二日、被告人Aは同月二七日、被告人Bは同月二五日、被告人Cは同月一八日、同月二五日、被告人Dは同月二七日、強制わいせつ事件で勾留された被告人Fは同月二五日にそれぞれ弁護人と接見し、以後右の申合せに従い接見がなされた。(7) 検察官は、その後順次捜査を遂げ、七月一日被告人Fを強制わいせつ事件(原判示第一章の六)で起訴し、七月五日被告人戸塚、同A、同C、同B、同D、Q、EをU事件(原判示第一章の五)で起訴し、Rを釈放した。警察官は、七月五日Rをr"に対する監禁事件で逮捕し、検察官はその後身柄勾留の上捜査をしたが、Rは、従前選任した弁護人を解任し、吉見秀文弁護士を弁護人に選任した。検察官は、その後も捜査を続け、七月二七日被告人戸塚、同A、同C、同B、同D、Rをr"に対する監禁事件(原判示第一章の七の18)等で起訴し、八月二四日被告人Fをq"子に対する暴行事件(原判示第一章の七の17)で起訴し、同月二五日被告人戸塚、同A、同C、同B、同F、同D、R、Q、Eをm"に対する傷害事件(原判示第一章の七の12)等でそれぞれ起訴した。吉見秀文弁護人は、被告人戸塚らの事件からRの事件の分離を請求し、原審は九月九日Rの事件を分離した。(8)Hは、校長代理として戸塚ヨットスクールに残り、G、Iらと特別合宿を続けていたが、H及びIは、八月八日u"に対する監禁致傷事件で逮捕され、同月一〇日Hは江南警察署、Iは東警察署に勾留され、前記申合せに従って被告人戸塚らと同じ弁護人の接見を受けた。Hは、八月二九日u"に対する監禁致傷事件(原判示第一章の七の21)等で起訴され、九月八日いったん保釈されたが、同日b"、a"、c"に対する事件で逮捕され引き続き勾留され、九月一九日同事件(原判示第一章の七の4)で起訴され、同月二一日保釈された。(9) 被告人戸塚、同B、同Dは、九月一九日b"に対する暴行事件(原判示第一章の七の5)等の事件で起訴された。被告人戸塚、同A、同C、同B、同F、Gは、同月二六日M事件で逮捕され、翌二七日勾留されたが、Gは名古屋拘置所に、他の者は愛知県下の警察署に留置され、その間前同様に弁護人と接見し、一〇月四日同事件(原判示第一章の二)で起訴された。被告人A、同C、同F、同D、Eは、一〇月一三日x"に対する傷害事件(原判示第一章の七の2)等で起訴され、被告人戸塚、同A、同C、同B、同Fは、一一月二五日あかつき号事件(原判示第一章の四)等で起訴された。

右認定の事実関係を前提に、弁護人の前記所論について順次検討する。

1  暴走族事件による逮捕勾留について

逮捕勾留の点につき、暴走族事件は、相当数のコーチや番外生といわれる者が加わった集団による暴力犯罪であり、それ自体決して軽微な事件ではないから、捜査官が同事件で被告人Aらを逮捕勾留したからといって、所論のように戸塚ヨットスクール潰しを狙ったものとか、被告人Aらに戸塚ヨットスクールで発生した事件を全て自白させようとして身柄を拘束したとはいえない。

代用監獄に分散留置した点につき、検察官は、愛知県内の各警察署を代用監獄とする勾留状の発付を得て勾留したが、名古屋拘置所を勾留場所とすべきとの弁護人の準抗告は棄却されている上、証拠物を提示しての取調べの必要などを考慮すれば、検察官が代用監獄を勾留場所として勾留請求をし、裁判所がこれを認めたことに問題はないし、被告人Aらは罪証隠滅のおそれがあり、勾留にあたり接見等禁止とされたから、他のコーチらとの接触を避けるためなどの理由により、数カ所の警察署に分散留置したことにも問題はない。所論のように被告人Aらの団結力を弱め、孤立化を図り、弁護人との接見を困難にすることを狙って、殊更代用監獄に分散留置したとはいえない。

2  U事件による逮捕勾留について

U事件は、五七年一二月四日心身の鍛練を希望して入校したU(以下「U」という。)が同月一二日身体に多数の損傷を残して死亡した傷害致死という重大事件であるから、被告人戸塚、R、Qを逮捕勾留したことに問題はないし、被告人A、同B、同D、Eを改めてU事件で逮捕勾留したことにも同様問題はない。また、検察官が準抗告決定に基づき被告人戸塚らを勾留場所と指定された愛知県下の各警察署に留置した点に、何ら問題はない。

3  被告人Fの強制わいせつ事件による逮捕勾留について

被告人Fは、六月一六日暴走族事件で起訴された後、同月一九日Q"子に対する強制わいせつ事件で逮捕勾留されたが、関係証拠、特にQ"子の捜査官に対する供述により強制わいせつの嫌疑があり、かつ、逮捕勾留の理由も必要もあるとしてそうされたものであり、原審の審理の結果、Q"子の証言や捜査段階の供述が信用できないとして無罪になったからといって、直ちに右逮捕勾留が違法となるものではないし、所論のように捜査官が被告人FをU事件で逮捕勾留できないため、苦肉の策で強制わいせつ事件で逮捕した疑いはない。

4  RのU事件の不起訴について

Rは、六月一三日U事件で逮捕勾留され、七月五日処分保留で釈放されたが、Uに格別暴行を加えていないのであるから、検察官がRを起訴しなかったからといって、所論のように被告人戸塚らとの分断を図るために起訴しなかったとはいえない。

5  M事件による逮捕勾留について

M事件は、五五年一〇月三〇日正午ころ暴行を受けて自宅から戸塚ヨットスクールへ連行されたM(以下「M」という。)が同年一一月四日午前雰時ころ北屋敷合宿所から乙山病院に運ばれる途中で死亡したという重大な事件であり、Mが死亡した後任意捜査がなされているからといって、被告人Aらを逮捕勾留する理由も必要もなかったとはいえない。なお、Gは、九月二六日M事件で初めて逮捕され、翌二七日以後勾留されたが、その間の供述調書としては九月二七日、一〇月三日、四日に作成された検察官調書三通(乙44、189、190)が証拠申請されているにすぎないとしても、所論のように捜査官らが戸塚ヨットスクールを潰す目的でGを逮捕勾留したとはいえない。

6  長期勾留について

被告人戸塚らは、多数の事件で捜査を受け、起訴されている(例えば、被告人Aは、五月二六日暴走事件で逮捕、六月一六日起訴、六月一四日U事件で逮捕、七月五日起訴、九月二六日M事件で逮捕、一〇月四日起訴、その間の七月二七日r"に対する監禁事件等、八月二五日f"に対する暴行事件等で、その後の一〇月一三日にi"に対する暴行事件等、一一月二五日にあかつき号事件で起訴)。このように複数の事件で順次身柄を拘束される場合、当初の事件の逮捕勾留から最終事件のそれに至る身柄拘束期間が長くなるが、理由と必要がある限り不当に長い拘束とはいえないし、後に取り調べた事件の供述調書の任意性が、長期拘束の故に否定されるものではない。

7  弁護人との接見について

弁護人は、被疑者との接見交通権を保障されているから、被疑者が接見等禁止決定を受けても、当然被疑者との接見は可能であるところ、本件で選任された弁護人らは、暴走族事件による勾留当時には問題なく接見していたが、被告人戸塚らがU事件で勾留されたころから、検察官の発する具体的指定書を持参しなければ接見が困難になり、相次いで準抗告して準抗告決定に基づき面接し、その後名古屋地方裁判所の裁判官の斡旋により検察官と弁護人との間で接見方法の申合せができ、以後はそれに従い接見している。そうすると、U事件の勾留期間中の早期の段階では暴走族事件当時ほど頻繁に接見できなかったものの、被疑者の防御権が不当に制限されるような状況ではないし、その他の期間では接見が困難であったとはいえない。

8  Rの弁護人解任と弁論の分離について

Rは、六月一三日U事件、七月五日r"に対する監禁事件で逮捕されたが、当時の事情について原審証人として、U事件で逮捕勾留されたころから悪いことは悪いと反省し新たに再出発しようと考えていたのに、当時の弁護人と接見しても、期待していたものと異なり取調べを受けているのと同じような状況であったから耐えられず、弁護人を解任して新たに吉見秀文弁護士を選任した、捜査官から前の弁護人を解任しろとの働き掛けはなかったと証言している(原審第四六回、四八回公判期日、以下「原審」、「第」、「公判期日」を省略する。)。そうすると、Rは、自己の意思で従前の弁護人を解任したものであり、所論のように検察官が弁護人の解任を働き掛け、その結果解任したとはいえない。また、Rは、七月二七日r"に対する監禁事件、八月二五日f"に対する監禁事件でいずれも被告人戸塚らと起訴されたが、吉見秀文弁護人が弁論の分離を請求した結果、九月九日弁論が分離されたのであるから、所論のように検察官がRに弁論の分離を働き掛けたとか、被告人戸塚らとの分断孤立化を働き掛けたとはいえない。

9  Hの分離起訴について

Hは、八月二九日I、w"とともにu"に対する監禁致傷事件(原判示第一章の七の21)等で、九月一九日b"に対する傷害、a"、c"に対する共同暴行事件(原判示第一章の七の4)で被告人戸塚らとは別に起訴されたが、被告人戸塚らと同じ弁護人の接見を受け、九月八日前者の事件で、同月二一日後者の事件でそれぞれ保釈された。原審では公訴事実を否認し、検察官申請の書証を一部不同意にして証人調べの後、六三年九月弁護人から被告人戸塚らの事件との弁論の併合請求があり、平成元年四月併合された。ところで、Hは、特別合宿生に暴行を加えることも少なく、捜査段階でも自己の加担した暴行などについては供述していたこと、一通の起訴状で起訴されたRがその弁護人の請求により弁論が分離されたこと、Hは原審公判では冒頭から公訴事実を争っていたことなどの事実によれば、検察官が被告人戸塚らと別にHを起訴したからといって問題はないし、所論のように被告人戸塚とコーチらの分断を図り、Hには公訴事実を認めさせるために分離起訴したとはいえないし、Hが捜査官から弁護人の解任を求められたとは認められない。

二  被告人Aらコーチの供述調書について

1  供述調書の任意性について

弁護人の所論は、捜査官は、被告人らを愛知県内の各地の警察署に分散留置し、長期間にわたり身柄を拘束し、弁護人らとの接見を妨害し、被告人戸塚や他のコーチに対する不信をあおり、弁護人を誹謗中傷して解任するようにそそのかしながら、連日にわたり偽計、利益誘導、脅迫などの手段を用いて過酷な取調べをしたから、被告人Aらの警察官調書、検察官調書の任意性はない、という。

しかし、個別の供述調書の任意性の証拠能力は後に触れるが、逮捕勾留等の捜査過程にも、取調べ過程にも任意性に疑問を抱かせる点はない。

すなわち、捜査過程の点につき、愛知県下の警察署に分散留置したからといって特に問題はなく、もとより供述の任意性に不当に影響を及ぼしたとはいえないし、理由と必要があって事件毎に逮捕勾留し、その結果当初の逮捕から通算すると身柄拘束期間が長くなったとしても、不当に長い拘束とはいえない。弁護人らとの接見も、従来どおり接見した段階では任意性に影響はないし、U事件で勾留された早期の段階で一時円滑に接見がなされなかったとしても、被疑者の防御権が不当に制限された状況にない以上、直ちにその間の供述調書の任意性に疑問を抱かせるものではないし、前記申合せにより接見するようになった後には、任意性に影響を及ぼすおそれのあるような事情は全く見いだせない。

次に、取調べ過程の点につき、被告人戸塚は、Mが死亡した後、在宅で警察官らの取調べを受けたときは供述調書の作成に応じたが、逮捕勾留されてからは否認を通して供述調書の作成にも応じていない。被告人A、同C、同B、同F、同D、Hらは、逮捕勾留中に供述調書の作成に応じているが、警察官調書、検察官調書を閲読検討すれば、公訴事実を争っている事件では、いずれも自己が加えた暴行の具体的な記憶は乏しい、他のコーチらが加えた暴行の記憶も判然としない、特別合宿生を含む訓練生(以下、合宿訓練を内容とする戸塚ヨットスクールの訓練生を「特別合宿生」と、特別合宿生を含む訓練生全部を「訓練生ら」という。)が供述している暴行も、訓練生らがそういうならばそのとおりと思うなどと供述し、訓練生らや見学者が供述していない事項について自己に不利益な供述をすることはまれで、もとより被告人戸塚に殊更不利な供述をすることはないし、自己の暴行を他のコーチに押し付けた疑いもないし、捜査官に迎合して積極的に事実関係を認めたり、訓練生らの供述調書に合わせた疑いもない。そうすると、被告人Aらは、自己の不利益な点はもとより、被告人戸塚及び他のコーチに不利益な点を積極的に供述しているものではないから、捜査官が所論のように被告人戸塚や他のコーチに対する不信をあおったとは認められない。弁護人を誹謗中傷し、解任するよう工作したとの点も、当審における事実調べの結果を加えて検討しても、捜査官がそのような工作をしたとは認められない。

これらによれば、所論が一般的に指摘するような瑕疵はなく、被告人Aらの供述調書の任意性に疑問はない。

2  検察官調書の特信情況について

所論は、被告人Aら五名の検察官調書、原審相被告人らの検察官調書は、原審公判期日の供述より検察官調書を信用すべき刑訴法三二一条一項二号所定の特別の情況(以下「特信情況」という。)もない。原審弁護人は、特信情況の存否に関して取調べ検察官を証人申請したが、原審は一部の検察官を取り調べ、その検察官作成の検察官調書を一部却下したのに、他の取調べ検察官を証人として採用もしないで、その検察官作成の検察官調書を採用した、という。

しかし、個別の検察官調書の証拠能力は後に触れるが、一般的にみて前記各検察官調書は証拠能力があると認められる。すなわち、被告人Aらの原審供述は、身柄を拘束されていた間の検察官調書はもとより、在宅の取調べで供述した検察官調書とも多くの点で相違することは明らかである。そして、被告人戸塚や他のコーチらとのこれまでの関係を考慮すれば、被告人Aらは、公訴事実の大半を連帯して全面的に争っている被告人戸塚や他の被告人らの面前では、検察官調書で供述した範囲のことでもその供述をはばかったものと認められる。他方、被告人Aらは、検察官に対し自己や他のコーチらの加えた暴行などを供述した部分があるが、その供述部分は、多数の特別合宿生の証言、Rの証言、これらの者の検察官調書と多くの点で符合し、戸塚ヨットスクールにおける訓練の実態とも整合している。これらによれば、検察官調書には一般的に特信情況があると認められる。

次に、取調べ検察官の証人尋問の点につき、そもそも取調べをした検察官を証拠調べしなければ特信情況の存否を判断できないものではないし、記録を調査して検討すれば後記のとおり個別の検察官調書はそれぞれ特信情況が認められるのであるから、原審が取調べ検察官の多くを証拠調べしないで特信情況の存否を検討してこれを採用した訴訟手続に瑕疵があるとはいえない。なお、原判決は、右各検察官調書を事実認定に供しているが、原判決の事実認定を閲読検討すれば明らかなとおり、主として訓練生らの証言などにより事実を認定しているのであり、所論の右検察官調書に大きく依拠して事実を認定したとの批判は当たらない。

三  訓練生らの原審における証言及び検察官調書について

1  訓練生らの原審証言について

弁護人の所論は、訓練生らの多くは、非行や家庭内暴力を犯したり、精神的な面で問題があり、自ら希望しないのに保護者の依頼により戸塚ヨットスクールに入校させられ、被告人戸塚らから厳しい訓練を受けて反感を持っているし、捜査段階から戸塚ヨットスクールを弾劾するマスコミの不当な喧伝により得た知識と自己の記憶を混在させた疑いがあり、原審における各証言の信用性は乏しい、という。

しかし、個別の証言の信用性については個別の事件で触れるが、その証言が一般的にみて信用性が乏しいとはいえない。

すなわち、訓練生らの多くは、不登校、家庭内暴力、非行などの問題行動を起こし、その保護者の依頼で意に反して戸塚ヨットスクールに入校し、入校するに際しあるいは入校後に何回も暴行を受けているから、暴行を加えたコーチらに対し処罰感情や反感に基づき受けた暴行を誇張して供述するおそれがあるし、被告人戸塚らの犯した事件の報道を見たり聞いたりし、報道により得た知識に基づき供述する可能性も否定できない。しかしながら、加害者に対する処罰感情等による誇張、報道による知識の混在の危険性は、弁護人の反対尋問をはじめ関係証拠の検討によって十分吟味されており、右危険性があるからといって、一律にその信用性に欠けるとはいえない。そして、訓練生らは、いずれも中学生又は高校生ぐらいの世代であり、年令的にその証言の信用性が乏しいとはいえないし、入校前にそれぞれ問題行動を起こしているが、それ故に虚言癖があるとか供述すべてが虚偽であるとはいえないし、入校前の問題行動を正当化するため、入校後に受けた暴行や他の訓練生らが受けた暴行について殊更虚偽の証言をする疑いもない。

ところで、訓練生らは、合宿期間中の出来事や被告人らの暴行について細部にわたり質問され、細部の記憶が蘇らなかったり、細部の質問に応じて証言した内容が検察官調書と一部異なっている点がある。しかし、事件が発生した後から原審において証言するまでの期間は証人により様々であるが、いずれも相当の月日を経過しているから、証人テストあるいは証人尋問で検察官調書との相違を指摘されても、細部の記憶が蘇らず、あるいは記憶の混乱が解消されなくてもやむをえないのであり、記憶の一部喪失や記憶の一部混乱があっても、記憶の鮮明な点の証言の信用性が欠けるとはいえない。

2  訓練生らの検察官調書について

弁護人の所論は、訓練生らが検察官に供述した当時の記憶は原審証言当時も保持されている筈であるから、原審証言当時に記憶が乏しいからといって、供述不能とはいえない、訓練生らは、取調べ当時も被告人戸塚らに対して反感を持ち、マスコミの影響を受け、自己の非行や家庭内暴力などを正当化するため、捜査官の誘導に迎合して虚偽の供述をしたから、特信情況もない。しかるに、原審は、訓練生らを取り調べた検察官の証人尋問もしないで、右各検察官調書の証拠能力を認めて採用して事実認定に供した、という。

しかし、訓練生らの個別の検察官調書の証拠能力については後に触れるが、検察官調書の採用された訓練生らの検察官調書は、いずれも刑訴法三二一条一項二号により証拠能力を有するから、原審がこれらを採用し、事実認定に供した点に瑕疵はない。

すなわち、供述不能等の点につき、訓練生らは、前記のとおり証人尋問において細部にわたって質問されたが、捜査段階で検察官には当時の記憶に基づき正確に供述したが、証人尋問を受ける今は覚えていない、具体的なことは覚えていない、詳しくは分からないなどと証言する者、あるいは、乏しい記憶で証言したがその点には検察官調書と相違があるという者が多い。ところで、本件の一連の事件は、五五年一〇月末から一一月初めにかけてのM事件以降五八年四月下旬の暴走族事件に至るまで、極めて長期間にわたる多数の事件であるが、検察官は、M事件については五六年一一月ころから本格的に訓練生らを取り調べ、その他の事件は五八年五月ころから強制捜査を始めたが、訓練生らとすれば、関係する事件が発生した後様々な時期に取調べを受けている(例えばM事件では、Mが死亡した段階、その後約一年経過した段階、強制捜査後の段階)。そして、訓練生らは、人により様々であるが、検察官に供述した後に更に月日が経過した段階である原審において証人尋問を受け、主尋問及び反対尋問において細部にわたり質問され、検察官調書における供述を指摘されても、その記憶が蘇らなかったり、あいまいな記憶に基づき証言したりしていて、その証言は検察官調書と相違している場合がある。そうすると、原審でどうしても記憶が蘇らないときは、証人が供述することができないときに該当するし、あいまいな記憶に基づいて検察官調書と相違する証言をしたときは、前の供述と実質的に異なった供述をしたときに該当する。なお、所論は、ある程度月日の経過した段階で記憶していたことはその後相当月日が経過してもなお記憶が保持されている筈であることを理由に、原審の証人尋問当時の記憶は、検察官に供述した当時の記憶と同程度であるというが、訓練生らは、検察官には当時の記憶のとおり供述したが、原審ではその記憶がないと証言しているのであり、記憶の保持に関する所論の見解は採用できないから、所論は前提を異にし理由がない。

次に、特信情況につき、訓練生らは、原審の証人尋問では今は記憶が乏しいが、捜査段階で検察官に対し当時の記憶どおり供述したなどとそれぞれ証言しているところ、その検察官調書は、それぞれ不自然な点はなく、具体的であり、他の訓練生の証言、検察官調書ともそれぞれ符合し、特信情況が認められる。ところで、所論の反感の点につき、被害者は加害者に対する反感により過剰な供述をする危険性があるが、被害者であるならばそれは当然のこととしてその供述を吟味すべきであり、それ故に被害者の供述すべてが一律に特信情況に欠けるとはいえない。マスコミの影響の点につき、訓練生らは、検察官に被告人戸塚らの個別の暴行の具体的な状況を細部にわたり供述しているのであり、右供述当時戸塚ヨットスクールに関する報道が広くなされたとしても、事件の細部の状況についてその影響を受けたとは考えられない。問題行動の正当化の点につき、検察官は、訓練生らの入校前後の行動を認識しながら取調べをしているから、訓練生らが自己の問題行動を事実に反して正当化することは困難であるし、自己の問題行動を正当化するため戸塚ヨットスクールでの被告人戸塚らの具体的な暴行につき殊更虚偽の供述をしたとも考えられない。なお、訓練生らが再び戸塚ヨットスクールに入校させられるのを防ぐため、両親らに特別合宿中の出来事を誇張して虚偽の供述をする可能性があるとはいえ、検察官に対してまで同様に供述する可能性は低い。検察官の誘導の点につき、強制捜査がなされた当時、被告人戸塚は供述調書の作成に応じず、被告人Aらは暴行の具体的記憶は乏しいなどと供述していたから、検察官は、訓練生らの供述を吟味して被告人戸塚らの犯行を一つ一つ確定する必要があるし、現に採用された検察官調書を閲読検討すれば、訓練生らが自分の身で直接体験したことと目撃したこととを区分けして聴取し、また、他の訓練生らが供述している点でも目撃していない点はその旨の供述を聴取するようにしているから、検察官が誘導した疑いはない。なお、被告人戸塚は、当審で訓練生らの特徴として強い者に迎合する傾向が強く、戸塚ヨットスクール在校中も同様であり、検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いがある、という。確かに同スクールでは被告人戸塚らに反抗すれば次々と暴行を加えられ、コーチの指示するとおり行動すれば暴行される機会は少なく、早期に番外生になって退校できるのであるから、訓練生らが右のように振る舞っても不自然とはいえないが、捜査の手が入り、戸塚ヨットスクール内で受けた暴行や目撃した暴行を検察官に尋ねられて供述するに際し、迎合してまで供述する必要性もないし、もとより迎合して虚偽の供述をした疑いはない。

検察官調書の特信情況の存否を判断するにあたり、検察官の取調べ状況を審査する必要はあるが、その方法として、必ずその者を取り調べた検察官を証人尋問しなければならない訳ではない。また、原判決は、主として訓練生らの証言により事実を認定し、訓練生らの記憶が乏しい細部についてその検察官調書を事実認定に供して事実を認定しているのであり、所論の全く訓練生らの検察官調書に依拠して事実を認定したとの批判は当たらない。

四  行為の構成要件該当性について

弁護人の所論は、訓練生らに対する暴行はその都度犯罪の成否を検討すべきである、などという。

関係証拠によれば、原判決の第一章の二の5の「戸塚ヨットスクールの特別合宿生への対応」で認定する各事実関係(五五頁から六七頁)は、関係各証拠に照らし、概ね相当として是認することができる。そのなかで、原判決は、同5の③の「早朝体操の強制」、④の「海上訓練の強制」、⑤の「監視と逃走した者に対する制裁」の各項(六二頁から六七頁)で被告人らの殴打足蹴りなどの有形力の行使について体罰という用語を用いるとともに、訓練生らを訓練に集中させる、あるいは能力の限界まで挑戦させるために加えた殴打足蹴りなどについても体罰と判示している(六三頁)。この休罰の概念はともかく、本件では、被告人らの行為について暴行、傷害、傷害致死、逮捕監禁、同致死傷という犯罪の成否が争点となっているのであるから、まず、端的に証拠によって認定できる各有形力の行使が各犯罪の構成要件に該当するかどうかを検討し、原判決がいう体罰など構成要件該当行為に及んだ理由の点は、違法性阻却事由の問題として検討する。

1  各種犯罪と起訴事実との関係について

戸塚ヨットスクールでは、校長及び複数のコーチが一体となり、被告人戸塚の方針の下に業務としてヨット訓練をする特別合宿をしており、自発的に参加しない者に対しては被告人戸塚に指示されたコーチが特別合宿生の自宅などに新人迎えに行き、同行を拒否する者に暴行を加えて自動車に押し込むなどして合宿所に連行し、当初夜間には合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込めて錠を掛け、その後は交代で見張るなどし、日中もその行動を見張りながら合宿所周辺で暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制し、特別合宿生が合宿所から逃走すれば実力で連れ戻し、制裁として暴行を加え、再び同様な方法で訓練を強制し、その一連の暴行により特別合宿生に傷害を負わせたり死亡させている。そうすると、これらの一連の行為に関与した者には、特別合宿生に対する暴行罪、傷害罪、傷害致死罪、逮捕監禁罪、同致死傷罪などの犯罪の成否が問題となる。

右の行為のうち、早朝体操及び海上訓練の過程の暴行罪、傷害罪、傷害致死罪のみ起訴されているときは、右訓練過程の一連の暴行が犯罪の対象となることはもちろんであるが、新人迎えの際や逃走者を連れ戻すための暴行も、戸塚ヨットスクールでの右訓練を実施するのに必要な行為であり、訓練過程の暴行と密接な関係を有するから、これも含めて犯罪の成否を検討すべきである。犯罪の対象となる暴行により特別合宿生が負傷すれば傷害罪が、右負傷により死亡したとすれば傷害致死罪が成立する。他方、専ら特別合宿生が逃走したことに対する制裁として加えた暴行は、右訓練と密接な関係を有するとまではいえないから、異なる犯罪として別に暴行罪、傷害罪を検討すべきである。一方、逮捕監禁罪、同致死傷罪のみ起訴されているときには、新人迎えの際や逃走者を連れ戻すための暴行は、逮捕監禁のための暴行となり、右暴行により特別合宿生を負傷させれば逮捕監禁致傷罪が成立する。なお、訓練過程で加えた暴行や逃走者に対し制裁として加えた暴行は、それ自体逮捕監禁のための暴行とはいえないが、原判決が第一章の四の3の①のⅣの項で説示するとおり(一七四頁から一七七頁)逮捕監禁の違法性に関連するものである。

2  訓練過程の一連の暴行と傷害、傷害致死罪について

早朝体操及び海上訓練における一連の暴行を実態に即してみると、特別合宿生の顔面や身体を殴打したり足蹴りする、竹、棒、ひしゃく様のあかくみ、ティラー、卓球のラケット様の木製の物等で顔面や身体を殴打する、身体を海に突き落としたり、海に浸ける、あかくみやバケツ等で海水を掛けるなどの行為である。特別合宿生が健康を損ねて食事も摂取できなくなったのに、寒風下の厳しい気象条件の下で早朝体操や海上訓練を強制し、長時間寒風下に放置する行為も、身体に与える損傷は大きいのであるから、暴行に該当する。そして、これらの訓練に伴って加えた一連の暴行は、包括して一罪となる。次に、これらの暴行による損傷には、暴行により特別合宿生の身体の体表に外傷を生じさせたり、それとともに身体の臓器にまで損傷を生じさせること、健康を損ね疲労を蓄積させ、意識の混濁を生じさせることも含まれるし、体力が減退し体調を損ねているのに冬季など厳しい環境の下で暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制し、その結果体温を低下させ、体調を損ねることも、暴行による損傷というべきである。傷害致死の場合、右一連の暴行と被害者の損傷及び死亡の結果との間に因果関係があれば、傷害致死罪が成立するのであり、一連の暴行が被害者の死亡の唯一の原因又は直接の原因であることまで要するものではない。その際、暴行を加えた者に、被害者の致死の結果の予見はもとより、予見可能性も必要ではないから、相当期間にわたり累次の暴行を加え続けた際、その暴行の都度被害者の致死の結果を予見する可能性がなくても、傷害致死罪は成立する。所論のように個別の暴行の都度被害者の致死の結果を予見する可能性が必要であるとか、暴行の都度特別合宿生の致死の結果の発生に過失が必要であるとはいえない。

右一連の暴行による傷害、傷害致死については、一連の暴行のすべてを罪となるべき事実として具体的に判示する必要はないし、特別合宿生に負わせたすべての傷害をいちいち判示する必要もないし、特定の暴行とそれによる傷害との具体的な結びつきを個別的に明示しなくても差し支えない。また、一連の暴行により特別合宿生が死亡した傷害致死では、暴行を加えた後死亡するまでに生起した過程、すなわち、被害者の身体に第一次的に生じた変化、その発展的変化、死亡の直接の原因たる症状などをある程度具体的に判示するのが望ましいとはいえ、右経過の詳細まで判示しなければならないものではない。

3  逮捕監禁罪、同致死傷罪について

逮捕監禁罪の構成要件に該当する行為を実態に即してみると、特別合宿生の自宅に行き、有形力を行使してその意思に反して合宿所まで連行し、夜間合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込めて錠を掛け、番外生に交代で見張りをさせたり、人の通行を感知する警報装置で人の通行を見張って逃走を防ぐ、日中及び夜間に一定の場所から逃走しないように見張り、逃走したとき実力で連れ戻すなどの行為がこれに該当する。また、特別合宿生に異なる合宿施設で早朝体操及び海上訓練を強制するため、特定の合宿施設から他の合宿施設に移動するため右と同様な方法で行動の自由を制限する行為も監禁に該当するし、他の合宿施設で同様な方法で行動の自由を制限する行為も監禁に該当する。そして、これらの行為は、継続犯として逮捕監禁罪の一罪となる。所論は、監視による監禁の場合、監禁の目的の正当性があれば、構成要件該当性が阻却されるというが、後記認定のとおり被告人戸塚らの監禁の目的に正当性は認められないから、所論は前提を異にする。右の逮捕監禁のための暴行により特別合宿生に傷害を負わせたとき、逮捕監禁致傷罪が成立する。なお、逮捕監禁致死罪で起訴されたのはあかつき号事件だけであるから、同罪については後記第三のあかつき号事件で触れることにする。

五  共同正犯の共謀などについて

弁護人の所論は、共謀共同正犯の法理を認めた最高裁判所の判例は変更さるべきである。仮に共謀共同正犯の法理を認めるとしても、原判決は、訓練過程の一連の暴行、傷害、傷害致死、逮捕監禁、同致死傷の各罪につき、個別の特定の行為毎に加担者の共謀の存否を検討せずに、早朝体操及び海上訓練、特別合宿生活の維持管理をするにあたり、特別合宿生に共同して体罰を加えるとの基本的合意が形成されていたとして、特定の構成要件を離れた共謀を認め、新人迎えを指示する被告人戸塚と新人迎えに行く者との共謀、次に特別合宿生が合宿所に来たことを知ったコーチらの被告人戸塚らとの承継的共同正犯の共謀を定型的に認めたのは、最高裁判所の判例に違反する、というのである。

しかし、共謀共同正犯の法理は確立した判例であり、正当な右法理を変更する必要は全くないし、原判決が第四章の二の「被告人らの共謀について」の3ないし6の項で認定説示するところ(五三一頁から五四二頁)は、関係各証拠に照らし概ね相当として是認することができる。

若干補足すると、原判決の右4項の基本的合意などの点につき、関係証拠によれば、戸塚ヨットスクールでは、被告人戸塚以下コーチが協力し、ときには同スクールに好意を寄せる者の協力を得て、同スクールの業務として、前記四の1で認定したように新人迎えをし、毎日のように多数の合宿生らに暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制してヨット訓練をしていたことが認められる。そうすると、被告人戸塚や被告人Aらのコーチは、新人迎えの方法、早朝体操及び海上訓練の方法を互いに認識しており、新たに特別合宿生を迎えるにあたり新人迎えの方法や訓練の方法を改めて話し合わなくても、自ずから共通の認識をそれぞれ持っていたと認められる。原判決の前記4項の基本的な合意が形成されていたとの説示(五三六、五三七頁)、5項の右合意自体は謀議成立の基礎となるにすぎないとの説示(五三七頁)は、右の共通の認識と同趣旨と解される。

定型的に共謀を認めた点につき、前記事実関係に照らせば、訓練過程の暴行、傷害、傷害致死罪の事件では、被告人戸塚と新人迎えをしたコーチとの間では、被告人戸塚が新人迎えを指示した段階で、当該特別合宿生を戸塚ヨットスクールに入校させ、合宿所及びその周辺において合宿訓練を行うために、特別合宿生の身体に殴打などの有形力を行使することも一向に構わないとの意思を相互に通じ、他のコーチは、新たに入校した特別合宿生と行動をともにするようになって以後、被告人戸塚及び迎えに行ったコーチと右と同様の意思を相互に通じた、と一般的に認定判断することができる。逮捕監禁、同致死傷罪の事件では、被告人戸塚と迎えに行くコーチらとの間では、当該特別合宿生の意思に反して戸塚ヨットスクールの合宿所及びその周辺において合宿訓練を受けさせるために、特別合宿生の自宅などでその身体に殴打などの有形力を行使して連行し、合宿所に連行してからは、合宿所及びその周辺から逃走しないように見張り、もし逃走すれば捕まえて連れ戻し、その意思に反して行動の自由を拘束することも一向に構わないとの意思を相互に通じ、他のコーチは、新たに入校した特別合宿生と行動をともにするようになって以後、被告人戸塚及び迎えに行ったコーチと右連行後の意思を相互に通じた、と一般的に認定判断することができる。また、特別合宿生が逃走などしたときに制裁として暴行を加える態様の暴行や傷害の事件では、戸塚ヨットスクールではこれまで特別合宿生に対し制裁としていろいろな暴行を加えていたから、制裁に関与した者の間では、改めて事前に暴行を加えるとの協議をしなくても、その状況から暗黙のうちに暴行を加える意思を相通じて共謀した、と一般的に認定判断することができる。

ところで、被告人戸塚は、体罰の有効性は認めるが、他のコーチに体罰を加えることを求めたのではなく、体罰の行使は各コーチの自主的判断に任せていた、木刀等の中の詰まった物は使用せず、訓練生らの急所、関節、目等を殴るなと指示していた、という。しかし、被告人戸塚は、早朝体操及び海上訓練において自ら訓練生らの顔面にも暴行を加えるほか、他のコーチが訓練生らに暴行を加えるのを承知しており、現に後記六で認定説示するとおり戸塚ヨットスクールでは常態的に強度の暴行が加えられていたから、訓練の過程で危険な暴行を加えることを容認していたことは明らかであるし、暴行の方法もコーチらが中の詰まった棒で殴打したり、訓練生らに重傷を負わせていたから、コーチらと原判示の共謀をしたとの認定に疑問はない。また、戸塚ヨットスクールに就職したばかりのコーチは、右の方法による新人迎えや訓練方法を認識していても、自ら暴行を加えることをちゅうちょしていた面もあるが、本件各事件当時暴行を加えることをちゅうちょしていたコーチはいないから、右認定判断に疑問はない。そして、H、G、Iは、自ら暴行を加えることは少ないが、校長の被告人戸塚やコーチの被告人Aらが前記のような暴行を加えるのを容認し、新人迎えに行ったり訓練に当たる際には、自らも暴行を加えていたのであるから、共同正犯の責任は免れない。他方、戸塚ヨットスクールに関心を持つ者が、被告人戸塚らの活動に共鳴し、ときおり新人迎えなどに協力しているが、これらの者は、早朝体操や海上訓練の指導には毎日のようには加わっていないし、逃走した際の連れ戻しに関与することも少ないのであるから、被告人戸塚らとこれらの者との共謀については別途考慮すべきである。

罪となるべき事実の判示の点につき、共犯者の間で暗黙のうちに意思を相通じた場合、原判示の認定以上に共謀の成立を詳細に判示する必要はない。また、傷害の共同正犯では、自己の暴行に対応する傷害の結果はもちろん、他の共犯者が加えた暴行による傷害の責任を免れないから、共犯者が加えた暴行も、なるべく具体的に判示する必要があるとはいえ、共犯者全員の行為のすべてを具体的に判示する必要はないし、傷害致死の共同正犯では、暴行を加えた者に、その行為の都度、被害者の致死の結果の予見可能性や結果発生に過失を必要としないから、これらの点を判示する必要もない。逮捕監禁致死傷の共同正犯でも、これらの点は右と同様である。

六  違法性阻却の主張について

弁護人の所論は、事件発生当時の情緒障害児(正確には、成人も含める意味で「情緒障害者」というべきであるが、原審以来の表現に従う。)問題の実情を前提に、行為毎に違法性の阻却を検討すべきである、特別合宿生を迎えに行く際の有形力の行使と合宿所への連行、合宿所においての見張り行為、早朝体操及び海上訓練などで体罰として加える有形力の行使は、いずれも正当行為ないし正当業務行為として違法性が限却される、しかるに、原判決は、一般的に違法性が阻却されるか否か検討し、被告人戸塚らの行為の目的の正当性を認めるのみで、その余の要件を否定し、個別の行為毎に判断もしないですべて違法性を阻却しないと判断したのは、事実誤認及び法令適用の誤りである、というのである。

原判決は、違法性の阻却に関する事項について一般的に検討し、次に個別の事件について検討したものであるが、その検討方法は相当として是認することができるし、正当行為あるいは正当業務行為として違法性が阻却されないとの原判決の結論は、相当として是認することができる。

検討方法につき、原判決は、第四章の一の「正当業務行為として違法性がないとの主張について」の項で検討判断し(五〇五頁から五二八頁)、その2の項で有形力の行使の権限に触れ(五〇七頁から五一一頁)、3の項で一般的に検討すべき事項を指摘し、各事項について見解を述べ(五一一頁から五二四頁)、4の項で個別の事件に触れて違法性が阻却されるか検討し、それぞれ違法性を阻却しないと判断した(五二四頁から五二八頁)。本件各事件は、訓練過程の一連の暴行、訓練のための逮捕監禁、逃走したことに対する制裁としての暴行と類型化できるし、違法性阻却に関する検討事項も共通しているから、まず一般的に検討し、次に個別事件で個別事情を併せて検討した方法に、何ら問題はない。そして、訓練過程の暴行罪、傷害罪、傷害致死罪、特別合宿のための逮捕監禁罪、同致死傷罪は、いずれも包括として一罪となるから、個別の行為毎ではなく一連の犯罪毎に違法性の存否を検討した点にも問題はない。

違法性が阻却されないとの認定判断の点につき、原判決の検討内容のすべてに賛同できるものではないが、違法性が阻却されないとの結論は、正当として是認することができる。後記認定の特別合宿の実態に照らし、訓練過程の暴行、特別合宿のための逮捕監禁は、正当業務行為又は正当行為としても、他の事由に照らしても、違法性が阻却される余地はないし、問題行動に対する制裁ないし懲戒を理由に、体罰と称して加えた暴行も、同様である。

すなわち、関係各証拠によれば、次のとおりの事実が認められる。(1) 戸塚ヨットスクールでは、原判決第一章の二の1の「沿革」の戸塚ヨットスクールの訓練で情緒障害が改善されたとの記事が新聞に掲載された後、これまでの訓練方法が情緒障害児や非行問題を有する者の改善に有効であると考え、同2の「特別合宿の内容及び推移(北屋敷合宿所を使用するまでの状況)」のとおり特別合宿をするようになり、同3の「特別合宿の内容及び推移(北屋敷合宿所を使用していたころの状況)」の経緯をたどって同4の「特別合宿の内容及び推移(宮東合宿所を使用してからの状況)」のように実施するようになり、特別合宿生の意思に反してでも入校させ、暴力を行使して早朝体操及び海上訓練を強制するようになり、同5の「戸塚ヨットスクールの特別合宿生への対応」どおりの方法に至った。(2) 本件各犯行当時は、校長及びコーチが一致して訓練生らに厳しい方法でヨット操作を習得させる方針の下に、特別合宿生の親の依頼などにより特別合宿生の意思に反してでも入校させ、入校を拒否したときは暴行を加えて合宿所に連行し、一定期間は夜間合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込め鍵を掛けて収容し、合宿所又はその周辺での早朝体操及び海上訓練を強要し、合宿所又はその周辺から逃走しないように番外生及び警報装置などにより見張り、逃走すれば実力で捕まえてその意思に反してでも連れ戻し、逃走したことに対する制裁として暴行を加え、今後逃走しないように厳命した。(3) 被告人戸塚らは、特別合宿生の体力や健康状態を個別に考慮せず、早朝体操では約一時間にわたりランニング、腕立て伏せや腹筋、背筋、スクワット、握力の運動をさせたが、これらは入校したばかりの特別合宿生には到底こなせない量の運動であるが、できなければ罵声を浴びせ暴行を次々と加えて強制した。ヨット操縦訓練では当初簡単な操縦方法を短時間教え、後は一人乗りヨットに乗船させ、コーチが別の船から指示を与える方法で操縦させ、できなければ罵声を浴びせ暴行を次々と加え、独力で習得させる方法で訓練を続けた。そして、夕食後の午後八時ころから、新人の訓練生らや早朝体操の各種目を十分こなせなかった訓練生らに三〇分ないし一時間位の時間をかけて三階の男子訓練生の部屋で自主トレーニングと称して早朝体操と同じような体操をさせた(もっとも、健康状態が悪い者には免除していた)。(4) 合宿所では校長及びコーチに絶対服従を求めて反論を許さず、校長以下の指示に従わなければ暴行を加え、特別合宿生が右のやり方に異論をはさまないで黙って従うようになると、徐々に暴行を加えるのを減らし、ヨットの操縦が一応できるようになると番外生とし、自主トレーニングを免除したり新たに入った特別合宿生の指導の補佐をさせ、乙山病院に行く際の見張りや夜間の見張りをさせ、暴行を加えるのも少なくしていった。(5) コーチらは、被告人戸塚の指示で新人迎えに行ったが、出掛けたコーチは、特別合宿生の対応に応じて暴行を加え、迎えに来た自動車に乗せて合宿所に連行した。コーチらは、合宿所で早朝体操及び海上訓練に参加し、早朝体操がこなせなかったりヨット操縦ができない特別合宿生に次々と暴行を加えた。特別合宿生のなかには、ある程度体力があり要領もよくて暴行を加えられることが少ないものもいたが、大半の者は、指定された量の体操がこなせなかったりヨットの操縦ができないため、何度も暴行を受け、体操の多くの種目がこなせなかったり海上訓練が下手な者は、暴行を加えられることが多かった。そして、右のような扱いや暴行に耐えかね、多数の者が逃走を図ったが、コーチらは逃走した者に追跡して実力で連れ戻し、制裁として暴行を加えた。その結果、五四年二月L1、五五年一一月M、五七年八月T、S、同年一二月Uの五名が死亡し、相当数の者が意識を失って病院に搬送されて治療を受け、多数の者が骨折等の傷害を受け、大きな精神的被害を受けた者もいる。以上の諸事実が認められる。

なお、訓練生らのなかには理由もなく殴られたり蹴られたことはなかったと証言する者がいるが、その内のK"(六六回)は、二四歳で自分の意思で入校し、すぐに夜間の見張りを担当し、S"子(七〇回)は、自己の意思で入校し、I1(七四回)は、奄美大島における夏期合宿には卒業生として参加し、五七年一二月末二回目に入校した際当初から番外生として扱われ、N1子(八〇回)は、不整脈と診断され、運動量も少なくされていたものであり、右の者らの証言は右認定の妨げにならない。また、日曜日を利用した戸塚ヨットスクールの訓練に関する当審のO1子(三回)、五七年一二月から同年三月まで子供を入校させたP1子(七回)の証言を併せ考慮しても、右認定を左右するものではない。

右認定事実を前提に考慮すると、戸塚ヨットスクールにおける特別合宿生に対する訓練方法は、全くその人格を無視して罵声を浴びせ、次々といわれなき暴行を加えて過酷な運動を強制するという態様のもので、その程度も特別合宿生の心身を損ない、生命の危険を伴う強度で危険なものである。右のような強度の暴行を常態的に加える訓練方法は、情緒障害児を含めて、すべての国民の人権の尊重を基本原理とする我が国の法制下では到底許容される余地はなく、ヨットの操縦を習得させる手段としてはもとより、ヨット操縦の訓練を通じて情緒障害の治療や非行の改善を目指したとしても、その違法性は阻却されるものではない。また、右のような方法による訓練を実施するため、特別合宿生の意思に反して暴行を加えて戸塚ヨットスクールの合宿所に連行し、合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込めて鍵を掛けたり夜間交代で見張るなどし、日中も会宿所及びその周辺において見張るなどして行動の自由を制限する逮捕監禁も、許容される余地はない。以下、個別の所論に即して補足する。

1  情緒障害児に対し体罰を加えながら行うヨット訓練の正当性について

所論は、登校拒否、家庭内暴力、校内暴力、非行などに象徴される情緒障害児については、社会的にも大きな問題であり、家庭内暴力の児童等により家族の生命や身体が危険にさらされるほどであるが、これに対する国や地方自治体など公的機関の対応は不十分で現実的な対応をしていないなかで、戸塚ヨットスクールは、独自の訓練方法により、ヨットを操縦したこともない情緒障害児に対しヨットの引き起こし、帆走を繰り返し行わせることにより、海(自然)との闘いを克服してヨットを自らの意のままに操縦しうるとの自信を持たせ、学業その他日常生活の中において、人に伍して生活していくための原動力を養わせるものであり、その活動は社会的に有効であるから違法性が阻却される、という。

しかし、国や地方自治体、医療機関や教育矯正関係機関も情緒障害児の問題は重要な社会問題と認識しているのであって、決してこれを放置している訳ではないし、被告人戸塚は、所論のような方法でヨット訓練をさせて情緒障害児の問題を克服させようと考えたとしても、そのような方法は到底許容されるものではないし、右認定の方法が情緒障害児に対する速効性のある治療方法として最善と考えていたとしても、違法性の存否に影響を及ぼすものではない。

すなわち、情緒障害児問題及び少年非行の問題はそれ自体重大な社会的問題であり、他の多くの社会問題と同様早期に解決が望まれる課題で、専門家あるいは関係機関のみならず、多くの関係者が協力し、人権を尊重しつつ、創意工夫をこらして解決すべきものであるし、現に、国、地方自治体、専門家及び関係機関も研究しているのであり、これらの機関が当時目に見える形で大きな実績を挙げていなかったとしても、もとより右問題を放置していたものではない。そして、情緒障害の治療、非行の矯正は、医師の医療行為や矯正機関の矯正教育に係わる専門的なものであり、医学知識あるいは非行に関する専門的知識も十分でない者がこれに貢献しようとしても自ずから限界がある。民間施設が独自の工夫をこらして問題解決に尽力する行為を全く否定するものではないが、戸塚ヨットスクールでは、情緒障害児の問題を体系的に研究したり、非行問題に関する家庭裁判所の活動、少年鑑別所の心身鑑別、保護観察所の保護観察、少年院での矯正教育について特に研究した実績はない上、ヨット訓練による改善理由を科学的に分析したものでもないし、訓練後の訓練生らの動向を系統的に追跡調査もしていない。また、被告人戸塚が実践を通じて得られたとする考えを脳幹論という理論に整理統合し、本件一連の犯行当時の訓練方法も右理論により裏付けられていると独自に考えたとしても、訓練生らの人格を無視し、強度の暴行を加えて行う訓練方法は、健全な社会通念上情緒障害の治療方法として到底許容されるものではない。

2  懲戒権等の委託について

所論は、情緒障害児や非行少年の不登校や家庭内暴力、シンナー吸引などの非行に苦悩する親達が、未成年者に対する自らの懲戒権を被告人戸塚らに委託し、成人の子供に対する両親らのこれに準ずる権限を被告人戸塚らに委託し、被告人戸塚らは、右委託された懲戒権を必要な範囲内で行使したから有形力の行使も懲戒権の行使として違法性が阻却される、という。

しかし、原判決がこの点に関し第四章の一の2の項で説示するところ(五〇七頁から五一一頁)は、相当として是認することができる。

若干補足すると、未成年者に対する親権者の懲戒も、社会通念上許容される限度を超えれば親権の濫用になり、暴行傷害罪、逮捕監禁罪などの犯罪が成立するのであり、親権者の懲戒権を他の者や団体に委託でき、これらの者が加えた行為が懲戒と解する余地があるときでも、社会通念上許容される限度を超えた暴行による懲戒には犯罪が成立するところ、戸塚ヨットスクールにおける前記のような暴行は右限度を超えていることは明らかであり、懲戒権の範囲内の行為として違法性が阻却される余地はない。

3  居所指定権の行使、訓練施設への入校について

所論は、情緒障害児の親権者や親は、子供の意思に反して訓練施設に強制入校させ訓練を強制できる、という。

しかし、親権者には未成年の子に対する居所指定権があるが、その権限は子の福祉に適合するように適正に行使されなければならず、事情を知りつつ、前認定の戸塚ヨットスクールのような違法過酷な訓練方法を行う訓練施設に入校させたとすれば、その居所指定権の行使は権利の濫用というべきである。次に、民法八二二条は、成人に達しない子の親権者に対し必要な範囲でその子を懲戒する権限を与えたものであって、右規定は成人に達した子の親には適用も準用もされないことは明らかであるから、これらを根拠に成人の子に対しその意思に反して戸塚ヨットスクールに入校させる措置を是認することもできない。したがって、特別合宿生の意思に反して戸塚ヨットスクールの合宿所に収容して行動の自由を制限する逮捕監禁は、違法性を阻却しない。なお、関係各証拠によれば、特別合宿生の両親らは、子供の指導に苦慮し、専門家や相談機関に相談しても速効性のある治療方法の教示を受けられないため、戸塚ヨットスクールに入校させたとしても、前認定のような日常的に過酷な暴行を加えることを承諾したとまでは考えられない。承諾による違法性阻却を認める余地もない。

4  収容治療等の目的の正当性等について

所論は、被告人らの体罰は、原判決第四章の一の3の項で指摘するような各点(①戸塚ヨットスクールの方針の下で収容訓練する目的の正当性、②特別合宿生として入校した者を家庭から隔離し、収容治療、矯正教育を施す必要性、③手段の相当性、④結果の重大性などの要素)の要件を充足するし、仮に②の関係で収容治療、矯正教育の緊急性が必要であるとしても、その要件も充足するから、違法性が阻却される、という。また、特別合宿生を連行する行為、合宿所に収容して監視する行為などの逮捕監禁行為については、⑤特別合宿生に対する安全配慮、引率責任の観点からも違法性が阻却される、という。

しかし、①の目的の正当性の点につき、正当性は認められない。

すなわち、先に認定したとおり戸塚ヨットスクールの訓練方法は、健康や生命を損なう危険が高いから、このような方法による訓練をする目的は正当として容認される余地はない。原判決は、「家庭内暴力、非行、登校拒否等の状態を示す子供の教育に困難を感じた父母らからの依頼を受けて、被告人らが、その子供の治療、矯正を意図して」新人迎えによる強制連行などをしたから「逮捕監禁(致死、致傷)事件については、目的の正当性は、これを肯定できるし、早朝体操や海上訓練を強制するために加えられた有形力の行使についても、基本的には、治療、矯正効果を上げることを意図して加えられたものと認められ、その多くについて、一応目的の正当性を肯定できる」とか、「入校直後に戸塚ヨットスクールが従来生活してきた場所とは違うところであることを知らしめるために加えられた暴行や合宿所内での規律違反に対する制裁として加えられた暴行など」や「合宿所から逃走した者に対し、逃走した制裁として加えられた暴行、傷害について」は「合宿生活の秩序維持、特別合宿の目的達成のための懲戒行為としての面を否定できず、その限りにおいては、目的の正当性を肯定できないものではない」という(五一二頁、五一三頁)。しかし、被告人戸塚らは、情緒障害児の治療を意図していたとしても、特別合宿生の人権を尊重して生命身体の安全、精神面の保護に配慮しながら訓練しようとしたものではなく、前認定のとおり社会通念上許容される余地のない危険かつ強度の暴行を常態的に加える独自の訓練方法を通じて情緒障害を克服しようと考えていたものであるから、すでに目的自体の正当性が失われているのであり、目指した目的のみを取り上げて目的の正当性がある行動と評価すべきものではない。目指した目的は、せいぜい犯情の一つとして考慮する程度のものである。まして、逃走者に対する暴行はもとより、入校者に戸塚ヨットスクールが従来生活してきた場所とは違うところであることを知らしめるために加える暴行まで、目的の正当性を有するとは到底考えられない。

これに対し、所論は、重大な社会問題になっているのに、国内にはこれを適切に対応するシステムがない現状において、戸塚ヨットスクールの訓練方法における強制入校や一部体罰の人権侵害の面のみ過大に見て違法視すべきではない、というが、その訓練方法は余りにも過酷かつ危険であり、健全な社会通念上到底許容される余地はない。

また、所論は、被告人戸塚のヨット訓練による情緒障害児の指導理論である本能重視論は、その後理論的発展を遂げ、脳幹論という理論にまとめられ、精神力強化による情緒障害児の立ち直りの理論的根拠があり、これまでの実績にも裏付けられている、というが、精神力の強化だけで情緒障害が改善されるとはいえない上、そもそも精神力を強化する道程が問題であり、そのための訓練だからといって、著しく人権を侵害し生命身体に危険を及ぼす訓練方法が許容されるものではない。

②のうち収容治療及び収容矯正教育の必要性の点につき、その必要性は認められない。

すなわち、戸塚ヨットスクールの合宿所に収容して強度の暴行を加えながら行うヨット訓練は、特別合宿生の人格を無視し生命身体を損なうものであり、このような著しく危険な訓練方法を医学や矯正教育の専門家でもない者が医療機関や教育関係者の十分な協力もないまま実施することを許容する余地はない。そして、入校した訓練生らにとり、右のような訓練を意思に反して強制される必要性もない。

これに対し、所論は、戸塚ヨットスクールの訓練方法は、医療のうち収容治療の一つである、というが、情緒障害の治療の一つとして家族と引き離し集団生活をさせる収容治療の方法があるとしても、被告人戸塚らは前認定の方法による訓練をさせるために合宿所に連行して逃走を防いで逮捕監禁したものであり、他に情緒障害を克服するための心理療法やグループ活動などをしているわけでもないから、一つの建物の中に収容する点で収容治療と類似しているからといって、情緒障害の収容治療の実質を具えるものではない。

また、所論は、子供の情緒障害に悩む多くの親が専門家や関係機関に相談したり、子供に治療を受けさせても、具体的な改善方法を指示されないし、治療によっても改善もみられないため、戸塚ヨットスクールに救いを求めてきたものであり、戸塚ヨットスクールの活動は社会的にも必要である、というが、右のような経過で戸塚ヨットスクールに入校を依頼する者がいたことは認めるとしても、前認定の戸塚ヨットスクールの訓練方法が社会的に必要であるとか、是認されるとはいえない。

更に、所論は、戸塚ヨットスクールでは医師の協力を得て医療体制を整えており、M及びUも協力関係にある乙山病院で受診しておれば死亡しなかった可能性がある、という。しかし、関係各証拠によれば、J医師は、Mが死亡するまで戸塚ヨットスクールの訓練を見学したことはない上、健康診断の結果を踏まえMやUの訓練を半分位にするよう指示したというが、Mについて被告人Cは具体的な指示は受けなかった(乙162)、被告人戸塚も注意は聞いていない(乙145)とも供述しており、その指示が正確に伝達されているか疑問があるし、被告人Aらは両名の早朝体操や海上訓練の量を大きく減らしていない上、被告人Aは寝込んでいるUに海上訓練を強制したから、その指示に従い訓練がなされていたともいえない。また、被告人戸塚は、健康を損ねたMを乙山病院で診療を受けさせるよう指示したのに、Mは、J医師の都合で同病院で診療を受けることができず、結局治療を受けないまま死亡しているし、意識を失って倒れたUは、乙山病院に搬入されたが、医師が不在のため看護婦による酸素吸入等の応急措置を施されただけで、常滑市民病院に転送されている。そうすると、J医師の協力を得ているとはいっても、その医療体制は全く不十分といわざるを得ない。

②のうち情緒障害の収容治療及び非行性の矯正教育の緊急性の点につき、緊急性も認められない。

すなわち、情緒障害児に対しては精神科医師等の治療、精神病院等への入通院、非行少年に対しては家庭裁判所の保護関係措置、保護観察所の保護観察、少年院での矯正教育などがあるのであり、特別合宿生を前記のとおり情緒障害児の収容治療機関あるいは非行少年の収容矯正教育機関の実質を具えていない戸塚ヨットスクールに収容し、生命身体に対する危険性が著しく高い過酷な訓練を受けさせる緊急性があるとは到底考えられない。

③の手段の相当性の点につき、前認定のような収容方法及び訓練方法は、特別合宿生の人格を無視し、暴行を前提とする生命身体に対する危険を伴うもので、現に多くの悲惨な結果を伴っており、理論を実践するとしても生命身体の安全を確保し、人権を尊重する方法でなされなければ、社会通念上手段としての相当性を有するとはいえない。

④の結果の点につき、この点に関する原判決第四章の一の3の④の認定説示(五二三頁、五二四頁)は、関係証拠に照らし是認できる。

若干補足すると、審理されている事件でもM、T、S、Uが死亡し、多くの者が負傷しているし、心身に大きな損傷を残さず訓練の課程を一応終えた者の間でも、訓練効果が上がったと考える者から、その場の暴行を逃れようと指示に従っていたが実際の効果があったのか疑問があるとする者まで様々であり、人権を無視し様々な傷害や傷害致死などの結果を招いてまでする訓練の結果として、それに優越する治療効果又は矯正効果があったともいえないし、当審における事実調べの結果を合わせて検討しても、同様である。

⑤の逮捕監禁罪に関する安全配慮義務の点につき、もともと被告人らが特別合宿生をその意思に反して、保護されて安全な自宅等から連行し、合宿所に収容監視して、その行動の自由を継続的に制限したのは、生命身体に対し危険を伴う訓練を課すためであり、特別合宿生の安全配慮のためにそうしたものではないから、安全配慮の観点から逮捕監禁の違法性が阻却されるものではない。

⑤の逮捕監禁罪に関する引率行為の点につき、宮東合宿所から異なる施設に特別合宿生を連行し、そこで前同様の訓練をするため、その行動を見張り、仮に逃走すれば実力で連れ戻していたから、その監禁の違法性も阻却されない。なお、移動中の見張りは、若年者の集団が旅行する際の引率者の引率行為と外観上類似している面があるが、任意参加の旅行では参加を拒否することも、途中から離脱することもできるのに対し、特別合宿生は参加を拒むことも途中から離脱することもできないし、仮に逃走すれば実力で連れ戻されるのであるから、その間の監禁の違法性も阻却される余地はない。

以上のとおり訓練過程における一連の暴行、合宿所に連行して行動の自由を制限する一連の逮捕監禁、合宿所から逃走したときなどに制裁として加える暴行の違法性は、一般的に阻却されない。

第二M事件(被告人戸塚、同A、同C、同B、同F)

一  審判の請求を受けない事件を審判した、理由不備、訴訟手続の法令違反の主張について

弁護人の所論は、起訴状の公訴事実は、Mは、五五年(以下この項では五五年の記載を省略する。何らの記載のないときは五五年のことである。)一一月四日午前零時ころ被告人戸塚、同A、同C、同B、同F、Gら六名(以下、「被告人戸塚ら六名」という。この項で被告人戸塚ら六名とはこれらの者をいう。)の暴行による外傷性ショックで死亡したというものであるのに、原判決は、Mは出血性肺炎という病気で死亡したと認定しながら、被告人戸塚ら六名の暴行とMの死亡との間には因果関係があるとして、被告人らに傷害致死罪を認定したのは、審判の請求を受けない事実を審判した。仮に公訴事実と原判示の事実との間に同一性があるとしても、原審が原判示の事実を認定するには、被告人らの暴行とMの死亡原因との因果関係について訴因変更をし、少なくとも右の点を争点として顕在化すべきなのに、原審がこれらの手続を経ないまま原判示の事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である。また、原判決は、Mの死体にみられる損傷を被告人戸塚ら六名の暴行による損傷か否か具体的に特定せず、個別の暴行によるMの損傷を具体的に特定していないから、原判決には理由不備がある、というのである。

そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果を加えて検討すると、Mは、後記のとおり被告人戸塚ら六名の加えた一連の暴行による外傷性ショックにより死亡したと認定することができるのであり、原判示の認定は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である。しかしながら、原判示の認定によっても、原判決が審判の請求を受けない事実を認定したものではないし、原判示の事実を認定するために訴因変更手続が必要であるとはいえないし、所論のような理由不備があるともいえない。

原判決は、第一章の三の2の(罪となるべき事実)において原判示のとおり認定し、3の(M事件についての補足説明)(以下「補足説明」という。この項では何らの記載がないときはこの補足説明をいう。)の①の項において、Mは、外傷性ショックではなく出血性肺炎という病気で死亡したと認定し、補足説明の②の項において、被告人戸塚らが加えた暴行によるMの体内外の「損傷は、死亡の唯一の原因又は直接の原因であるとは認められないとはいえ、創傷の部位、程度についての矢田鑑定の所見やMが死亡するに至る経緯などからも、寒冷暴露、過労といった状況下にあったMの体力を消耗させ、M死亡の結果の原因となっていると認められるのであって、出血性肺炎との死因を考慮しても、損傷と死亡の結果が極めて偶然的な関係にあるとはいえない」と説示した(一三四頁)。そうすると、原判決は、Mは、出血性肺炎で死亡したが、被告人戸塚ら六名がMに加えた一連の暴行による損傷は、寒冷暴露や過労の状況下にあるMの体力を消耗させ、Mの死亡原因となっているから、右暴行とMの死亡とは極めて偶然的な関係ではなく因果関係がある、というのである。

右事実を前提に検討すると、審判の請求を受けない事実を認定した点につき、暴行が唯一又は直接の原因で被害者が死亡した場合のほか、暴行が間接的原因で死亡しても、暴行と被害者の死亡との間に相当因果関係があれば、傷害致死罪が成立するところ、原判決は、被告人戸塚ら六名の一連の暴行は、寒冷暴露や過労の状況下にあるMの体力を消耗させる程度であるが、Mの死亡の原因となっているというのであるから、右暴行が直接の死亡原因であるとの公訴事実に対し、原判決は間接の死亡原因にすぎないと認めたものであり、加えた暴行が身体に及ぼした影響を縮小して評価したものにすぎず、公訴事実と異なる事実を認定したものではない。

訴因変更の点につき、原判決の認定は、前記のとおり加えた暴行が身体に及ぼした影響を縮小して評価したものである上、Mは出血性肺炎で死亡し、被告人戸塚らの暴行が直接の原因で死亡したものではないとの点で、原審弁護人の主張に沿う事実を認定し、右暴行が間接の原因であるとの点で、原審弁護人の右暴行がMの死亡に間接的にも影響を及ぼしていないとの主張を排斥したものにすぎないから、原判示の認定が被告人戸塚らに不意打ちを与えるものでもない。これらによれば、原判示の認定にあたり訴因変更の手続が必要であるとはいえない。

理由不備の点につき、原判決は、Mの死体にみられる損傷の大半は被告人戸塚ら六名の一連の暴行により生じたものと認定しているし、具体的にどの損傷がどの暴行により生じたかまで判示する必要はないから、原判示の認定が理由不備であるとはいえない。論旨はいずれも理由がない。

二  関係証拠に対する訴訟手続の法令違反の主張について

1  特別合宿生らの供述調書について

弁護人の所論は、特別合宿生であるQ1(甲400)、R1(甲402)、S1甲404)の各検察官調書につき、Q1らは供述不能ではないし、特信情況もない、T1の司法警察員調書(甲446)は、特信情況もないし、犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものではないのに、右各検察官調書を刑訴法三二一条一項二号により、司法警察員調書を同法三二一条一項三号により採用したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

まず、Q1、R1、S1、の三名は、原審の証人尋問当時には細部の記憶が乏しく、細部について証言不能であったり、細部の証言は検察官調書と相違しており、右各検察官調書には特信情況も認められるから、原審がこれらを刑訴法三二一条一項二号により採用し、事実認定に供したことに瑕疵はない。

すなわち、Q1は、六〇年五月一三日の一九回及び同年六月四日の二〇回に証言したが、Mに対する被告人戸塚らの暴行の細部については記憶がないが、検察官には当時の記憶に従って供述し、そのとき直ぐに思い出せない点はその前に供述した供述調書を読んでもらい、記憶を喉起して供述したと証言している。右細部については証言不能であり、証言した細部は五六年一二月一一日付検察官調書(甲400)と相違する。そして、同調書は、具体的詳細であり、格別不自然な点もなく、他の特別合宿生の原審証言や検察官調書と多くの点で符合している。なお、Q1は、かつて学校のガラスを割ったことがあるとはいえ、検察官に迎合し自己の問題行動を正当化するため虚偽の供述をした疑いはない。Q1は、コーチがボートの縁に両手を掛け、足を海中の訓練生の肩に乗せ、力を入れて海中に深く沈めることを人間爆弾と称する旨供述しているが、戸塚ヨットスクールではボートから海に浮かぶ訓練生らを目掛けて飛び込むことを人間爆弾と称していたのと相違しているからといって、所論のように検察官が不当な示唆を与えて供述させたとはいえない。また、Q1は、一一月二日の海上訓練に被告人Cが参加したと供述しているが、関係証拠によれば、被告人C、同B及び同Fは、当時自動車学校に出掛けており、右の点は事実に反しているが、相当期間にまたがる出来事の一部に誤りがあるからといって、他の特徴的な出来事に関する供述まで虚偽であるとはいえない。これらによれば、特信情況が認められる。

R1は、六〇年四月二二日の一八回に証言したが、暴行態様など細部の記憶が乏しいことは明らかである。R1は、検察官に当時の記憶のまま供述したと証言するところ、五六年一一月二四日付検察官調書(甲402)は、具体的詳細で、不自然な点もなく、他の特別合宿生の証言や検察官調書と符合している。なお、R1は、被告人Cが竹の棒様のものでMの背中をたたいた瞬間は目撃しておらず、他の者から聞いたことも供述したと証言し、また、かつて登校拒否をし、二か月足らずで戸塚ヨットスクールを退校していった者であるとしても、検察官に迎合して虚偽の供述をしたとはいえない。これらによれば、特信情況が認められる。

S1は、六〇年五月一三日の一九回に証言したが、多くの点について記憶が乏しいことが明らかである。S1は、検察官に当時の記憶どおり供述したと証言するところ、五六年一一月一九日付検察官調書(甲404)は、具体的詳細であり、他の特別合宿生の証言、検察官調書と符合している。S1は、四三年三月生まれで、M事件当時一二歳、事情聴取当時一三歳であるが、ある程度の期間合宿所で訓練を受けていたのであるから、その間の訓練内容とコーチらの暴行を記憶していたことに疑問はないし、特別合宿に参加したことは嫌な思い出であり忘れたいと思っている、はっきりした記憶もありませんとも供述しているが、自己が受けた暴行内容やMと接触した状況については具体的に供述しているのであり、記憶している範囲で誠実に供述した点に疑問もない。これらによれば、特信情況が認められる。

次に、T1は、一一月五日司法警察員に供述したが、五八年八月三一日死亡したことは明らかである。T1の司法警察員調書(甲446)は、Mが死亡して間もなく北屋敷合宿所で供述したものであり、不自然不合理な点もないし、他の特別合宿生の証言や検察官調書と符合しており、特信情況が認められる。そして、本件について相当数の特別合宿生が証言し、相当数の検察官調書も証拠調べされているが、本件の事案の内容、審理の情況に照らし、右司法警察員調書は犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものである。

以上によれば、いずれも証拠能力が認められるから、論旨は理由がない。

2  被告人らの供述調書について

弁護人の所論は、逮捕勾留された後の被告人A(乙154、155、156)、同C(乙164、165、166、167、168、170)、同B(乙175・476、176・477、177・478、178・479)、同F(乙183、184、185)の各検察官調書は任意性もないし、特信情況もない、被告人Fの五六年一二月三日付検察官調書(乙182)、原審相被告人Gの五六年一二月七日付検察官調書(乙188)は特信情況がないのに、原審は、被告人A及び被告人Cを取り調べた検察官の証人尋問をしただけで、他の検察官の証人尋問をしないまま、当該被告人らの関係で刑訴法三二二条一項により、他の被告人の関係で同法三二一条一項二号により採用し、これらを事実認定に供したのは判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、という。

しかし、M事件の逮捕勾留過程に違法な点はなく、被告人Aらの右各検察官調書の任意性に疑問はない。また、被告人らの原審供述は、前記各検察官調書とそれぞれ相違していることは明らかであるし、特信情況も認められる。そして、前記のとおり任意性及び特信情況の存否を検討する上で、必ず取調べ検察官を証人尋問しなければならないものではない。

すなわち、任意性の点につき、被告人A、同C、同Bは、暴走族事件やU事件に続いてM事件で逮捕勾留されたが、M事件は、入校後間もないMが多数の損傷を残して死亡した傷害致死という重大事件で勾留の理由も必要もあるから、同事件による逮捕勾留に問題はなく、当初の逮捕から約四か月を経過しているが不当に長い身柄拘束とはいえないし、代用監獄での分散留置にも問題はない。そして、捜査官が被告人Aらに過酷な取調べをしたとか、偽計、利益誘導、脅迫等を加えたとの事情も認められない。なお、被告人Cは、五八年一〇月四日にM事件で起訴されたから、被告人Cの同年一〇月七日付検察官調書(乙170)は起訴後三日目に取り調べられたものである。しかし、右取調べ当時M事件の公判は何ら進行していないし、被告人Cは、その後も他の事件で取り調べられ、同月一三日X"に対する傷害事件等、同年一一月二五日あかつき号事件等で起訴されたこと、検察官は、右検察官調書を起訴分全部、殊にM事件との立証趣旨で申請したもので、その内容も示された竹、木、角材などについて供述したものである。これらによれば、右検察官調書は、M事件における被告人としての立場を侵害するものではないから、証拠能力に疑問はない。

そして、被告人Aは、検察官に対しMに体罰を加えた記憶もない、他のコーチも太股を蹴ったり尻を叩く程度のことはしていると思うが、具体的な記憶はないなど、被告人Cは、Mを殴ったり蹴ったりした具体的記憶はない、体操をさぼっている生徒がいれば殴ったり蹴ったりして体操をさせるのが戸塚ヨットスクールの教育方針であるから、殴ったり蹴ったりしたと思う、見ていた生徒に聞いてもらえれば正確なところが分かると思いますなど、被告人Bは、私達の負わせた怪我はMの死亡の大きな原因となっていないなど、被告人Fは、一〇月三一日早朝体操の際被告人Cがホースで顔に水を掛けた、Mは体操などをしなかったが、被告人戸塚や他のコーチは殴ったり蹴ったりしなかったなどと供述している。そうすると、被告人Aらは、検察官らに自己の弁解を尽くしており、検察官に迎合して供述した疑いもないから、その任意性に疑問はない。

次に、特信情況の点につき、被告人A、同C、同B、同F、Gの原審における各供述は、それぞれ前記各検察官調書と相当相違するところ、同被告人らは、連帯して公訴事実を強く否認している被告人戸塚や他の被告人らの面前では真相を供述しにくい事情があると認められる。右各検察官調書は、Mに加えた暴行についてその一部しか供述していないが、Mに加えた暴行部分やMの身体が損なわれていく経過は、多くの点で相互に合致し、特別合宿生の原審証言や検察官調書とも符合している。これらによれば、右各検察官調書にはそれぞれ特信情況が認められる。

そうすると、原審がこれらを採用し、事実認定に供した点に瑕疵はない。論旨は理由がない。

三  傷害致死に関する事実誤認、法令適用の誤りの主張について

検察官の所論は、被告人戸塚ら六名は、Mに対し原判示暴行以外にも他の暴行を加え、他の暴行を含む一連の暴行によりMに多数の損傷を与え、その外傷性ショックにより死亡させたのに、原判決は、被告人戸塚ら六名の加えた暴行を縮小して認定し、Mは出血性肺炎で死亡したものであり、原判示の暴行はMが死亡した間接的原因にとどまるとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

弁護人の所論は、多岐にわたるが、要するに、被告人戸塚ら六名は、原判示のような暴行を加えておらず、加えた暴行がMに与えた損傷はわずかである、Mは出血性肺炎で死亡し、死体にみられる損傷も多くは自損行為により生じたものであり、被告人戸塚らが加えた暴行は、Mの死亡に間接的にも原因となっておらず、Mの死亡との間に相当因果関係も条件関係もない。しかるに、原判決は、Mの死体にみられる損傷の大半は被告人戸塚らの一連の暴行によるものと推論した上、被告人戸塚らが実際に加えた暴行、Mの損傷の成因、右暴行とMの死亡との因果関係を誤認し、右暴行によりMに負わせた傷害を具体的に特定することなく、Mの死亡との因果関係を認め、被告人戸塚ら六名に傷害致死の共同正犯を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認であるとともに、傷害、傷害致死、因果関係、共同正犯に関する判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りである、というのである。

記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果を加えて検討すると、関係証拠によれば、被告人戸塚ら六名は、身体に異常のないMに対し原判示の暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制し、顔面、背部、腰部、上下肢等に多数の皮下出血、表皮剥離、肺に出血と浮腫、心臓、腎臓にうっ血等の損傷を負わせ、これらによる外傷性ショックによりMを死亡させた、と認定することができるのであり、Mの死因、右一連の暴行とMの死因との因果関係についての原判決の認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある。被告人戸塚ら六名の原審における供述、被告人戸塚、同A、同C、同B、同Fの当審における供述中、右認定に反する部分は信用できない。以下、個別の所論に即して補足説明する。

1  Mの入校前の健康状態について

弁護人の所論は、Mは、戸塚ヨットスクールに入校当時、何事にも無気力で、防御反応に乏しく、精神的に異常であったのに、原判決のこの点に関する認定には事実誤認がある、という。

しかし、原判決第一章の三の1の(犯行に至る経緯等)の事実認定(六八頁から七三頁)は、関係証拠に照らし相当として是認することができる。すなわち、Mは、入校前、身体的には普通の健康状態で、精神面にも日常生活に支障を来すような格別の異常があるとは認められず、所論のように何事にも無気力で精神的に異常であったとはいえない。

なお、Mは、入校した翌日の一〇月三一日午前に乙山病院で身体検査を受け、検尿では蛋白プラス2、潜血プラスで、腎臓疾患を疑う、心電図では洞性頻脈、心臓に軽度の疾患を疑う、耳血検査では白血球増多、二万五〇〇〇、好中球多く、リンパ球少し、身体のいずれかの炎症を疑うと診断され(甲165、166)、J医師は、Mには内臓疾患あるいは腎臓疾患等の疑いがあり、病弱な面がある、海上での通常の訓練ならさしつかえないが、長く海中に浸かったり厳しい訓練を実施すれば肺炎等の病気を併発するおそれがあると認めたと証言する(六七回)。しかし、Mは、入校前には身体に格別異常はなく、入校後インフルエンザ等の疾病にり患したものではないこと、Mは、原判示のとおり一〇月三〇日に暴行を受けて北屋敷合宿所に連行され、翌三一日暴行を受けて早朝体操を強制され、その後の身体検査で右症状を示したこと、白血球の増加に関する矢田昭一(一五回)、渡辺博司(一三回)及び内藤道興(一六回)の各証言によれば、新人迎え時の暴行及び翌日の早朝体操時の暴行の影響により白血球が増加したものと認められることに照らし、Jの右証言は、診察当日のMの健康状態の限度でしか信用できない。また、右暴行による障害が白血球増加に影響しているか不明であるとの補足説明の説示(一二四頁)には誤認がある。

2  個別の暴行について

検察官の所論は、原判示の暴行以外にも、一〇月三一日の早朝体操時に被告人CがランニングをしているMの背部及び頭部等を竹の棒で殴打し、被告人戸塚が腕立て伏せをしているMの身体を棒で殴打するなどの暴行を加えているのに、原判決が原判示の暴行以外に他の暴行を加えなかったとの趣旨ならば、右の暴行を認定しないのは事実誤認である、という。弁護人の所論は、戸塚ヨットスクールではヨット訓練による自力回復の目的を達成するのに必要な範囲で体罰を加えており、何の合理的な理由もないのに体罰を加えていないし、訓練に支障のある体罰や私刑的な暴行を加えたことはない、被告人戸塚及び被告人Aは、Mの健康に配慮して暴行を加えていないのに、原判示の各暴行を認定したのは事実誤認である、という。

しかし、原判示の暴行について、各所論のような事実誤認があるとは認められない。

すなわち、検察官の所論につき、原判決は、第一章の二の5の③、④の項で被告人戸塚らが早朝体操及び海上訓練を強制する際体罰と称して様々な暴行を加えていることを一般的に認定し、第一章の三の2の(罪となるべき事実)で原判示の暴行を認定し、その際被告人戸塚が「Mの頭部をつかんで顔を海水につけるなどした」(八〇頁五、六行目)と認定し、補足説明の②のⅡの項でMの死体の損傷の大部分は被告人戸塚ら六名の一連の暴行により生じたと認定説示している(一三四頁から一三八頁)のであるから、原判決は、被告人戸塚らが原判示の暴行以外に他の暴行を加えていないと認定したとは解されない。そして、原判示の暴行とMの死亡との間には後記のとおり因果関係が認められるから、原判決が、所論のように他の暴行を判示しなかったからといって、原判決に事実誤認があるとはいえない。

弁護人の所論につき、関係証拠によれば、原判示の各暴行を認定することができるのであり、右認定に反する被告人戸塚らの原審及び当審における各供述は信用することができない。

まず、一〇月三一日早朝体操の際、被告人CがホースでMの頭から全身に水を掛けた点は、被告人Cにもう一度二、三秒水を掛けさせたとの被告人戸塚の原審供述(一一六回)、被告人Fの五六年一二月三日付検察官調書(乙182)により認められ、被告人Cが腕立て伏せのできないMに竹の捧で背中や臀部を一〇回位殴り付けた点は、R1(甲402)、S1(甲404)の相互に符合する各検察官調書により認められる。ランニングが終わってからMが早朝体操の場に来たとの被告人Cの原審供述は、被告人Cが合宿所の外に出たMの処理に当たっていたとの被告人Bの一一月四日付司法警察員調書(乙171)とも相違し、暴行を加えなかった点を含め信用できないし、当審における供述も同様である。また、被告人A、同B、同FがMの頭部や身体をこもごも殴り付けた点は、R1、S1の各検察官調書、被告人Bの五六年一二月四日付検察官調書(乙174)、五八年九月二九日付検察官調書(乙176)により認められる。被告大戸塚がMの頭部付近を手で殴り付けた点は、R1の検察官調書により認められる。

一〇月三一日昼ころ甲野旅館駐車場でMを取り囲んだコーチの一人がMの胸や腹付近を足蹴りした点は、H2子の証言(六三回)により認められる。Q1、S1は、多くのコーチがMを取り囲んでいるのを認めているのであるから、H2子が右暴行を見たとの証言に不自然不合理な点はなく、虚偽の証言をした疑問はない。I2子は、平成元年一月二〇日の七六回で甲野の調理場から駐車場にいる二〇人位のコーチと訓練生を見たと証言するのであるから、H2子の証言に疑問が生ずるとはいえない。

一〇月三一日午後の海上訓練中、被告人Bがモーターボート上から動こうとしないMの顔面を平手で殴り付けるなどした点は、Q1(甲400)、S1(甲404)の各検察官調書により認められる。被告人戸塚が海岸付近でMの頭部をつかんで顔を海水に浸けるなどした点は、L子の証言(六一回)により認められ、同証言の信用性に何ら疑問はない。

一〇月三一日午後四時ころGを除くコーチらがMの身体をこもごも殴打足蹴りした点は、S1の検察官調書(甲404)により認められる。

一一月一日の早朝体操の際、被告人Aが竹の棒でMの身体を殴打した点は、被告人Aの五六年一二月八日付検察官調書(乙152)などにより認められる。被告人戸塚からMには配慮して訓練するよう指示を受けていたから、右のような行為に及ぶはずがないとの被告人Aの原審の供述は、右検察官調書と対比し信用できない。被告人Cが竹の棒でMの身体を殴打した点は、R1(甲402)、S1(甲404)の各検察官調書により認められる。GがMの顔面を平手で数回殴り付けた点は、Q1(甲400)、S1の各検察官調書、Gの五六年一二月七日付検察官調書(乙188)により認められる。なお、Gは、検察官に対し前年一一月五日警察官にMの顔を平手で二、三回叩いたと供述したならばそのとおり間違いないと供述したが、所論のようにそれは訓練状況を一般的に供述したにすぎないとはいえない。

一一月一日午後の海上訓練の際、被告人Cが水抜き栓をはめ忘れたMをヨットから海に突き落とした点は、R1(甲402)、Q1(甲400)の各検察官調書により、被告人Cが海に浮いているMの身体付近を目掛けて足から飛び込むようにしてMの身体を海中に沈めた点は、R1の証言(一八回)、U1の証言(二〇回)により、被告人Cがモーターボートに引き上げたMの背中付近をマストの先の金属製部品で殴り付けた点は、R1の証言によりそれぞれ認められる。

その他弁護人の所論を子細に検討しても、原判示の暴行に事実誤認があるとは認められない。各論旨は理由がない。

3  Mの死体に認められる損傷について

弁護人の所論は、Mの死体にみられる損傷の大半は、表皮剥離と皮下出血であり、Mが早朝体操で転倒したり海上訓練で自損事故により負傷したものであり、被告人戸塚らの暴行により負傷したものではない、という。

しかし、補足説明②のⅡの項の、Mの損傷の相当部分は、被告人戸塚ら六名の一連の暴行によるとの認定(一三四頁から一三八頁)は、関係証拠に照らして相当として是認することができる。

若干補足すると、一一月七日付現場写真撮影報告書(甲153)、一一月一五日付実況見分調書(甲154)、矢田昭一作成の一一月二七日付鑑定書(甲155)などによれば、Mの死体に多数の損傷があることは明らかであるが、原判示のとおり顔面、背部、腰部、上下肢等に合計九二群の創傷(皮下出血、表皮剥離等)が、体内の心臓、腎臓、副腎にはうっ血、肺には暗紫褐色を呈する部分に出血が著明で少量の滲出液、浮腫等がある。そうすると、Mの体外のほかにも体内に右のような損傷があるから、身体に加えられた有形力の行使の程度は相当強度なものと認められる。他方、Mは、早朝体操でその場に崩れるように座り込んだり、海上訓練で寝ころんだり、乙山病院で金属性のベッドの角に頭をぶつけたりしているが、これらにより右のような損傷を受けたとは認められないし、早朝体操で他に大きく負傷するような自損事故があったとも認められないし、海上訓練でもMはヨットの操縦ができずに海に落ちて漂うことが多かったから、自損事故で大きく負傷したとは認められない。早朝体操時に転倒などして負傷したとしても、被告人戸塚ら六名は、相当期間にわたり運動したこともないMにいきなり厳しい早朝体操の各種目をさせ、これがこなせないと次々と暴行を加えているから、右一連の暴行と無関係であるとはいえない。論旨は理由がない。

4  Mの死因について

検察官の所論は、Mは、被告人戸塚らの暴行による外傷性ショックで死亡した、という。弁護人の所論は、Mは、激症のインフルエンザ肺炎である出血心肺炎にり患し、入校前からの精神的異常、虚弱な体質、激しい海上訓練による受傷と疲労、早朝体操による受傷と疲労、生活環境の激変と食事を十分摂取しないことによる体力低下、受傷後的確な治療を受けなかったことが重なり死亡したものであり、被告人戸塚らの暴行はMの死亡とは関係がない、という。

原判決の死因の検討方法、寒風下に暴行を加えて早朝体操や海上訓練を強制した行為の認定評価には誤りがあり、その結果、Mの死因、被告人戸塚ら六名の加えた一連の暴行がMの身体に与えた影響の認定にも事実誤認がある。関係証拠によれば、Mは、被告人戸塚らの暴行による外傷性ショックにより死亡したと認定判断することができる。以下、個別に補足する。

(一) 原判決の誤りについて

原判決は、Mの死体を解剖した矢田昭一(以下「矢田」という。)の所見を補足説明①のⅠのように要約し(八九頁から九六頁)、矢田の一一月二七日付鑑定書(甲155)などの資料を基に再鑑定を求められた内藤道興(以下「内藤」という。)の所見を①のⅡのように要約し(九六頁から一〇二頁)、同様に再鑑定を求められた渡辺博司(以下「渡辺」という。)の所見を①のⅢのように要約し(一〇三頁から一〇八頁)、次に弁護人から矢田鑑定書、内藤鑑定書(甲156)、渡辺鑑定書(甲157)などの資料を送付して意見を求められた助川義寛(以下「助川」という。)の意見を①のⅣのように要約した(一〇八頁、一〇九頁)上、内藤鑑定及び渡辺鑑定の外傷性ショック死の所見の根拠をアからエの四点にまとめ(一〇九頁、一一〇頁)、①のⅤでアのMの死体に存在する損傷の程度は必ずしも軽微であるとはいえないとの点(一一〇頁から一一五頁)を、①のⅥでイの腎その他の臓器に異状所見が存在する点(一一五頁から一二四頁)を、①のⅦでウの入校前から死亡に至るまでの経緯をみても外傷性ショックを起こす条件があったとの点について山田弘司検察官作成のMの死亡経緯等に関する報告書(甲361)に触れて(一二四頁、一二五頁)それぞれ検討し、その結果①のⅧで外傷性ショックとする根拠は必ずしも十分ではないとし(一二五頁から一二九頁)、次いで①のⅨでエの出血性肺炎であるとする根拠が十分でないとの点について、内藤及び渡辺の指摘するとおりであるが、矢田の出血性肺炎との所見もあるし、助川の出血性肺炎の出血状態に極めて似ているとの意見もあるとし(一二九頁から一三二頁)、①のⅩで「死因を出血性肺炎とする根拠は十分ではないという内藤道興、渡辺博司の意見も前記の限りにおいて理由があることは否定できないが、死体解剖に基づく所見から肺の出血に注目し、これを導く原因となるものの可能性を排除した結果、死因は出血性肺炎であるとした矢田昭一の鑑定結果は、Mの死に至る経過などを併せ考えると十分理由のあるものと考えられる」(一三二、一三三頁)とした。

しかし、死因の右検討方法には誤りがある。すなわち、原判決は、Mの死体を解剖した矢田の所見を重視しているが、矢田は出血性肺炎と診断できなければ第二次性外傷性ショックが死因であると証言しているから、まず、死因が出血性肺炎であるかを検討し、出血性肺炎と合理的に認定できないときには外傷性ショックを検討し、なお合理的に後者と認定できないとき、立証責任の原則に照らし被告人に有利な事実を認定すべきである。しかるに、原判決は、外傷性ショックを先に検討し、外傷性ショック死との内藤及び渡辺の所見、出血性肺炎でなければ外傷性ショック死との矢田の証言にもかかわらず、外傷性ショックを否定し、その後に出血性肺炎を検討し、内藤及び渡辺の指摘する疑問があるとしながら、Mの死に至る経過の具体的特徴も指摘しないで、出血性肺炎が死因とした。

また、原判決は、被告人戸塚ら六名の一連の暴行がMの身体に対する影響を検討する際、寒冷暴露及び疲労を含めて考慮していない点で不当である。すなわち、早朝体操及び海上訓練による寒冷暴露と疲労と、訓練過程で加えた一連の暴行による損傷とは、一応区別することができるが、被告人戸塚らは、海上訓練、殊に寒風下の海上訓練が情緒障害児らに効果的であると考え、入所して間もないMに到底できないような量の早朝体操を強制し、ヨットの操縦も簡単な説明をするだけでいきなり海上訓練をさせ、できないとみるや罵声を浴びせたり次々と暴行を加える訓練方法を強制したのであるから、Mの生命への危険という観点からすると、早朝体操及び海上訓練による寒冷暴露と疲労を、右一連の暴行による損傷と全く別のものとしてとらえることは相当ではない。矢田も鑑定書中で、「本屍は全身に分布するおびただしい数の損傷やその際受けた寒冷暴露、過労などのため、体力消耗の極度に達していたと推定されるところから、これが誘因として働き、抵抗力および反応力の低下した本屍に出血性肺炎を発症させた可能性が非常に大きいと考えられる」とした上「本屍の出血性肺炎は本屍が受けた暴行による疲労、体力消耗が有力な誘因となって発症したとみなされる」とし、内藤及び渡辺も、Mの死亡経緯等に関する報告書(甲361)を参考に、早朝体操及び海上訓練を考慮して死因を検討している。そうすると、被告人戸塚らの暴行の影響を検討する際、寒冷暴露及び過労を考慮しないのは不当である。

(二) Mの死因について

関係証拠によれば、Mは、戸塚ヨットスクール入校前には健康状態に格別異状もなく、入校後インフルエンザにり患していたこともないのに、一〇月三〇日正午ころ新人迎えの暴行を受け、同日夕方強制的に入校させられ、その後一〇月末及び一一月初めの寒風下で到底こなせない量の早朝体操を強要され、それができないために被告人らにひどく殴打足蹴りされ、海上のヨット訓練に興味を示さず指示に従おうともしなかったため、その都度被告人らにひどく殴打足蹴りされ、その他の訓練の機会にも反抗的な態度を取ったとしてひどく殴打足蹴りされ、その影響により次第に体力を減退消耗し、食事も摂取できなくなり、一一月二日昼から意識も混濁して体温も低下し、翌三日は早朝体操も海上訓練もしないで合宿所内で寝ていたが、他の者が話し掛けても意識がもうろうとした状態となり、同日午後一一時ころ脈拍が確認できないほどになり、異常に気付いたコーチらにより乙山病院に自動車で運ばれたものの、その途中の同月四日午前零時ころ死亡し、体表には多数の損傷を、体内の筋肉、肺、心臓、腎、副腎等の臓器にも損傷を残している。これらを総合すれば、Mは、インフルエンザによる出血性肺炎で死亡したものではなく、被告人戸塚ら六名の新人迎えの際の暴行や寒風下で早朝体操及び海上訓練を強制される過程で繰り返し加えられた暴行の結果、外傷性ショックによりついに死亡するに至ったものと認定することができる。

(1) 出血性肺炎について

関係証拠によれば、Mは、出血性肺炎にり患していたとは認められないのに、原判決は、Mの死体にみられる肺の出血などから出血性肺炎で死亡したと認定しているが、右認定には合理的疑問がある。

すなわち、Mは、入校前に肺炎やインフルエンザにり患していたとは認められないし、入校後死亡するまでの経過からも出血性肺炎とは認められない。まず、Mは、入校前に肺炎やインフルエンザにり患していたことをうかがわせる証拠はないし、当時在籍していた特別合宿生やコーチらの中でインフルエンザにり患した者もいない。なお、Mは、一〇月三一日午前の健康診断時に白血球が増加していたが、右数値等により同病にり患していたとも認められない。ところで、Mの父Wは、一一月一一日入院し、肺炎、右胸膜炎と診断されているが、インフルエンザにり患したとすれば発症するまでの期間は三日位であり、入院する四、五日前から咳等があったというのであるから、同月七日ころ右症状が出たものであり、Mが父からり患した可能性もない。

次に、Mの入校後死亡するまでの間に出血性肺炎の特徴的症状の発熱などの症状も認められないし、Mの死体には肺の出血のほか、出血性肺炎特有の症状も認められないし、Mの臓器ブロックから作成したプレパラートには細気管支の壁の破壊がみられるが、肺炎の炎症性細胞は認められない。

肺の出血から直ちに出血性肺炎とも認められない。すなわち、出血性肺炎は、文献上では肺全体に出血や肺炎細胞の出現がみられるのに、Mの場合、右肺上葉後面、右肺下葉後面、左肺下葉後面のみに出血が認められ、他にインフルエンザにり患した際にみられる特徴的な症状は認められない。そして、Mの右出血は、後記のとおり外傷性ショックにより生じたと考えられることからすれば、右出血だけから出血性肺炎と診断することには合理的疑問がある。

なお、矢田は、死体解剖した所見から第一次的に出血性肺炎を、第二次的に外傷性ショックを死因と指摘しているが、鑑定書(甲155)を作成する段階ではMの入校当時の健康状態と入校後の健康状態の詳細を認識することは困難であったとみられるから、矢田の所見は公判に現れた証拠と前提を異にしているとも考えられ、証拠上認められる各種の事実と対照すると、出血性肺炎との所見には賛同することができない。

また、助川は、解剖してMの死因を検討した矢田の所見を重視し、他方、矢田の鑑定書やMの死体の写真などを資料として矢田と異なる所見を述べる内藤及び渡辺の所見に疑問を呈している。しかし、助川も、矢田の鑑定書などに基づいて、Mの死因が出血性肺炎であると積極的にいうものではないし、これまでの解剖経験でも出血性肺炎を死因として診断したことはなく、今回弁護人から質問されて文献などを探しているうち、過去の法医学総会で報告した事例で、インフルエンザウィルスのA―五七型を検出したときの所見が、形態的に分類するならば出血性肺炎と言ってもよかったと思うと証言する。しかし、右の事例ではインフルエンザウィルスが検出されたのに出血性肺炎と診断していなかったのであり、Mの肺からはウィルスも検出されておらず、肺の出血も前記のとおりで文献における出血性肺炎の出血状況と類似していない。そうすると、助川の意見書及び証言によっても、Mが出血性肺炎にり患していたと認めることは困難である。

当審の証人鈴木庸夫は、矢田、内藤、渡辺の各鑑定書及び各証言、助川の意見書及び証言などを基に鑑定書(当審弁3)を作成し、出血性肺炎は、ペストなどの細菌感染症のほかに風邪でもみられる、肉眼的には高度の出血性素因を伴う気管支肺炎であり、高度のフィブリン浸出と白血球湿潤を伴うが、肺炎病変がほとんどなくて、ただ出血と浸出だけが肺組織に認められるような急性の高度のインフルエンザ肺炎もあるとし、Mの死因は出血性肺炎であると証言(八回、九回)する。しかし、肺の一部の出血だけから出血性肺炎と診断可能であるというが、右意見書を作成する際資料とした「図説・マクロ病理学」図四―四六のインフルエンザ肺炎の写真の出血状況と、Mの肺の出血状況の写真とは著しく相違しているし、弁護人から送付された矢田鑑定書などの資料を基に検討したが、矢田が指摘する外傷性ショックの可能性については十分検討していない、とも証言している。これらによれば、鈴木の所見を併せて検討しても、Mの死因が出血性肺炎と認めることには疑問がある。

以上によれば、Mがインフルエンザの特徴的な症状も呈しないまま出血性肺炎で死亡したと認定するのには合理的な疑問があるというべきである。

(2) 外傷性ショックによる死亡について

関係証拠によれば、Mは、被告人戸塚らの新人迎え及び訓練過程の暴行による外傷性ショックにより死亡したと認められる。

まず、被告人戸塚ら六名の一連の暴行は、Mに外傷性ショック死を招くに足りるものである。

Mの死体には、前記第二の三の3の損傷があるが、その相当部分は被告人戸塚ら六名の一連の暴行により生じたものであり、右損傷の程度からして生前の短期間にMの身体に相当な損傷を与えたものと認められる。そうすると、Mに対する原判示の暴行は、Mの身体を損傷させ、重大な悪影響を及ぼしたことは明らかであるし、右暴行に、更に意思に反して強制する寒風下の早朝体操や海上訓練も加わり、これがMの体力を消耗させ疲労を蓄積させ、その身体を著しく損ねさせたものと認めるのが相当である。

次に、Mの死亡するまでの症状は、死因を外傷性ショックとするのに沿うものである。

Mは、一〇月三〇日新人迎えの際、続いて翌三一日の早朝体操から原判示の各暴行を受けて、次第に健康を損ね、一一月一日午後の海上訓練には倒れて動こうとせず、他の特別合宿生らに抱えられるようにして合宿所へ戻り、夕食後甲野に入浴に行くときには抱えられるようにされても膝を着く有様であった(被告人Aは、甲野へ行く途中気力がないものとその顔面を二回位殴打し、Gは、合宿所へ戻る途中顔面を殴打している)。翌二日朝も早朝体操に参加させられたが、ほとんど何もできず、午前の海上訓練では寒風下の和船に乗せられ、同日昼には食事も取らず合宿所の二階の部屋で寝ていたが、体温も摂氏三五度以下の低い状態に陥り、夜間に牛乳を飲む程度であり、深夜便所に行った際も途中で倒れてしまい、三日朝もお粥をわずかに食べただけで寝ていたが、他の者が話し掛けても答えず意識がもうろうとした状態で、午後一一時ころ脈拍が確認できないくらいになり、自動車で病院に運ばれる途中死亡した。これらの症状は、外傷性ショック死に沿うものである。

そして、Mの死体の状況も外傷性ショック死に沿うものである。

Mの死体内外には前記損傷が認められ、臓器の組織検査の結果によれば諸臓器に全般的なうっ血や播種性血管内凝固症候群(以下「DIC」という。)の所見が認められる。専門家の内藤、渡辺は、外傷性ショックが死因であり、矢田も、出血性肺炎と認められないときは外傷性ショックが死因とする。そして、非典型的な外傷性ショック死では肺全体に出血や水腫が生じないこともあるから、肺の出血状況等も外傷性ショック死の認定の妨げとならないし、心臓内の血液が豚脂様凝塊状態にあることも、外傷性ショックと矛盾しない。

(三) 外傷性ショック死に対する原判決の指摘する疑問について

原判決は、外傷性ショックを死因と認定するには様々な疑問があるとするが、合理的な疑問とは認められない。

まず、原判決は、内藤及び渡辺鑑定の所見に対し、前記第二の三の4の(一)のア、イ、ウの疑問を指摘しているところ、右疑問は合理的なものとはいえない。

すなわち、アのMの死体に存在する損傷につき、原判決は、内藤、渡辺鑑定は、矢田鑑定が触れていない腰部の損傷に触れ、腰部の損傷を併せてみればMの損傷の程度は必ずしも軽微ではないと判断しているが、矢田が解剖時に切開していない部分について死体の写真のみであれこれいうとしてもあくまで推測にとどまると排斥し、渡辺は、右腎の腎動脈部に薄層の軟部組織間出血があることと腰部の皮下出血との関連を指摘して外傷性ショック死の所見の一つの根拠としているが、この点に関する助川の意見と対照すると、必ずしも十分な根拠とは考えられないと排斥する(一一三頁から一一五頁)。しかし、内藤も渡辺も、Mの死体写真からみれば腰部には出血を伴う損傷があると指摘しているが、その腰部の損傷を除いてもMの死体に残された損傷は軽微ではなく、右残された損傷から外傷性ショックを招いたとの所見を述べているのであり、腰部の損傷の点は両名の所見に疑問を抱かせるものではない。矢田も、筋肉挫滅等が存在しなくても、多数の外傷があるとき、これらが総合されてショックが引き起こすと指摘しているところである。

イの腎その他の臓器の異常所見につき、原判決は、これを更に三つに分け、DICの存在、尿細管上皮の変成など、尿細管内の円柱などにつき、疑問を指摘する。まず、DICの存在の点につき、DICの存在することはショック状態にあったことの根拠とはなっても、これが外傷に起因するものか否かに直ちに結びつくものではない(一一八頁)、DICの発生原因は多く、死因を被告人らの暴行による外傷性ショックとしても矛盾がないとはいえるが、それ以上の結論を導くものではない(一二一頁)、という。しかし、Mが早朝体操及び海上訓練を強制され、被告人戸塚らに繰り返し殴打足蹴にされ、身体に多数の疲跡を残していることは証拠上明らかであり、Mが右のような暴行を受ければ、身体に様々な影響を受けてショック状態に陥り、その結果DICが生じたと認めることに合理的な疑問はない。また、DICが生じる原因には様々な原因がありうるが、本件の具体的状況に即して考えられる原因としては、被告人戸塚ら六名の一連の暴行以外に考えられないから、内藤、渡辺が被告人戸塚らの暴行にその発生原因を認めたことに疑問はないし、矢田が出血性肺炎が死因でなければ外傷性ショックが死因であるとの所見に疑問を抱かせるものでもない。

尿細管上皮の変成などの点につき、尿細管上皮の変成、剥奪は死後変化の可能性が高いと考えられる、という(一一九頁)。しかし、渡辺は、尿細管上皮の変成の点を考慮に入れて外傷性ショック死を導いたものではないし、内藤は、「細尿管は特に主部に於いて上皮細胞の腫大して内腔の殆ど消失しているものが多く、上皮細胞の底部は明るく微細空胞状を呈し、又細胞核の消失しているものもあり」と指摘し、この点を腎臓の異常所見としたが、これを決定的な理由として外傷性ショック死としたものでもない。

尿細管内の円柱などの点につき、異常所見とみることには疑問の余地がある、という(一二一頁)。しかし、内藤も渡辺も外傷性ショック死に伴う所見の一つとしてとらえているにすぎず、右の点を決定的な症状として先の所見を述べたものではない。

ウの死亡に至る経緯につき、原判決は、内藤がMの死亡経緯等に関する報告書(甲361)を資料としているが、同報告書記載の暴行は大要において原判示の暴行に沿うとはいえ、検察官が捜査段階で収集していた証拠に基づき認定したもので、原判示認定事実以上に外傷性ショック死の結論を導きやすい暴行の事実が記載されていることは否定できず、内藤鑑定の結論に影響を与えたと考えられる、という(一二四、一二五頁)。しかし、本件暴行の態様は、校長である被告人戸塚はじめ各コーチが一体となって二日間にわたり寒風下で繰り返し強度の暴行を加えて早朝体操や海上訓練を強制したものであり、単なる連続暴行の事案ではないから、その全体像を理解して死因を検討する必要があることは明らかであり、検察官が内藤に鑑定を依頼する際に右報告書を参考資料として送付したことに問題はないし、内藤が右報告書を参考に鑑定したことに疑問もない。ところで、内藤は、日本法医学会で「法医学鑑定に関するいくつかの問題点」と題して講演し(弁331)、M事件に関する内藤鑑定書(甲156)について触れているが、それは、矢田鑑定書(甲155)に疑問を抱いた検察官から再鑑定を依頼された内藤が、矢田鑑定書と異なる所見を示した経験から、複数鑑定人の意見が対立した場合後の鑑定で原鑑定の不備が指摘されないようにすることなどを含めて演題どおり法医学鑑定の問題点について講演したものであり、弁護人の所論のように自己の鑑定を誤りと認めたものではない。

更に、原判決は、身体の損傷の程度、腎その他の臓器の所見からみても、広範な筋肉挫滅、大量出血は認め難いこと、肺の浮腫、水腫の程度も著しくないことは、死因を外傷性ショックであるとする認定を困難にする事情であることは否定できない、という(一二八頁、一二九頁)。しかし、内藤も渡辺も、もともと非典型的な外傷性ショックが死因とし、筋肉挫滅、大量出血、ショック肺、ショック腎などの典型的な症状がなくても、Mの死体にみられる広範な損傷、臓器の損傷、過酷な早朝体操及び海上訓練を強制されたことによる体力の消耗を併せて外傷性ショックを死因としているのであり、矢田も、それを前提に出血性肺炎でなければ外傷性ショックが死因としているものであり、右の点は外傷性ショックを死因とするのに合理的な疑問を抱かせるものではない。

(四) 弁護人の死因に関する主張について

弁護人の所論は、Mは、激症のインフルエンザ肺炎である出血性肺炎にり患し、入校前からの精神的異常、虚弱な体質、激しい海上訓練による受傷と疲労、早朝体操による受傷と疲労、生活環境の激変と食事を十分摂取しないことによる体力低下、受傷後的確な治療を受けなかったことが重なり死亡したものであり、被告人戸塚らの暴行はMの死亡とは関係がない、という。

しかし、Mは、入校前の心身には格別異状はないし、入校後にインフルエンザにり患したとは認められない。Mは、暴行を受けて合宿所に連行されたから、環境を激変させたのは被告人戸塚らであるし、原判示の暴行などを受けながら、寒風下で早朝体操及び海上訓練を強制されたもので、寒風下の早朝体操等による損傷も被告人戸塚らの行為による結果である。その上、Mは、食事も十分摂取できなくなり、健康状態も明らかに良くないのに、医師の診療を受けさせてもらえなかったものであり、いずれの点からも被告人戸塚らに責任がある。なお、被告人戸塚が出先からMの容体を心配して合宿所に電話を掛け、合宿所から乙山病院に電話で相談したとしても、医療上の配慮を尽くしたことにはならない。その他弁護人の所論を子細に検討しても、被告人戸塚らの責めに帰すべき行為以外の事由でMが身体を損ねたとは考えられず、Mが外傷性ショックにより死亡したとの認定に合理的疑問はない。

以上のとおり、Mは、外傷性ショックにより死亡したと認められる。

(五) Mの死因と被告人戸塚らの暴行との因果関係について

弁護人の所論は、Mが外傷性ショックにより死亡したとしても、被告人戸塚らの暴行とMの死亡との間に因果関係はない、という。

しかし、Mは、早朝体操及び海上訓練に伴う寒冷暴露及び疲労が重なる中で、被告人戸塚ら六名の一連の暴行を受け、外傷性ショックにより死亡したと認められるのであり、右一連の暴行とMの死因との間には相当因果関係があるというべきである。

(六) 結論について

原判決の死因の認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、これを指摘する検察官の論旨は理由があるが、弁護人の論旨は理由がない。

5  傷害致死罪の成否について

弁護人の所論は、傷害致死罪の成立には重い結果について予見可能性ないし過失が必要であるが、被告人戸塚らは、Mがインフルエンザにり患し、出血性肺炎を発症して死亡すると予測することは不可能であるし、仮にMが被告人戸塚らの加えた暴行により負傷して死亡したとしても、右暴行で死亡することは予見することはできないし、予見できなかった点に過失もないから、傷害致死罪の成立する余地もない。しかるに、原判決が被告人戸塚ら六名に傷害致死罪を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認であり、かつ、法令適用の誤りである、という。

しかし、Mは、被告人戸塚ら六名から一連の暴行を受け、その外傷性ショックにより死亡したものであるところ、傷害致死罪の成立については、暴行を加える際に被害者の致死の結果の予見可能性も過失も必要としないから、被告人戸塚ら六名がそれぞれ暴行を加える際Mが死亡するとの予見可能性がなく、死亡結果発生に過失がなかったとしても、傷害致死罪の成立に影響を及ぼすものではない。原判決の認定判断に事実誤認はなく、法令適用の誤りもない。論旨はいずれも理由がない。

6  共同正犯の成否について

弁護人の所論は、共謀共同正犯の法理を認めた最高裁判所の判例は変更されるべきである、仮に同法理を認めたとしても、原判決が、被告人戸塚らにおいて訓練及び合宿生活の維持管理をするに当たり体罰を加えることについて協力し、共同して行うという基本的な合意が形成されたとし、これをもって謀議の基礎となるとしたのは、特定の犯罪構成要件を離れた共謀の成立を認めたもので、最高裁判所の判例に違反する。コーチらが訓練及び合宿生活の維持管理をするため体罰を加えることに合意していたとしても、もともと違法性のない行為をすることを合意したものにすぎず、コーチらが被告人戸塚から新人迎えを指示された時点で、あるいは、コーチらが入校した特別合宿生と行動や生活を共にし、特別合宿生を訓練や合宿の維持管理の対象者として認識した時点で、暴行傷害の共謀が成立するものではない、原判決には判決に影響を及ぼすことの明かな事実誤認及び法令適用の誤りがある、という。

しかし、共謀共同正犯に関する法理については、前記第一の五で触れたとおりである。戸塚ヨットスクールでは、以前から新人迎えに行く際には抵抗する特別合宿生に暴行を加えて合宿所に連行し、早朝体操や海上訓練では繰り返し強度の暴行を加え続けているのであり、新たに特別合宿生を迎える際に、改めて新人迎えや訓練方法を確認するまでもない。関係証拠によれば、被告人戸塚、同A、同C、同Fは、一〇月二九日ころ特別合宿生としてMを入校させるに際し、ヨット訓練を実施するためにはMに殴打足蹴りなどの有形力を行使することも一向に構わないとの意思を相互に通じ、また、被告人B、Gも、Mの入校を知った後、Mにヨット訓練をさせるために他のコーチの有形力の行使を容認し、かつ、自らも有形力を行使するなどこれを承継加担する意思を相通じて共謀したと認定することができる。右共謀は、Mに対する暴行という特定の犯罪の共謀であり、もとより最高裁判所の累次の判例に抵触するものではない。

次に、被告人戸塚らの一連の暴行は、後記のとおり違法性は阻却されないし、これまでコーチらが新人迎えや訓練の過程で体罰として暴行を加えても違法ではないと考えていたとしても、この点は共謀の成立に影響を及ぼすものではない。

原判決の認定判断に事実誤認はなく、法令適用の誤りもない。論旨はいずれも理由がない。

四  違法性に関する理由不備、訴訟手続の法令違反、法令適用の誤りの主張について

弁護人の所論は、戸塚ヨットスクールにおけるヨット訓練は、情緒障害児の治療、非行少年の矯正のための訓練であり、医療行為に準じて考えられるべきものであり、治療目的の正当性がある、情緒障害児の親権者の同意又は成人の扶養義務者の同意を備え、治療目的に優越的利益が認められるから、医療上の法則に従い訓練中に加える体罰も正当業務行為あるいは正当行為として違法性が阻却されるのに、原判決が、正当行為の主張に対する判断を遺脱し、正当業務行為の主張のうち目的の正当性を認めただけでその余の要件を否定して違法性の阻却を認めなかったのは、理由不備、訴訟手続の法令違反、刑法三五条の法令の解釈適用の誤りがある、というのである。

しかし、原判決は、後記のとおり、正当業務行為による違法性阻却の主張を排斥する際に正当行為の主張も併せて排斥したのであり、判断遺脱はないし、訴訟手続に瑕疵もない。正当業務行為による違法性阻却を認めなかった原判決の認定判断は、結論において正当であり、法令適用の誤りもない。

当裁判所の一般的見解は、前記第一の六で説示したとおりであるが、被告人戸塚ら六名のMに対する一連の暴行につき、正当業務行為あるいは正当行為として違法性が阻却される余地はない。すなわち、戸塚ヨットスクールにおける前認定の訓練方法は、情緒障害児に対する医療行為に準じるものとは考えられないし、被告人戸塚らのMに対する新人迎えや暴行を加えての早朝体操及び海上訓練の強制に、治療目的の正当性があるともいえない。Mは、当時二〇歳を超えた成人であり、両親は、Mに対する懲戒権や居所指定権を有するものではないし、両親の委託があるからといって、生命身体に著しい危険を加える暴行が許容される余地はない。致死の結果を惹起するほど危険な右一連の暴行に照らし、治療目的に優越的利益があるとも考えられないし、訓練過程で加える暴行は、所論指摘の事由その他違法性に関するすべての事由を考慮しても、違法性が阻却される余地はない。論旨はいずれも理由がない。

第三あかつき号事件(被告人戸塚、同A、同C、同B、同F)

一  公訴提起に関する訴訟手続の法令違反、理由不備、法令適用の誤りの主張について

1  訴因の不特定について

弁護人の所論は、起訴状の公訴事実は、T(以下「T」という。)及びS(以下「S」という。)に対する監禁の手段の特定が不十分で、実行行為が特定されていないから、公訴を棄却すべきであったのに、原審が実体判断をしたから不法に公訴を受理した違法がある、というのである。

記録を調査して検討すると、起訴状の公訴事実は特定されていると認められ、この点に関する原判決第一章の四の3の(あかつき号事件についての補足説明)(以下「補足説明」という。この項において何らの説明のないときはこの補足説明のことである。)①のⅡの項の説示(一六八頁から一七二頁)は相当として是認することができる。論旨は理由がない。

2  不平等起訴について

弁護人の所論は、検察官は、T及びSが乗船していた復路のあかつきに乗船していなかった被告人戸塚、同A及び同Cを起訴し、復路のあかつきの引率責任者であるH、Sの新人迎えをしたIを起訴していないが、これは戸塚ヨットスクールのコーチの分断を図ることを意図した合理性のない差別に基づく不平等な起訴であり、訴追裁量権を著しく逸脱しており、憲法一四条一項、三一条に違反し、刑訴法三三八条四号により被告人戸塚らの公訴を棄却すべきである。しかるに、原判決は、原審弁護人の公訴棄却の申立てを排斥し、右主張に対する判断も実質的にはしていないから、訴訟手続の法令違反、理由不備、法令適用の誤りがある、というのである。

記録を調査して検討すると、検察官の右取扱いが訴追裁量権を逸脱したとは考えられないし、不平等な起訴ではないとして原判決が公訴棄却の申立てを排斥したのが右各法条に違反するものではないし、補足説明①のⅦの項の説示(一八二頁から一八四頁)は、右主張に対する判断として欠ける点もない。

若干補足すると、検察官がH及びIを起訴しなかったことに訴追裁量権の逸脱はない。すなわち、復路のあかつきに乗船していなかった被告人戸塚、同A、同Cにも後記のとおりT及びS両名に対する逮捕監禁致死罪が成立するところ、被告人戸塚は、戸塚ヨットスクールの最高責任者であり、T及びSの両名に対する夏期合宿訓練の総指揮者であること、被告人Aは、宮東合宿所及び奄美合宿施設を通じ現場責任者として重要な役割を担当し、右両名の監禁に加担したこと、被告人Cは、Tの新人迎えを担当し、宮東合宿所や奄美合宿施設で両名に原判示の暴行も加えている。これに対し、Hは、他のコーチとともに五七年(以下この項においては「五七年」の記載を省略する。年度の記載のないときは五七年のことである。)七月一一日から同月二一日までTを宮東合宿所及びその周辺で生活させ、同月二五日から同月二七日までSを同様に生活させ、奄美大島への往路第三陣にSを入れて同月二七日午後五時ころ神戸港から出発し、翌二八日午後一〇時三〇分ころ名瀬港に着き、以後Tらと行動をともにし、被告人Aが八月八日奄美大島から第一陣として帰った後は現場の責任者として行動し、同月一三日名瀬港発の責任者として被告人B、同Fとあかつきに乗船したが、T及びSの新人迎えに直接関与していないし、右期間中も両名に格別暴行を加えていない。Iは、七月一一日から同月二一日までTを宮東合宿所で生活させ、同月二四日午後一一時ころSの自宅に新人迎えに行き、同月二五日から同月二七日まで宮東合宿所でSを同様に生活させ、同月三一日午後一〇時過ぎころ職員のPらと神戸港を出発し、八月二日午前二時三〇分ころ名瀬港に着き、以後T及びSらと行動をともにし、同月一三日名瀬港から復路のあかつきで両名に同行しているが、右期間中も両名に格別の暴行を加えていない。そうすると、検察官が復路のあかつきに乗船していなかった被告人戸塚、同A、同Cを起訴し、乗船していたH及びIを起訴しなかったからといって、訴追裁量権を逸脱したとはいえないし、被告人戸塚らの起訴が不平等な起訴であるともいえないし、もとより所論各条項に違反するものではない。論旨はいずれも理由がない。

二  審判の請求を受けない事件を審判した、訴訟手続の法令違反の主張について

弁護人の所論は、復路のあかつき船内の監禁について、検察官は、起訴状、冒頭陳述書、釈明などではTらを監視して監禁したと主張したのに、論告では右主張を撤回して新たに監視なき監禁を主張し、原判決は、監視なき監禁との事実を認定したから、審判の請求を受けない事件につき審判した。仮に、原判決の認定と公訴事実との間に同一性があるとしても、原審が訴因変更の手続もせず、争点を顕在化させもしないで、原判示の事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

記録を調査して検討すると、検察官は、公訴事実(一六八頁から一七二頁)及び冒頭陳述では、H、被告人B、同F、IらはT及びSを監視して監禁したと主張し、論告においても、Hらは両名を監視して監禁したと明確に主張し、原判決は、被告人B及び同FらはT及びSに対する監視を続けて監禁した、と認定したから、所論は前提を異にしている。この点に関する補足説明①のⅥの項の説示(一八一頁九行目から一八二頁九行目)は、関係各証拠に照らして相当として是認することができる。

若干補足すると、検察官は、論告において「被告人Fは、特に、T、Sら「手錠組」であった五名を同客室奥の通路に集めて監視し、かつ、「手錠組」の一人であるH'に他の「手錠組」四名の見張りを指示し、また、被告人らは、訓練生の班編成をして、脱走騒ぎを起こすおそれのある訓練生を用便に行かせる場合にはその班の班長の許可を得させるようにしたり、班長に点呼をとらせたりして班長に班員を把握させ、食事のための食堂への往復の際は、団体行動をさせて、その前後に被告人らが付いた上、途中の通路上に番外生を立てて見張らせ、こうして、被告人らは、船内において、T及びSらを監視し、行動の自由を封じた」旨主張し(論告要旨一三七頁、一三八頁)、監視の方法で監禁したと明確に主張した。なお、検察官は、復路で番外生らの一時間交代の見張りを立てなくてもなお監禁罪が成立する、と主張しているが、これは見張りの程度が状況に応じて緩いときでも監視による監禁となることを併せて述べているにすぎず、所論のように公訴事実、冒頭陳述及び論告の主張を撤回したものではない。

次に、原判決は、第一章の四の2の①②の(罪となるべき事実)において「以下のとおり有形力を行使した上、監視を続け、T(S)の意思に反して不法にその行動の自由を拘束して逮捕監禁し」(一五三頁一一行目から一五四頁一行目、一六一頁一行目から同頁二行目)たと認定し、各キの項で「数人を一つのグループとして班分けをして番外生などに班長をさせてそのグループの行動を把握するようにさせ、船内で勝手に行動しないように命じた上」あかつきに「乗船させ、名瀬港から神戸港へ向けて連行し、翌一四日未明に高知県沖の太平洋上を航行中のあかつき船上から」「海に飛び込むまで、その行動の自由を拘束した」(一五九頁一行目から同頁六行目、一六五頁一一行目から一六六頁五行目)と認定し、補足説明の②の項で監視による監禁罪が成立する理由を詳細に説示している(一八四頁から二〇三頁)のであり、一部に論旨のややあいまいな点があるにせよ、いずれにしろHらは復路のあかつき船内でもT及びSを監視により監禁した、と認定説示している。原判決の右認定は、公訴事実と同様の事実を認定したものであり、論旨は前提を異にしている。

三  関係証拠に対する訴訟手続の法令違反の主張について

1  特別合宿生らの検察官調書について

弁護人の所論は、特別合宿生のa"(甲438ないし441)、V1(甲437)の各検察官調書、あかつきの乗客のB"の検察官調書(甲249)は、特信情況もないのに、原審が刑訴法三二一条一項二号により採用し、これを事実認定に供したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

記録を調査して検討すると、a"らは、証言当時には一部記憶を喪失しており、供述不能であったり、記憶があいまいなまま検察官調書と一部相違する証言をしているし、特信情況も認められるから、原審がこれらを採用して事実認定に供したことに瑕疵はない。

a"は、六一年六月二〇日の三二回に夏期合宿の経過を詳細に証言したが、Sの泳げる距離、奄美大島の夏期合宿施設から逃走した者を数珠つなぎにするよう指示した者の氏名など細部の記憶が乏しく、記憶があいまいなまま検察官調書と一部相違する証言をした。a"は、検察官に対しては当時の記憶のとおり供述したと証言しているところ、五八年七月二四日付(甲438)、同年九月一一日付(甲439)、同月一二日付(甲440、441)検察官調書は、前後一貫し、具体的詳細であり、不自然な点もなく、他の特別合宿生の証言、検察官調書と多くの点で符合している。なお、a"は、入校前に問題行動を起こしたが、検察官に弱みを握られて迎合して虚偽の供述をした疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

E"(旧姓V1、昭和六一年三月改姓)は、六一年五月二八日の三一回に詳細に証言したが、Tと話した内容、Sの顔面の痣、夏期合宿でTやA"が逃走した状況の記憶が乏しく、検察官に供述した当時の方が記憶が正確であり、忘れている点は検察官調書で述べたことが正しいと思うなどと証言している。E"は、四二年一一月生まれで、戸塚ヨットスクールに入校当時一五歳であるが、五八年一〇月一八日付検察官調書(甲437)は、特徴的な事柄を中心に記憶の範囲内で供述したもので、具体的詳細であり、多くの関係証拠と符合しており、検察官に迎合して虚偽の供述をしたり、誇張して供述した疑いもない。これらによれば、特信情況が認められる。

B"は、六二年四月一〇日神戸地方裁判所で証言したが、検察官に供述した後証言前に脳出血を起こし、本件の記憶が乏しくなり、船内における前後左右の位置関係の記憶に混乱がみられる。五八年一一月七日付検察官調書(甲249)は、あかつき船内の状況と符合し、一緒にいたC"子の証言(六二年四月一〇日神戸地方裁判所でのもの)と符合している。なお、B"は、船上で海に落ちたような音を聞いたと検察官に供述したが、証人尋問でも同様に証言をしているのであるから、T及びSがあかつきから海に落ちた音をB"が聞いたとの検察官の願望を検察官調書に記載したとの疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

右各検察官調書には証拠能力が認められる。論旨はいずれも理由がない。

2  コーチらの検察官調書について

弁護人の所論は、R(甲493、495、496)、H(甲557、559)の各検察官調書は、任意性も特信情況もないのに、刑訴法三二一条一項二号により採用して事実認定に供したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、右各検察官調書の任意性に疑問はないし、特信情況もあるから、原審がこれらを採用して事実認定に供したことに瑕疵はない。

Rの検察官調書につき、前記第一の一で触れたとおり捜査過程に違法不当な点もないし、Rは、六二年四月二七日の四六回、同年六月五日の四八回にあかつき号事件をはじめ多数の事柄について証言したが、同証言によれば任意性に疑問を抱かせる点はないし、所論のように検察官がRに起訴しないとの約束の下に供述させた疑いもない。Rは、夏期奄美合宿で逃走したTを探しに大和村に行った点など細部の記憶が乏しいが、検察官調書に記載があれば間違いないと証言している。五八年七月二九日付(甲493)、同年八月一日付(甲495)、同年九月一〇日付(甲496)検察官調書は、具体的詳細であり、家族に手紙を書いたSに対する被告人戸塚の暴行の点などを含め、特別合宿生の証言や検察官調書と符合している。Rは、被告人戸塚がSを殴打したのは同人が書いた手紙の件のときだけですなどと供述しており、検察官に迎合して供述した疑いもない。これらによれば、特信情況が認められる。

Hの検察官調書につき、前同様捜査過程に違法な点はないし、Hの証言によってもその任意性に疑問を抱かせる点はないし、所論のように検察官が起訴しないとの約束の下にHに供述させた疑いはない。Hは、六二年八月二六日の五三回に証言したが、奄美合宿施設でSらが数珠つなぎにされたが、Tについては覚えがないなど、細部の記憶が乏しい。五八年八月二九日付(甲557)、同年一〇月一七日付(甲559)検察官調書は、具体的詳細であり、Tも数珠つなぎにされていた点を含めその供述は、特別合宿生の証言や検察官調書など他の関係証拠と符合している。これらによれば、特信情況が認められる。

右各検察官調書には証拠能力が認められる。論旨はいずれも理由がない。

3  被告人らの供述調書について

弁護人の所論は、被告人A(乙49、50)、被告人C(乙51ないし54)、被告人B(乙55ないし57)、被告人F(乙58ないし61)の各検察官調書は、任意性も特信性もないのに、原審が当該被告人の関係で刑訴法三二二条一項により、相被告人の関係で刑訴法三二一条一項二号により、これらを採用して事実認定に供したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、右検察官調書の任意性に疑問はないし、特信情況も認められる。

任意性の点につき、前記のとおり接見等禁止とされた被告人Aらを愛知県内の警察署に分散留置した点に問題はないし、他の事件の捜査をした後本件の取調べをしたから、身柄拘束が不当に長くなったともいえないし、前記申合せに従い弁護人の接見もなされていたから、その捜査過程に違法不当な点はない。そして、被告人Aは、奄美大島からそう簡単には逃げおおせるものではなく、見張り、見張りと気を使ったことはない、被告人Cは、持ち物検査がなされたか知らない、被告人Bは、Tの新人迎えをした際足蹴りを加えたかはっきりした記憶はない、被告人Fは、Sの書いた手紙を誰がいつどういういきさつで入手したか知らないなどと供述し、いずれも自己の記憶の範囲内で供述し、それぞれ弁解を尽くしており、所論のように検察官に迎合したとか、検察官に欺罔され意のままに供述したものではない。これらによれば、任意性に疑問はない。

特信情況の点につき、被告人Aらの原審供述は、各検察官調書と相当異なる上、連帯して公訴事実を争う被告人戸塚はじめ他の被告人の面前では真相を供述しにくい事情にあったことが明らかである。各検察官調書におけるT及びSに暴行を加えた点の供述は、特別合宿生の証言や検察官調書と符合し、H、Rの前記各検察官調書とも多くの点で符合しているから、それぞれ特信情況が認められる。

右各検察官調書には証拠能力が認められる。論旨はいずれも理由がない。

四  事実誤認及び法令適用の誤りの主張について

弁護人の所論は、多岐にわたるが、要するに、被告人戸塚らが実施した夏期合宿は特別合宿と異なるから、被告人戸塚らにT及びS両名に対する監禁罪は成立しない、両名が復路のあかつきから海に飛び込んだとも認められない、仮に両名が海に飛び込んだとしても、被告人戸塚らの行為により飛び込んだとはいえないのに、原判決が原判示のとおり逮捕監禁致死の共同正犯を認めたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認であり、法令適用の誤りである、というのである。

記録及び証拠物を調査し、当審の事実調べの結果を加えて検討すると、原判決挙示の各証拠により原判示の各事実を認定することができるのであり、原判決に事実誤認及び法令適用の誤りがあるとは認められない。原審及び当審における被告人戸塚、同A、同C、同B、同Fの供述中、原判示認定に反する部分は信用できない。以下、弁護人の個別の所論に即して説明する。

1  奄美大島での夏期合宿の状況について

所論は、奄美大島での夏期合宿は、コーチ及び特別合宿生の慰労、元訓練生の退校後の生活態度の点検、日曜スクール生の夏期援業であり、通常の特別合宿とは異なり、逃走防止のための監視もなされておらず、特別合宿生の海上訓練も宮東合宿所のそれに比べ格段に少ないものであるから、奄美夏期合宿においては監禁といわれる行為はない、という。

しかし、関係各証拠によれば、原判決第一章の四の1の③の「奄美大島の夏期合宿について」の事実認定(一四九頁から一五二頁)、補足説明②のⅢのエの項の夏期合宿施設の状況の事実認定(一九八頁から二〇二頁)は、いずれも相当として是認することができる。

若干補足すると、右証拠によれば、戸塚ヨットスクールでは元訓練生及び日曜スクール生に特別合宿生も加えて夏期合宿を実施しているところ、奄美夏期合宿では、元訓練生や日曜スクール生は、自由参加であり、途中で参加を止めて帰宅しようと思えば帰宅できるが、特別合宿生は、宮東合宿所での特別合宿に続いて強制的に参加させられ、夏期合宿施設からの自由な離脱は許されず、水泳練習や、黒兎生息地、ハブセンター、高床式倉庫の見学などをはさみながらも、早朝体操及び海上訓練を暴行を受けながら強制され、夏期合宿が終了すれば引き続き宮東合宿所で特別合宿をすることになっていたことが認められる。そうすると、特別合宿生からすれば、意思に反して夏期合宿を強制され、夏期合宿施設からの自由な離脱は許されず、無理に離脱しようとすれば逃走するほかないから、宮東合宿所の特別合宿に比べ海上訓練の量が少なく、水泳や見学などの行事があるとしても、宮東合宿所での特別合宿と本質的差異は認められない。なお、奄美夏期合宿に関するパンフレット(弁45)によれば、夏期一般合宿は、戸塚ヨットスクールで行っている登校拒否児童、情緒障害児を対象とした一般特別合宿ではない旨記載されているが、この点は右認定に影響を及ぼすものではない。

2  個別の暴行について

所論は、奄美夏期合宿の期間中に加えた暴行などにつき事実誤認がある、殊に、夜間T及びSらをロープで数珠つなぎにしたのは、八月四日ころから同月七日ころまでである、被告人Cらの両名に対する暴行はなく、見学者も被告人らの暴行を目撃していない、などという。

しかし、関係各証拠によれば、原判決第一章の四の2の①と②の各冒頭事実とⅠの事実認定(一五三頁から一五九頁、一六〇頁から一六六頁)、補足説明④のⅡの項のア、イ、ウの事実認定(二二一頁から二二五頁)は、いずれも相当として是認することができる。

若干補足すると、数珠つなぎにした始期の点につき、八月一日Tが脱走したとの連絡を受けたとのW1の証言(六八回)、八月一日ころの午後三時ころTが逃げたので、Tから連絡があれば戸塚ヨットスクールに連絡して欲しいとの電話連絡を受け、Tが合宿に出掛けた後から記載していたノートにその旨書き入れたとのYの証言(五二回)、子供会が八月一日ヨットに乗せてもらったその日に、TがいなくなったとのX1の原審裁判所尋問調書などの証拠によれば、八月一日ころTが逃走したと認められ、同日夜からT及びSらがロープで数珠つなぎにされたと認められる。なお、被告人Cは、当審で八月一日午前零時過ぎの船で奄美大島から沖永良部島に出掛け、同月三日奄美大島に戻ったとき、脱走騒ぎがあったと供述する(当審一三回)が、被告人Cの五八年九月二二日検察官調書(乙54)の沖永良部島に行く前にTらが脱走したとの記憶があるとの供述、原審における同島に行く前かも分かりませんとの供述(一〇七回)とも相違し、信用できない。八月四日ころからロープで縛り始めたとの被告人Aらの原審及び当審の各供述も、たやすく信用できない。

ロープで数珠つなぎにした終期の点につき、奄美大島を出発する朝までつながれていた旨のa"の証言(三二回)と五八年七月二四日付検察官調書(甲438)、Z'の証言(三三回)、Iの五八年一〇月一五日付検察官調書(甲517)、被告人Bの五八年九月二二日付検察官調書(乙56)などによれば、八月一三日に引き揚げる直前までつながれていたと認められる。なお、数珠つなぎは数日間行われていたにすぎないとの被告人Cらの原審及び当審における各供述は、前記各証拠に照らし信用できない。

Tらに対する暴行の点につき、ビデオカセットテープ三本(当庁平成四年押第四六号の九四、九五、九六、甲769、弁32)によれば、被告人Aらが特別合宿生を砂浜に座らせ、珊瑚のかけらなど小石のようなものを投げ付けるなどの暴行を加えていたことは明らかであり、Tの目と口元が腫れ、左手が赤く腫れているのを目撃したとのF"の証言(二九回)、手紙を書いたSが訓練生やコーチらからいじめられているのを見たとのZ'の証言(三三回)など特別合宿生の証言や検察官調書の証拠により、原判示の各暴行を認定することができる。

3  T及びSのあかつき船内から海への飛び込みについて

所論は、T及びSが復路のあかつき船上から海へ飛び込んで死亡したとは認められない、という。

しかし、関係各証拠によれば、原判決第一章の四の2の①②の各Ⅱの事実認定(一五九頁、一六〇頁、一六六頁)、補足説明③の項の認定説示(二〇三頁から二一九頁)、④のⅠの項の落水の状況の認定説示(二一九頁から二二一頁)は、いずれも相当として是認することができる。T及びSは復路のあかつきのB甲板船尾付近から海に飛び込んだとの認定が、B甲板船尾付近にいたC"子のちょっと上から下に黒いものが落ちた旨の証言(六二年四月一〇日付証人尋問調書)と相違するとはいえないし、両名がそのころ死亡したとの認定に、合理的疑問はない。

4  逮捕監禁罪の犯罪構成要件該当性について

所論は、被告人戸塚らの行為は、逮捕監禁罪の実行行為に該当しない、殊に、奄美大島の夏期合宿施設における行為は、親との委託契約に基づく安全配慮義務の履行に最低限必要な行為であり、引率責任に基づくものであるから、監視による監禁に該当しない、復路のあかつき船内ではT及びSを一か所に閉じ込めたりもしていないし、コーチらによる見張りもないから、監視による監禁にも監視なき監禁にも該当しない、という。

しかし、被告人戸塚、同A、同C、同B、同F、H、Iら(以下「被告人戸塚ら七名」という。この項で被告人戸塚ら七名とはこれらの者である。)のT及びSに対する一連の行為が逮捕監禁罪の犯罪構成要件に該当するとの原判決の事実認定は、関係各証拠に照らし相当として是認することができるし、補足説明②の項の認定説示(一八四頁から二〇三頁)も概ね相当として是認することができる。

若干補足すると、当裁判所の逮捕監禁罪に関する一般的な見解は、前記第一の四の3で触れたとおりであるが、被告人戸塚ら七名には、右期間を通じてT及びSを逮捕監禁する意思があり、かつ、一連の行為は逮捕監禁罪の実行行為に該当する。なお、T及びSの親が戸塚ヨットスクールに訓練を委託したとしても、戸塚ヨットスクールの合宿所に収容して前認定の訂練を強制することは到底許容されるものではないし、両名には行動の自由があるから、その行動の自由を制限する一連の行為は逮捕監禁罪の構成要件に該当する。

(罪となるべき事実)中の各アの新人迎えの行為につき、逮捕監禁に該当することは明らかである。

同イの宮東合宿所での行為につき、早朝体操及び海上訓練、入浴などで合宿所から出るときは、番外生等が見張り役となり、訓練や作業などがない日中や夜間は格子戸付き押し入れに閉じ込めて鍵を掛け、夜間には合宿所階段に設置してある人の通行を感知する警報装置を作動させたり、交代制で見張りを置くなどしていたから、監視による監禁に該当する。

同ウの夏期合宿のためそれぞれ宮東合宿所から奄美大島の夏期合宿施設に向かう間の行為につき、被告人BやHらは、特別合宿生が夏期合宿に参加せず自宅に帰ると申し出ても帰宅を許す意思はなく、逃走すれば実力で連れ戻すつもりであるから、監禁の故意がある。宮東合宿所から神戸港へ向かう間は、マイクロバスに乗車させて物理的に拘束し、途中の休憩でも便所に行くときは番外生に見張らせる方法により監視して監禁している。神戸港において乗船待ちをしている間は、他の特別合宿生と一緒にまとめて座らせ、数人ずつの班に分け、便所に行くときも番外生が付き添って見張って監禁している。神戸港から名瀬港へ向かう往路では、Tの加わった第二陣では、乗船前に数人ずつの班に分け、番外生などに班長をさせ、そのグループの行動を把握するように指示し、乗船後は特別合宿生の自由な行動を許さず、夜間には番外生らが交代で見張りをして監視し、Sの加わった第三陣ではSが密かに母親に電話を掛けたことを知るや、電話を掛けたり勝手に動き回らないように叱り付け、番外生らにSを見張らせて監視しそれぞれ監禁した。名瀬港から夏期合宿施設へ向かう間は、バスに乗せて連行し、その間Tらの特別合宿生の行動の自由を制限したから、物理的に拘束して監禁した。なお、Sは、H、被告人D、Qらの見張りをかいくぐって電話を掛けたが、これも監視による監禁罪の成否に影響を及ぼすものではない。

同エ、オ、カの夏期合宿施設に滞在期間中の行為につき、被告人Aらは、宮東合宿所での特別合宿に引き続き訓練を実施し、夏期合宿終了後には再び宮東合宿所での訓練を再開する予定であり、特別合宿生の自由な意思による離脱を許す考えは全くなく、仮に逃走すれば探して実力で連れ戻す考えであるから、監禁の故意が認められる。なお、夏期合宿に参加した元訓練生、日曜スクール生、特別合宿生が海上訓練等で事故を起こさないように見張りをする意思もあるからといって、特別合宿生が逃走すれば実力で連れ戻す意思もあるから、特別合宿生に対する監禁の故意がなくなるものではない。

監禁行為の点につき、被告人Aらは、特別合宿生に金銭を所持させず、外部の者との手紙や電話での通信を一切禁止し、日中はグループ分けし番外生らに班長をさせ、新人や逃走のおそれのある者を番外生を通じて見張り、夏期合宿施設周辺にいるときは番外生の見張りを置き、同施設から名瀬市内にあるハブセンターなどに行くときにはコーチや番外生が付添って見張り、夜間にはコーチ及び番外生による一時間交代の見張りを置き、特別合宿生が逃走すれば実力で連れ戻し、今後逃走しないように厳しい制裁を加え、夜間には逃走した者らの手首を手錠とロープで数珠つなぎに縛り付けて柱に固定し、日中でも同施設の周辺の清掃などで監視が不十分なおそれのあるときは手錠を掛けて固定するなどの方法を取ったから、手錠を掛けた点は実力による監禁に、その他の点は監視による監禁にそれぞれ該当する。なお、夏期合宿施設の見張りの程度は、宮東合宿所における見張りと比べて緩やかな面があるが、もともと奄美大島は離島であり、仮に特別合宿生が夏期合宿施設から逃走しても、島外に行くためには船か飛行機を利用するほかなく、被告人Aらとすれば特別合宿生が逃走しても港や飛行場を見張れば連れ戻すことができ、連れ戻してくれば制裁を加え、その後必要なときに見張りを厳重にすれば足りると考えてそのようにしていたものと認められ、この点は監禁罪の成立に影響を及ぼすものではないし、特別合宿生のA"が夏期合宿施設から何度も逃げたり、付近の住民らがT及びSらの特別合宿生が行動の自由を制限されていると分からなかったとしても、同様である。

同キの夏期合宿施設から名瀬港へ向かう間、名瀬港での乗船待ちの間も、先のウの行為と同様に監禁罪が成立する。

復路のあかつきでの行為につき、H、被告人B、同F、Iらは、夏期合宿施設から宮東合宿所に特別合宿生を連行し、引き続き早朝体操及び海上訓練を強制する考えであり、その行動の自由を制限する意思があったから、監禁の故意がある。

監禁の行為につき、Hらは、特別合宿生に金を持たせず、通信を禁止し、乗船前にグループ分けをして前記のように注意し、特別合宿生全員があかつきに乗船したのを確認し、手錠組という問題の多いとみられる者を特定の場所にいるように指示したこと、そして、あかつきが神戸港に近付けば特別合宿生を集合させ、仮に集合場所に来ないものがいれば船内をくまなく探すつもりであったのであるから、見張りによる監禁に該当する。なお、Hらは、あかつきが名瀬港を出航してある程度航行した後から神戸港に近づくまでは、あかつき船内から逃走することは著しく困難であると考え、コーチも番外生も疲労していることから、第二陣の往路のような番外生による交代の見張りまでは不要と考え、継続的な見張りをしなかったにすぎず、この点は監禁罪の成立に影響を及ぼすものではない。また、当時戸塚ヨットスクールの全容は多くの人に知られておらず、Tらがあかつきの船員あるいは乗客に対し、戸塚ヨットスクールのコーチらに行動の自由が制限されていると訴えたとしても、船員らはHらがTらの行動の自由を不法に制限していると分からないまま、集団から離れた乗客がいるなどとしてHらに連絡する可能性が著しく高いのであるから、Tらが船員に訴えることができたであろうことは監禁罪の成立に影響を及ぼすものではない。

以上のとおり被告人戸塚ら七名の一連の行為は、逮捕監禁罪の構成要件に該当する。

5  逮捕監禁致死罪の成立について

所論は、T及びSがあかつき船上から海に飛び込んだとしても、もともと異常な性格の両名が船内で異常な精神状態となり、衝動的に海に飛び込んだものであり、Hらには予測もつかないし、被告人戸塚らの行為と密接な関連性もないのに、原判決がHらの行為との因果関係を認めたのは事実誤認、かつ、法令適用の誤りである、という。

しかし、関係各証拠によれば、原判決第一章の四の2の①②の各Ⅱ(一五九頁、一六〇頁、一六六頁)の事実認定、補足説明③のⅣの項の認定説示(二二七頁から二三一頁)は、いずれも相当として是認することができる。

若干補足すると、T及びSは、もともと異常な性格であったとはいえないし、戸塚ヨットスクールに入校した後海に飛び込むまでの間に精神状態や判断能力に異常を来したとは認められない。両名が被告人戸塚らから受けた原判示のような行動の自由の制限や暴行などは、それ自体一五歳の少年にとり肉体的精神的に大きな脅威であり、両名が宮東合宿所に戻れば更に厳しい暴行を受けて訓練を強制されることをおそれ、行動の自由を回復するため山並みが遠方にうすく見える太平洋上を航行中のあかつきの船上から海に飛び込んで付近の陸地まで泳いで脱出しようとしたことは十分理解することができる。もとより右行動に及んだからといって、両名が船内で異常な精神状態に陥り、衝動的に海に飛び込んだとは認められないし、右海に飛び込んだ行為から、両名がもともと異常な性格であるとか、奇矯な行動に突然に走る傾向があるともいえない。

次に、T及びSが船員らに救いを求めても、前記のとおりHらの監視から抜け出すことは困難であり、殊にSは奄美大島で書いた両親宛ての手紙の件で被告人戸塚らから厳しい暴行を受けたことがあり、もし船員らに訴えたことが発覚すれば更に厳しい制裁を受けると予測し、他にHらの監視から確実に抜け出す方法を容易に見いだすこともできないから、観念的には抜け出す方法が別にあるとしても、両名があかつきから海に飛び込んだ行動が所論のように何人も予測し難い狂気の行動であるとか、Hらには予測もつかない行動であるとはいえない。そうすると、Hらの逮捕監禁と両名の右行動との間には相当因果関係があると認められる。なお、補足説明中の「被告人らによる監禁と両名の右行動による死亡の結果が極めて偶然的な関係にあるとはいえない」との説示(二三一頁七、八行目)は、当裁判所の右認定判断と同旨と解することができるのであり、原判決が行為と結果との関係が極めて偶然であると認定できない限り、行為者に結果の責任を負わせようとしたものではないし、被告人及び弁護人に極めて偶然の関係であることの立証責任を負わせようとしたものでもない。

6  共同正犯の成立について

所論は、被告人戸塚らのT及びSに対する一連の行為は、正当行為あるいは正当業務行為として許容される余地があるから、社会的相当性を逸脱した特定の行為のみ処罰の対象となり、その行為毎に関与した者の共謀の成否を検討しなければならないのに、原判決は、被告人戸塚、新人迎えに行ったコーチ、その他のコーチ間で原判示のとおり共謀が成立し、両名の行方不明時まで継続するとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認、かつ、法令適用の誤りである、という。

しかし、被告人戸塚ら七名の新人迎えから復路のあかつきまでの各行為は、包括的に逮捕監禁の実行行為に該当するし、後記のとおり正当業務行為などとして違法性を阻却するものではなく、各一連の行為中の特定の行為のみ逮捕監禁罪が成立するものではない。そして、共犯者間の共謀の内容と成立時期については、前記第一の五で説示したとおりであり、原判示の各事実認定に事実誤認も法令適用の誤りも認められない。

以上の次第で、原判示の各事実認定には事実誤認はない。論旨はいずれも理由がない。

五  違法性に関する主張について

1  原判決の判断遺脱、理由不備、訴訟手続の法令違反について

弁護人の所論は、原審弁護人の主張は、収容治療や安全配慮義務による正当行為との主張を含んでいるのに、原判決は、原審弁護人の正当業務行為の主張について一般的に判断しただけで、それ以上具体的な判断をしないまま違法性を認めたのは、判断を遺脱した理由不備、審理不尽の訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、原判決は、第四章の一の「正当業務行為として違法性がないとの主張について」の項(五〇七頁から五二八頁)で原審弁護人の主張を判断するなかで、実質的に収容治療や安全配慮義務による正当行為の主張に触れ、被告人らの所論各行為は、いずれも正当行為として違法性を阻却するものではないとし、したがって、業務行為としても同様である旨説示してその主張を一般的に排斥した後、あかつき号事件について違法性を阻却しないと説示している(結論は、五二四頁、五二五頁、五二八頁)ことは明らかである。論旨はいずれも理由がない。

2  違法性に関する法令適用の誤りについて

弁護人の所論は、被告人戸塚らの一連の各行為は、正当行為ないし正当業務行為として違法性が阻却されるのに、原判決がT及びSの新人迎えから復路のあかつき船内までの間の一連の行為が違法であるとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りである、というのである。すなわち、異常な行動や家庭内暴力などを起こしたT及びSを立ち直らせ、家庭の平穏を守るためには、戸塚ヨットスクールに入校させる差し迫った必要性があった、被告人戸塚らは、両名の親権者との委託契約に基づき収容治療を行ったが、新人迎えの暴行及び連行、宮東合宿所での格子戸付き押し入れへの収容も、親権者から委託を受けた懲戒権の行使として相当性がある、夏期合宿施設における夜間の見張りも、衝動的かつ奇矯な行動をしやすい特別合宿生を引率する者の安全配慮義務の行使として相当性がある、夜間の一時期Tらの手首を手錠とロープで数珠つなぎにしたのも、両名が逃走したり、Sが指示に反して両親に手紙を出そうとしたりしたことに対する制裁のためや、夏期合宿施設からむやみに逃走してハブに襲われる被害を防止するため許容される、仮に一部に行き過ぎた面があるとしても、保全される利益に対し両名の受けた不利益は低いから相当性を有する、などという。

しかし、両名に対する一連の逮捕監禁は、違法性が阻却されないとの原判決の結論は是認することができるし、正当業務行為、正当行為、収容治療、安全配慮義務、引率責任などいずれの点から検討してみても、違法性は阻却されない。

すなわち、戸塚ヨットスクールの合宿施設に収容して前記のような訓練を強制するため、特別合宿生の意思に反して行動の自由を制限する逮捕監禁は、一般的に違法性を阻却するものではない。T及びSに原判示のような問題行動があり、その両親らの委託があったとしても、強度の暴行を加えて過酷な訓練をする必要性も緊急性も認められないし、収容治療として許容されるものではないから、行動の自由を物理的に制限するのはもちろん、見張りにより制限することも許容されない。右逮捕監禁の違法性は阻却されない。

夏期合宿施設での合宿につき、同合宿には元訓練生や日曜スクール生が参加し、早朝訓練や海上訓練などを一緒にしているが、特別合宿生とすれば宮東合宿所の特別合宿を奄美大島に移動して行うものであり、特別合宿の性質が変わったとはいえない。そして、早朝及び日中の見張りは、監視による監禁が成立するところ、特別合宿生、元訓練生や日曜スクール生の事故を防止するため見張りをしている面もあるからといって、Tら特別合宿生の逃走を防止する見張りの違法性が阻却されるものではない。夜間の見張りも、むやみに出歩くとハブに襲われる危険があるからという理由で違法性が阻却されるものではないし、T及びSを手錠とロープで縛って拘束することが許されないことは明らかである。なお、特別合宿生に対する見張りの程度は、宮東合宿所における見張りと比較し全般的に緩やかな面があるとはいえ、奄美大島における夏期合宿施設の自然条件、立地条件から、夏期合宿施設から逃走しても島外へ脱出することは困難であるため、逃走防止のための見張りの程度がやや緩やかであったにすぎず、それ故に違法性が阻却されるものではない。

宮東合宿所と夏期合宿施設との往復の間の監禁につき、合宿場所を移動するために特別合宿生を引率する必要があるからといって、監禁の違法性が阻却されるものでもない。

以上のとおり全期間を通じて違法性が阻却されるものではない。論旨は理由がない。

3  違法性阻却事由に関する事実の錯誤について

弁護人の所論は、仮にT及びSを収容治療する緊急性が認められないとしても、両名の親権者は差し迫った状況から入校を切望し、被告人らは収容治療する緊急性があると信じて入校させたから、違法性阻却事由に関する事実の錯誤がある、というのである。

しかし、被告人戸塚らがT及びSの意思に反して前認定のような訓練を受けさせる必要があると考えたとしても、違法性に関する事実の錯誤とはいえないし、前記のとおりT及びSに対する各逮捕監禁は到底許容されるものではないから、右の点は犯罪の成立に消長を来すものではない。論旨は理由がない。

第四U事件(被告人戸塚、同A、同C、同B、同D)

一  審判の請求を受けない事件について審判した、理由不備、理由齟齬、訴訟手続の法令違反の主張について

1  個別の暴行と損傷との関係について

弁護人の所論は、原判決は、Uの死体にみられる損傷のうち、被告人戸塚らの暴行によるものを具体的に特定せず、また、被告人戸塚らの個別の暴行とUの死体にみられる損傷との関係を具体的に特定していないから、原判決には理由不備がある、というのである。

記録を調査して検討すると、原判決の認定に所論指摘のような理由不備があるとは考えられない。

暴行による損傷の特定につき、原判決の第一章の五の2の(罪となるべき事実)において、被告人戸塚、同A、同C、同B、同D、Q、E(以下「被告人戸塚ら七名」という。この項で被告人戸塚ら七名とはこれらの者をいう。)らは、一連の暴行により「Uの顔面、胸腹部、腰背部、上下肢等に多数の皮下出血、表皮剥離、筋肉内出血等の傷害を与え、これによりUを死亡させた」(二四五頁)と認定し、同3の「U事件についての補足説明」(以下「補足説明」という。この項においての補足説明は、この補足説明である。)②のⅠの項において、右下腿後面の熱傷は常滑市民病院における治療中に受けたものとし、その他の「Uの死体に認められる損傷について、その一部に例えばヨットの転覆時に船体に身体を打ち付けて生じた外傷によるものがある可能性を否定できないとしても、なお相当部分は被告人らの暴行によって生じたものと認めることができる」(二八一頁から二八八頁)と説示している。そうすると、原判決の認定説示は、暴行により生じた傷害の認定として欠けるところはない。

次に、具体的暴行と傷害との特定につき、一連の暴行による傷害致死罪の場合、個別の暴行とそれにより生じた傷害を一つ一つ具体的に結び付けて特定する必要はないから、原判決が個別の暴行とUの死体にみられる傷害を具体的に特定しなかったからといって、理由不備であるとはいえない。論旨は理由がない。

2  被告人Aの共謀共同正犯の認定について

弁護人の所論は、被告人Aは、被告人戸塚らと共謀の上、Uに対し暴行を加えた実行共同正犯として起訴されたものであるのに、原判決は、被告人AのUに対する暴行を認定しないで、共謀共同正犯として傷害致死罪を認定したのは、訴因を逸脱して事実を認定したものである、というのである。

しかし、原判決は、被告人AについてもUに対する傷害致死罪の実行共同正犯と認定したものと認められ、関係証拠に照らして右認定は正当であるから、所論はその前提を異にする。

すなわち、原判決は、第一章の五の2の(罪となるべき事実)中で、被告人Aは、他の共犯者らと「共謀の上、昭和五七年一二月五日から同月一二日間までの間、以下のとおり暴行を加えた。」(二三九頁)と認定判示した上、〈一二月五日から一一日までの早朝体操のときの暴行〉、〈夜の自主トレーニングのときの暴行〉、〈一二月一二日の早朝体操のときの暴行〉をそれぞれ具体的に摘示し、次いで〈一二月一二日の午後の海上訓練の前後の暴行〉の項で、被告人Aは、五七年(以下この項では「五七年」を省略する。年度の記載のないときは五七年のことである。)一二月一二日午後の海上訓練の開始に際し、Uが合宿所から出て来なかったため、訓練生に指示して近くの堤防上までUを連れて来させたと認定している(二四二頁)。関係証拠によれば、右連行の目的は、体調が著しく不良で休息していたUに対し、殴打足蹴りなどの暴行を加えての不法な訓練を強行することにあったと認められ、実際、連行直後から同日午後四時過ぎまで被告人Dらの判示暴行を加えての訓練が実施されている。そうすると、被告人Aの連行指示、それに基づく連行自体は、暴行などの構成要件に直接該当する行為とはいえないが、連行後に実施する暴行を加えての訓練の開始に必要不可欠の行為であり、全体的に考察すると、被告人Aは、以上の役割を分担することによって、Uに対する一連の暴行を共犯者らと共同実行したものと認められる。実行共同正犯では、必ず共犯者全員が構成要件に該当する行為の一部を分担しなければならないとし、被告人Aが暴行に及んでいないから共謀共同正犯であるとの前提での所論には、賛同できない。論旨は理由がない。

3  Uの死因、被告人らの暴行とUの死亡との因果関係について

弁護人の所論は、公訴事実は、被告人戸塚らがUに暴行を加え、外傷性ショックにより死亡させたというものであるのに、原判決は、Uが外傷により死亡したか低体温症により死亡したか不明であるとし、被告人戸塚らの一連の暴行とUの死亡との因果関係を明らかにしないまま、被告人らの暴行とUの死亡との間に因果関係が認められるとした。したがって、原判決は、公訴事実を逸脱して審判の請求を受けない事実について審判した、Uの死因を明らかにせず、被告人戸塚らの暴行とUの死亡との因果関係を明らかにしない理由不備がある、Uの死因を外傷性ショックと認定できないのに、原判示の暴行によりUに傷害を負わせて死亡させたと認定した理由齟齬がある。仮に原判決の認定が公訴事実と同一性があるとしても、原判示の事実を認定するには訴因変更の手続を要するのに、これをしないで原判示のとおり認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、当審においては日時を経過しており、原判示と同様な事実を認定するために訴因変更をする余地はない、というのである。

記録及び証拠物を調査し、当審における事実認べの結果を加えて検討すると、後記のとおりUは、被告人戸塚ら七名の訓練過程の一連の暴行による外傷性ショックにより死亡したものであり、Uが外傷性ショックで死亡したか低体温症で死亡したか不明であるとの原判決の認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある。しかしながら、原判示の認定によっても、原判決が審判の請求を受けない事実を認定したものではないし、原判示の事実を認定するために訴因変更手続が必要であるとはいえないし、所論のように理由不備あるいは理由齟齬があるとはいえない。

すなわち、原判決は、第一章の五の2の各暴行を認定し、その暴行による傷害によりUを死亡させたと認定し、補足説明①のⅧの項において、Uの「死因について、「外傷」を考えるか、「低体温症」を考えるか、いずれにしても不明な点が残り、また、いずれの可能性も否定できないことから、検察官が主張するところの、死因を外傷性ショックであるとの認定ができないことは、弁護人らの指摘するとおりである。したがって、死因については、低体温症との可能性もあるが、また、そのように認定することもできないので、Uの虚弱的な体質や肝機能障害の疑い等の素因、生前体表に形成された外傷、寒冷暴露といった諸要因が相まってUの死亡の原因となったことまでを証拠上認定するにとどめる」とした(二八〇頁、二八一頁)。そうすると、原判決は、寒風下の訓練に伴う寒冷暴露は被告人戸塚ら七名の一連の暴行とは直接関係のないことを前提に、右暴行により生じた外傷と寒冷暴露により生じた低体温症分二つが死因となった可能性があるとし、右暴行だけでUが死亡したとは認められないが、右暴行にUの虚弱体質や肝機能障害の疑い等の素因、寒冷暴露の要因が加わってUが死亡したと認定し、結局、右暴行により生じた外傷とUの死亡との間には因果関係があるとしたもので、被告人戸塚ら七名の訓練過程の一連の暴行はU死亡の間接的原因であるとしたものである。

訴因逸脱の点につき、暴行が唯一又は直接の原因で被害者が死亡した場合のほか、間接的原因で死亡しても、因果関係が肯認できる限り傷害致死罪が成立するところ、原判決は、被告人戸塚ら七名の訓練過程の一連の暴行による外傷は他の要因と相まってUの死亡原因となっているというのであるから、右暴行はUの死亡の直接の原因であるとの公訴事実に対し、原判決は、右暴行はUの死亡の間接の原因にすぎないとして暴行の影響を縮小して認定評価したものであり、公訴事実と異なる事実を認定したものではない。

理由不備及び理由齟齬の点につき、原判決は、被告人戸塚ら七名の一連の暴行による外傷とUの死亡との間に前記の範囲で因果関係があると認定説示したのであるから、右認定説示に理由不備があるとか、理由齟齬があるとはいえない。

訴因変更の必要性の点につき、原判決の認定は、公訴事実を縮小認定したものである上、原審弁護人の主張のうち、被告人戸塚らの暴行が直接の死亡原因ではない点や低体温症の影響の点を一部認めたが、右一連の暴行が間接の死亡原因でもないとの点を排斥したものであり、原判決の認定が被告人戸塚らに不意打ちを与えるものでもない。これらによれば、原判示の認定をするにあたり訴因変更の手続が必要であるとは解されない。論旨はいずれも理由がない。

二  関係証拠に対する訴訟手続の法令違反の主張について

1  特別合宿生らの検察官調書について

弁護人の所論は、特別合宿生のM"(甲397)、Y1(甲399)、f"(甲405)、M1(甲411)、Z1(甲412)、i"(甲442の3)、見学者のJ"(甲398)の各検察官調書は、証拠能力はない。M"らは、原審で一部記憶がないと証言するが、U事件発生後、M"は二か月後に、その他の者は約七か月後に取調べられたが、記憶の忘却の法則から右取調べ当時既に記憶を相当喪失しているとしても、その当時保持されていた記憶は証言当時も相当程度保持されていたのであるから、記憶の低下ないし損失を理由に供述不能とはいえない。特別合宿生は、戸塚ヨットスクールに敵意反感を持ち、取調官はマスコミの宣伝を利用してその敵意反感をあおった可能性がある、特別合宿生の多くは、違法行為をしていたから、取調官に迎合するおそれが大きく、年齢も若くて被暗示性及び被誘導性もあるから、特信情況もない。弁護人は、特信情況のないことを立証するため、取調べ検察官を証人申請したのに、原審は、大半の申請を却下したまま特信情況の存否を判断したのは、審理不尽の違法があり、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、右各検察官調書は証拠能力があると認められるし、原審がこれらを採用して事実認定に供した訴訟手続に瑕疵はない。なお、前記第一の三の2で説示したとおり、検察官に供述した後記憶が喪失すれば、供述不能というべきであるし、記憶が乏しくなりあいまいなまま検察官調書と異なった証言をすれば、検察官調書と相違する証言というべきである。また、特信情況の存否を判断するため、取調べ検察官を必ずしも証人尋問する必要はないし、関係各証拠によれば後記のとおり右各検察官調書にはそれぞれ特信情況が認められるから、原審が検察官を証人尋問しないまま右各検察官調書を採用したことに審理不尽の瑕疵もない。

M"は、六〇年六月二四日の二一回に事実経過の概略を証言したが、被告人戸塚らのUに対する暴行の態様などの記憶が乏しいことは明らかである。M"は、検察官には当時の記憶のとおり供述したと証言するが、五八年二月九日付検察官調書(甲397)は、Uが入校後の経過、殊に一二月一二日の経緯は具体的詳細であり、Uの死体に残された損傷とも合致し(一二日早朝体操時の被告人戸塚のUの顔面に対する暴行が、Uの顔面の損傷と反するものではない。)、他の特別合宿生の証言や検察官調書と多くの点で符合している。M"は、四二年一一月生まれで、五月非行を犯して少年審判を受け、七月一〇日ころ戸塚ヨットスクールに入校し一二月二七日退校した後、再び非行を犯して少年鑑別所に収容中に検察官の取調べを受けたが、戸塚ヨットスクールに反感を持ち、検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

Y1は、六〇年一二月二三日の二五回に戸塚ヨットスクールでの経験は心の支えとなっているとも証言し、Uの入校後の経過、夜の自主トレーニングや一二月一二日午後一時ころのUに対する暴行などについて証言したが、暴行を加えた者、暴行の程度など細部の記憶が乏しい。Y1は、検察官には当時の記憶どおり供述したと証言するところ、五八年六月一八日付検察官調書(甲399)は、具体的詳細であり、不自然不合理な点もなく、他の特別合宿生の証言及び検察官調書と符合している。Y1は、四〇年一月生まれで、五月に非行を犯し、八月二一日ころ入校し、翌五八年四月三〇日退校し、その後シンナーの吸引などにより同年八月少年院に送致されたが、戸塚ヨットスクールへの反感から検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

f"は、六〇年九月一九日の二四回に入校した後脱走するまでの経過を証言したが、被告人戸塚及びEがUに加えた暴行など細部の記憶は乏しいが、検察官に対し当時の記憶どおり供述したと証言する。五八年六月三日付検察官調書(甲405)は、徳島地方検察庁阿南支部で事情聴取されたもので、右各点の経過は具体的で詳細であり、他の特別合宿生の検察官調書とも符合している。f"は、四三年一月生まれで、中学校に入った後シンナーを吸入したり学校に行かなくなり、一一月二九日ころ戸塚ヨットスクールに新人迎えにより入校したが、翌五八年一月一五日脱走し、同年六月シンナーを吸入するなどし、同年七月少年鑑別所に収容の上同年八月中等少年院送致とされ、右供述当時も戸塚ヨットスクールに反感を持っていたとうかがわれる。しかし、f"は、自己が連行された状況及びコーチらから暴行を受けた状況について被害者として体験した事実を、U事件の関係について目撃した事実を供述したものであり、後記第五の二のとおり自己の受けた暴行の供述は信用することができ、戸塚ヨットスクールに反感を持ち、検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いもないから、U事件関係の供述も同様である。これらによれば、特信情況が認められる。

M1は、六〇年七月一八日の二二回に証言したが、コーチに暴行されて二日間入院したこともあり、戸塚ヨットスクールにはかかわり合いたくないと思っていたと証言しつつ、Uの入校後の経過を含めて証言したが、一二月八日や一二日の早朝体操時にQや被告人戸塚がUに加えた暴行など細部の記憶が乏しい。M1は、検察官に自宅で記憶どおり供述したと証言するところ、五八年六月四日付検察官調書(甲411)は、具体的詳細であり、不自然不合理な点もなく、他の特別合宿生の証言、検察官調書と符合し、矢田昭一医師作成の一二月二八日付鑑定書(甲26)のUの死体の損傷と反しない。M1は、四二年七月生まれで、中学校に進学後シンナーを吸入したり外泊するなどし、一二月六日ころ戸塚ヨットスクールに入校し、同月九日ころと同月二三、二四日ころの二回にわたり逃走し、五八年一月八日両親に引き取られて退校したが、同スクールに対する反感から虚偽の供述をした疑いや、検察官に迎合した疑いもない。これらによれば、特信情況が認められる。

Z1は、六一年一月二七日の二六回に事実経過の概略を証言したが、Uの初めての早朝体操時の状況、一二月一一日の昼食の摂取、翌一二日の早朝体操後の状況の記憶が乏しいが、検察官に記憶どおりに供述したと証言する。五八年六月七日付検察官調書(甲412)は、自己が逃走して捕まえられ一二月二〇日ころまで合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込められた経験を織りまぜた具体的詳細なものであり、他の特別合宿生の証言や検察官調書とも符合している。被告人戸塚がUの腹を足で踏み付けた暴行も、一二月九日ころの早朝体操のときではないかと供述し、決して同日と断定しているものではないし、同月一二日の被告人戸塚のUの顔面に対する暴行も、死亡したUの顔面には相当な傷害があるから、虚偽や誇張の供述をした疑いもない。Z1は、四〇年六月生まれで、四月オートバイ盗をし、一一月二二日ころ新人迎えにより戸塚ヨットスクールに入校し、五八年一月八日ころ両親に引き取られて退校した後、同年三月ころ保護観察処分を受けたが、本件事件に関して被告人戸塚らに反感を持ち、検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

i"は、六一年一一月二八日の三九回に入校後から退校するまでの経過を自己が暴行を受けた点を含め証言したが、被告人A、同D、QのUに対する暴行の月日及び態様など細部の記憶が乏しいが、検察官に記憶どおり供述したと証言する。五八年六月四日付検察官調書(甲442の3)は、右各点につき具体的詳細であり、他の特別合宿生の検察官調書とも符合している。なお、後記第五の三で説示するとおりUは一二月五、六日に午後の海上訓練に出ていないとはいえないのであって、午後の海上訓練を前提にしたi"の供述が事実に反するとはいえない。i"は、四一年三月生まれで、五五年五月オートバイ盗をして少年院に送致され、仮退院後も保護観察を受けていたが、一〇月一〇日ころ戸塚ヨットスクールに入校し、五八年二月四日退校し、被告人戸塚の手配などにより高校に復学していたから、同スクールに反感を持ち、あるいは検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いもない。これらによれば、特信情況が認められる。

A2の中学校の担任教諭であるJ"は、六一年二月一四日の二七回でA2の様子を見るため一二月一二日に同スクールに来た際目撃した状況を証言したが、暴行を受けたUの容体の程度、コーチの暴行時間などについて検察官調書と実質的に異なる供述をし、Uの体をたき火に近付けた回数とその時刻の記憶は乏しい。J"は、検察官に対する供述の方が正確であると証言するところ、五八年六月三日付検察官調書(甲398)は、U事件後約六か月の段階で供述したもので、右各点につき具体的詳細であり、Uの容体の程度、コーチの暴行時間の点は他の特別合宿生の検察官調書と符合しており、たき火に近付けた回数とその時刻の記憶も判然としている。これらによれば、特信情況が認められる。

右のとおり各検察官調書には証拠能力が認められる。論旨は理由がない。

2  Rの供述調書について

弁護人の所論は、Rは、五八年七月下旬ころ捜査当局の分断工作に応じて被告人戸塚らと訣別し、検察官に迎合して供述したから、Rの検察官調書(甲487ないし甲490)には特信情況がないのに、原審がこれらを採用して事実認定に供したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、Rの逮捕勾留、従前の弁護人を解任して新たな弁護人を選任した経過は、前記第一の一で認定説示したとおりであり、捜査官がRに弁護人の解任を働き掛けたり、被告人戸塚らとの分断を図った疑いはない。Rは、六二年四月二七日の四六回、同年六月五日の四八回にU事件を含め多数の事柄を証言したが、Uに対する暴行など細部の記憶が乏しくなっていることは明らかである。Rは、検察官には当時の記憶どおり供述した、U事件で処分保留で釈放されたが、反省すべき点は反省し、早く社会に出て一生懸命今後の生活をしたいと考えていたと証言しているところ、五八年六月二一日付(甲487)、同月二六日付(甲488)、同月二九日付(甲490)、同年七月四日付(甲489)検察官調書は、前後一貫し、具体的詳細であり、特別合宿生の証言や検察官調書と多くの点で符合し、検察官に迎合して虚偽の供述をした疑いもない。これらによれば、特信情況が認められ、その証拠能力がある。論旨は理由がない。

3  被告人らの供述調書について

弁護人の所論は、被告人Aは、暴走族事件に続いてU事件で逮捕勾留されたが、弁護人との接見を著しく制限され、ほぼ連日朝から晩まで取調べを受け、Uに対する道義的責任も加わり、検察官の言うとおり認めないと他のコーチからどんな目で見られるか不安に陥る心理的圧迫を受け、次第に疲れて右状況から逃れたくなって検察官に迎合して供述した。被告人B、同Dは、同様の経過で逮捕勾留され、弁護人との接見も著しく制限され、連日取り調べを受けて追い詰められ、被告人戸塚や他のコーチに不信感を抱くように仕向けられ、理詰めの追及などにより、都合のよい調書を作成されるなどしたから、被告人A(乙124ないし126)、被告人B(乙131ないし134、303、304、307ないし309、331ないし334)、被告人D(乙25、135ないし138、224ないし234、242)の各供述調書は、いずれも任意性がないのに、原審は当該被告人の関係で刑訴法三二二条一項により採用し、その一部を事実認定に供したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続に関する法令違反であり、右各供述調書の証拠排除決定を求める、というのである。

記録を調査して検討しても、前記各供述調書の任意性に疑問はなく、原審がこれらを証拠として採用し、その一部を事実認定に供した点に瑕疵はないし、これらを証拠排除すべき理由はない。

すなわち、被告人A、同B、同Dは、前記第一の一で認定説示したとおり暴走族事件に続いてU事件で逮捕勾留され、それぞれ代用監獄に分散して留置されたが、その過程に違法不当な点はなく、U事件で勾留された当初弁護人との接見にやや支障があったが、準抗告決定に従い弁護人が接見したり、その後申合せの方法で接見しており(例えば、被告人Bは、五八年六月二五日、同月二九日、同年七月二日、同月七日、同月一二日、同月一五日などに接見)、所論のような接見妨害がなされたとはいえない。そして、被告人Aは、一二月一二日午前Uが体の具合が悪くて寝ていたのは知らない、同日午後の海上訓練でUを海水に浸けたコーチは被告人DかQか断定できないなどと供述していて、検察官に迎合したとはいえない。被告人Bは、当時訓練生が多く年令差、体格、体力差などで区別する体制になかったなどの実情を訴え、自己の行動を説明し、一二月一二日午後四時ころUの額を突堤側面のコンクリートにぶつけたことなどを供述したが、他の暴行の記憶はない、他のコーチもUが怠けていると見てしごきをしていると思うが、具体的な記憶はないなどと供述しており、検察官に供述を押し付けられた疑いはない。被告人Dは、一二月一二日午後の海上訓練でUの体を海水に浸けたが、踏ん付けたり顔面を何回も海水に浸けたか断言できない、Uをたき火にあたらせたが、顔をそむけるような所まで近付けていない、犬のように「ワンワン」とほえろと言ったか記憶がないなどと供述し、検察官に都合のよいように調書を作成された疑いもない。これらによれば、各検察官調書の任意性に疑問はない。論旨は理由がない。

4  相被告人の検察官調書について

弁護人の所論は、被告人A(乙124、125)、被告人B(乙131ないし134、331、334)、被告人D(乙135、137、138)の各検察官調書は、前記の事情があって特信情況もないのに、原審は、他の被告人の関係で刑訴法三二一条一項二号により採用した、というのである。

しかし、被告人らの原審における供述は、右各検察官調書と相違することは明らかであり、右各検察官調書は、特信情況も認められるから、原審がこれらを刑訴法三二一条一項二号により採用して事実認定に供した点に瑕疵はない。

すなわち、被告人Aらの右各検察官調書は、任意性に疑問はないし、その各供述中原判示認定に沿う部分は、多くの点で相互に合致し、特別合宿生の証言や検察官調書と符合しているから、いずれも特信情況があると認められる。論旨は理由がない。

5  証拠開示の勧告、命令について

弁護人の所論は、原審弁護人は、一二月一二日午後の海上訓練後にUが温水シャワーを浴びた状況に関する特別合宿生のB2、C2、p"、M"の司法警察員調書の証拠開示を要請したが、右状況に関する証拠は少なく、Uの死因に関する重要な事項であるから、裁判所とすれば訴訟指揮権に基づき検察官に証拠の開示を勧告し、これに応じなければ開示の命令をすべき義務があったのに、原審が開示の勧告も命令もしなかったのは、最高裁判所昭和四四年四月二五日決定(刑集二三巻四号二四八頁)に反し、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反である、というのである。

しかし、原審が取り調べた関係証拠によれば、後記の事実関係を認定することができるのであり、所論指摘の各司法警察員調書の開示の勧告や命令を発すべきであるとは認められないから、原審のこの点に関する訴訟手続に瑕疵があるとはいえない。論旨は理由がない。

三  事実誤認、法令適用の誤りの主張について

検察官の所論は、被告人戸塚らはUに対し原判示の暴行以外にも他の暴行を加え、Uは他の暴行を含む一連の暴行による外傷性ショックにより死亡したものであり、低体温死の可能性はないのに、原判決が被告人戸塚らの暴行を縮小認定し、原判示の暴行が直接の原因で死亡したことも否定し、低体温死の可能性を認めて原判示のように認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

弁護人の所論は、多岐にわたるところ、要するに、被告人戸塚らは原判示の暴行を加えていないし、Uの死体に存する一一五群の損傷中約一八群の損傷が暴行によって発生したにすぎず、その暴行による損傷もUを死亡させるに足るものではない。Uは、一二月一二日の海上訓練で低体温症に陥り、常滑市民病院の医師によるボスミンの過剰投与等の医療過誤も重なり死亡したのに、原判決は、被告人戸塚が原判示の暴行を加えたと認定し、それによる傷害を具体的に認定しないまま、原判示の暴行とUの死亡との因果関係を認め、Uの低体温死の可能性を認めただけで、医療過誤も否定して、傷害致死罪の共同正犯を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認であり、暴行と死因との因果関係、傷害致死、共同正犯に関する法令適用の誤りである、というのである。

記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果を加えて検討すると、関係証拠によれば、被告人戸塚ら七名は、原判示のとおりUを殴打足蹴りし、一二月前半の寒風下に身体をさらしたり海水に浸け、Uの顔面、胸腹部、腰背部、上下肢等の多数の皮下出血、表皮剥離、筋肉内出血、体内の大脳、脳幹、小脳に水腫、うっ血、肺に水腫等の損傷を負わせ、Uは、一連の暴行により肉体的精神的に多大な打撃を受け、食事も満足に摂取できずに体温も下がり、これらの暴行による外傷性ショックにより死亡したものと認定することができるのであり、原判決の事実認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認が認められる。原審及び当審における被告人戸塚、同A、同C、同B、同Dの各供述中、右認定に反する部分はいずれも信用できない。以下、個別の所論に即して補足説明する。

1  Uの入校前の健康状態等について

弁護人の所論は、Uは、入校前に虚弱で肝機能障害があり、脳波にある程度の異常が認められ、環境の変化に対応できない心身であった、という。

しかし、関係証拠によれば、Uは、一二月四日入校当時日常生活に支障が出るような心身の異常があったものとは認められない。原判決第一章の五の1のUの心身の状況の認定(二三二頁、二三三頁)は、概ね相当として是認することができるが、補足説明①のⅧの項の死亡に結びつくような「Uの虚弱的な体質や肝機能障害の疑い等の素因」があるとの点(二八一頁四、五行目)は、是認することができない。

関係証拠によれば、Uは、戸塚ヨットスクールに入校するころ、細身ではあるが、日常生活に支障を生ずるような心身の異常はなく、血液検査を受けても肝機能障害を指摘されたこともないし、医療機関での指導や治療を必要とする状態ではなかったと認められる。すなわち、Uは、五五年秋ころ慢性副鼻腔炎を患い、五六年七月入院して手術を受けた後、重大な疾病にり患したことはないし、五五年一〇月ころ茅ヶ崎クリニックの脳波検査では除波が混入し、後頭部の領域で脳波が非対称と診断されたが、五六年一一月には脳波の改善傾向がみられ、一一月改善顕著で特段医療措置を受けなくても正常波に戻るだろうと診断されていたから、入校時には脳波に異常もみられない。

ところで、Uは、一二月七日午前に乙山病院で健康診断を受けた際、白血球数一万六五〇〇、GOT値一六三、GPT値六〇を示し、J医師は、この点などから肝機能障害の疑いがあったと証言する。しかし、Uは、戸塚ヨットスクールに入校するまで肝機能障害の疑いがあると診断されたこともなく、日常生活に支障が生ずるような肝機能障害があったとも認められない。ところで、当審で取り調べた臨床診断学検査編(当審甲3)によれば、GOT値は臓器組織の損傷により血清トランスアミナーゼが循環血液中に逸脱してその数値が上昇し、GPT値は肝臓の損傷により上昇する、とされている。関係証拠によれば、Uは、入校直後の一二月五日の早朝体操から七日の早朝体操まで相当過酷な体操や海上訓練を強いられ、これらがこなせないために被告人Cらから多数回にわたり暴行を受け、身体に相当の損傷を受けるとともに、臓器組織も損傷し、次第に食事も摂取できなくなったことが認められる。そうすると、被告人Cらの暴行や過酷な訓練の結果、臓器組織を損傷し、右数値が増加したものと認めるのが相当である。

2  個別の暴行について

検察官の所論は、原判示の暴行以外にも、一二月五日か六日の早朝体操時に被告人CがUの頬をゴム草履で何回も殴打し、一二月五日か六日の午後の海上訓練時にUの手や腕等をティラーで殴打し、一二月一二日午後の海上訓練時に被告人A及び被告人DがUの脇腹、腰等を多数回殴打したのに、原判決が被告人戸塚ら七名が原判示の暴行を加えたにすぎないとする趣旨ならば、原判決の認定には事実誤認がある、という。弁護人の所論は、原判示の暴行につき、被告人CがUの背中をゴム製サンダル(正確にはビーチサンダル)で殴打したのは、一二月七日であり、五日か六日ではない、一二月八日ころの早朝体操時に被告人BはUの顔面を手拳で数回殴打していない、一二月一二日朝の早朝体操時に被告人戸塚は、腹筋運動の際にUの胸ぐらをつかんで正座させたり、Uの鼻付近の顔面を手拳で数回突くように殴り付けたり、被告人DとQがUの身体を多数回殴り付けたことはない、一二月一二日の午後一時ころに被告人DはUをたき火のそばに近付けたりその身体を海水に浸けたことはない、Qがこれらの行為をした、という。

しかし、関係証拠によれば、被告人戸塚ら七名はUの訓練過程において原判示の各暴行を加えた(二三九頁四行目から二四四頁六行目)と認定することができるのであり、原判示の暴行の認定に事実誤認があるとは認められない。

まず、検察官の所論につき、原判決は、第一章の二の5の③、④では被告人戸塚らが早朝体操及び海上訓練で体罰と称して様々な暴行を加えていると一般的に認定し(六二頁から六五頁)、第一章の五の2の(罪となるべき事実)では前記のように〈一二月五日から一一日までの早朝体操のときの暴行〉、〈夜の自主トレーニングのときの暴行〉、〈一二月一二日の早朝体操のときの暴行〉、〈一二月一二日の午後の海上訓練の前後の暴行〉に分けて原判示の暴行を認定した(二三八頁から二四四頁)ものの、一二月五日から一二日の海上訓練時の暴行には触れていないが、補足説明②のⅠの項でUの死体の損傷の相当部分は被告人らの暴行によるものと認定説示している(二八一頁から二八八頁)のであるから、被告人戸塚らが他に暴行を加えなかったと認定したとは解されない。そして、原判示の暴行によりUが外傷性ショックにより死亡したと認められるから、原判決が他の暴行を認定しなかったからといって、事実誤認があるとはいえない。

弁護人の所論につき、次のとおり各暴行を認定することができる。すなわち、被告人Cが暴行を加えた月日につき、i"は五八年六月四日付検察官調書(甲442の3)でUが入校した翌日の朝と供述し、M"は五八年二月九日付検察官調書(甲397)で一二月六日朝と供述しており、原判示の認定に誤認があるとはいえない。被告人Cは一二月七日と供述している(一〇〇回)が、右各検察官調書と相違している上、他にUに暴行を加えていないとの供述は、特別合宿生の証言や検察官調書と著しく相違しており、右月日の点はたやすく信用できないし、この点に関する当審の供述も信用できない。

一二月八日ころの早朝体操時の被告人Bの暴行につき、M1の五八年六月四日付検察官調書(甲411)によれば、被告人Bは、Uの顔面を手拳で数回殴打したと認められ、月日は若干相違するが、Z1の五八年六月七日付検察官調書(甲412)の裏付け証拠もある。

一二月一二日早朝体操時の被告人戸塚の暴行につき、M1の検察官調書(甲411)、M"の検察官調書(甲397)、i"の検察官調書(甲442の3)などによれば、被告人戸塚、同DとQがそれぞれ原判示の暴行を加えたと認められる。なお、早朝体操が始まってしばらくしてからの出来事であり、M1らが右の暴行を目撃することができなかったとはいえない。

一二月一二日午後四時ころ被告人DがUをたき火のそばに近付けたりしたことは、Bの五八年六月二八日付検察官調書(乙132)、同年七月一日付検察官調書(乙133)などにより認められる。ところで、J"は、Uを海に投げ付けたコーチは割と小柄であったと証言するが、コーチらの名前を知っている特別合宿生の証言や検察官調書、被告人Bの右検察官調書と対比し、たまたま来校したJ"の右証言に依拠してUを投げ付けたコーチが被告人Dではなく、Qであった疑いがあるとはいえない。これに反する被告人Dの捜査段階及び原審における供述は信用できないし、当審における供述も同様である。

3  温水シャワー及びUの筋肉硬直について

弁護人の所論は、Uは、一二月一二日午後の海上訓練終了後にシャワー室で温水シャワーを掛けられている途中気絶してしまい、その状態で一時間、短くとも三〇分間放置されたため、体温が低下して筋肉も硬直した、という。

しかし、補足説明②のⅠの項のUがシャワー室にいたのは長くみても三〇分以内との認定説示(二八八頁から二九〇頁)、補足説明①の1のⅦの項のUが硬直状態であったか否か具体的状態は不明であるとの説示(二七六頁)は、関係証拠に照らしいずれも相当として是認することができる。

若干補足すると、温水シャワーを浴びせられた時間帯等の点につき、関係証拠によれば、Uは、一二月一二日午後の海上訓練後たき火にあてられたり海水に浸けられたりし、午後四時三〇分ころ被告人戸塚の指示により、Rに指名された訓練生のC2及びP"に抱えられて宮東合宿所へ向かい、合宿所建物東側に設置されているシャワー室でウェットスーツを脱がされて温水シャワーを浴びせられたが、五分位でRは合宿所に戻り、残ったC2及びP"が温水シャワーを浴びせていた午後五時ころ、番外生のM"がその場に来たが、Uはそのうちうめき声も出さなくなり、異常に気付いたM"はすぐさまコーチに連絡したこと、Uは訓練生らに抱かれて合宿所一階畳敷の間に運ばれ、その連絡を受けた被告人戸塚がUに人工呼吸をしたこと、午後五時三〇分ころUを乗せた自動車は合宿所を出発して乙山病院に向かったことが認められる。そうすると、Uが温水シャワーを浴びせられた後、体温放散の極めて大きい状態下に三〇分以上も放置されていたとは認められない。

Uの身体の硬直の点につき、M"は、その検察官調書(甲397)で「温水シャワーを浴びさせたら声も全く出さず、体が硬直して動かなくなってしまったのです」と供述するが、声を出さなくなった点はともかく、硬直して動かなくなった点は評価を伴う供述であり、Uが海岸からシャワー室まで抱えられながらも歩いてきたことを考慮すると、右供述をそのまま信用することはできない。次に、L"は、午後の海上訓練が終わった後、合宿所三階にUが寝ており、がちがちに硬直していたので、コーチに見せたほうがいいということで三、四人の訓練生と一緒に一階に降ろしたと証言する(八九回)。しかし、Uがシャワー室から合宿所一階畳敷の間に連れて行かれた前後の経過は前認定のとおりであり、L"の証言は事実に反している。L"は、当日午後Uがたき火の付近にいたと思うが、何をしているか、どういう恰好でいるか覚えがない、被告人戸塚がその場にいたかも覚えがない、Uがコーチに水に浸けられたことは覚えているが、そのコーチの名前も覚えていないとも証言し、その記憶は著しく不鮮明である。これらによれば、三階に寝ていたUの身体ががちがちとなっていたとのL"の証言も信用できない。L"証言に関する補足説明②のⅠのイの説示(二八八頁から二九〇頁)は是認できる。

4  常滑市民病院での医療過誤の有無について

弁護人の所論は、Uは、一二月一二日午後六時ころ乙山病院に搬送されたときは症状が改善し血圧も測定できる状態であり、午後六時五五分ころ常滑市民病院に搬送されたときも症状が改善していたのに、同病院で低体温症に対する積極的な復温治療などがなされず、ボスミン一アンプルを皮下注射されたため、死亡した可能性が高い、という。

常滑市民病院に搬入時の健康状態の点につき、補足説明②のⅡのア、イの認定(二九一頁から二九七頁)は、関係証拠に照らし概ね相当として是認することができる。

若干補足すると、右証拠によれば、Uは、乙山病院に搬入されたが意識もなかったため、看護婦は、酸素吸入の措置を取り、血圧や脈拍の測定をしようとしたが測定できず、その容体から至急に医師の診療が必要と判断して常滑市民病院に搬送の手続を取ったこと、Uは、同病院に搬入されたときも意識がなく、瞳孔が散大し、全身が冷たく、脈拍や心音は辛うじて分かる程度で弱々しく、血圧は最大でも七〇前後にすぎず、通常であれば腕の表面の血管からする点滴を鎖骨下静脈から行うなど生命に危険がある重篤な状態であった、と認められる。Uの容体に関する被告人Aらの原審の供述は、たやすく信用できず、右の供述からUの症状に改善があったとはいえない。

次に、医療過誤の点につき、補足説明②のⅡのウの認定説示(二九七頁から三一〇頁)は、関係証拠に照らし概ね相当として是認することができる。

若干補足すると、右証拠によれば、Uは、常滑市民病院に到着後間もなく救急処置室で酸素吸入の処置を受け、身体の末梢から中心に向けてマッサージを受けたり、湯たんぽや保温マットで温められ、三輪田悟医師が鎖骨下大静脈穿刺により血管を確保し点滴を開始したが、好転する兆しがみられないため、午後七時一五分ころ二〇五号室に移され、酸素テント室に入れられたが、間もなく心停止状態になったため、肥田康俊医師は、金井朗医師の指示を受けてUに対し強心剤のエピネフリン注射剤であるボスミン二分の一のアンプル(約〇・五ミリリットル)を皮下注射し、金井医師が残りのボスミン二分の一のアンプルを五分から一〇分程度の時間をかけて約三回にわたり点滴用カテーテルの側管から注入した。金井医師らは、Uに心拍呼吸モニターを装着するとともに、心臓マッサージ、人工呼吸等の措置を行ったところ、約三〇分後に心拍が回復し、その後の血圧が多少安定したのを確認した後、レントゲン室に移して頭部、胸部の出血、骨折の有無等を確認していたところ、再び呼吸状態が悪化し、心停止、呼吸停止状態になり、心臓マッサージや人工呼吸等の蘇生術を試みたが蘇生せず、再び二〇五号室へ移し、気管内挿管を行うなどの蘇生術を継続したが、蘇生するに至らず、午後一一時三〇分ころ死亡した。これらによれば、金井医師らは当時知り得る事情を基に重篤なUを蘇生させようと懸命の治療を行ったものであり、同医師らに医療過誤と認むべきものはない。なお、J医師は、Uが搬入された後乙山病院で通常行う復温方法(ホットパックによるもの)により救命しえたか不明と証言し(六七回)、同病院の看護婦もその方法を取らないで直ちに設備の整った常滑市民病院へ搬送する手続を取っているのであるから、右復温方法を取っていたら救命できたとは認められない。

5  Uの死亡時の体温(直腸温)について

検察官の所論は、Uの死亡時の直腸温は摂氏三〇度以上であった、弁護人は、普通の体温計で測定できなかったから三五度以下であった、という。

関係証拠によれば、一二月一二日午後六時五五分ころ常滑市民病院に搬入時のUの体温は摂氏三五度に達しなかったこと、翌一三日午後二時二〇分から四時二〇分までの愛知県警察本部でなされた死体解剖時のUの直腸温は摂氏二八度(その際の室温は一五度)であったことは明らかである。しかし、これらの事実関係からUの死亡時の直腸温が何度であるか確定することは困難であり、この点に関する補足説明①のⅦの説示(二七九頁)は相当として是認することができる。なお、後記のとおりUの体温が低下したのは、体調の優れないUに寒風下で暴行を加えて訓練を強制した上、更に暴行を加えたことにより生じたもので、被告人戸塚らの暴行と無関係に体温が低下したものではないと認められるから、死亡時の直腸温を統計的数値をもって推定するまでの必要性はない。

6  Uの死体の損傷について

弁護人の所論は、Uの死体にある損傷のうち、被告人戸塚らの暴行により発生した可能性があるのは約一八群にすぎず、その他は早朝体操や海上訓練に伴う自損行為により負傷したものや、一二月一二日常滑市民病院で受けた蘇生手術によるものである、という。

しかし、関係証拠によれば、Uの死体の損傷の大半は、被告人戸塚ら七名の訓練過程の一連の暴行によって生じたものと認定することができ、前記第四の一の1で引用した補足説明の説示、補足説明②のⅠのアの救命措置による損傷、イのヨット訓練時による自損行為による損傷に関する認定説示(二八一頁から二八八頁)は、概ね相当として是認することができる。

若干補足すると、Uの右下腿後面にみられる熱傷は、常滑市民病院の蘇生術施行に伴い生じた疑いが濃厚であるが、被告人戸塚ら七名の右暴行により重篤な状態に陥ったUを蘇生させようとした治療により生じたものであって、違法行為によるものではない上、Uの死亡の原因となったものでもない。

自損行為の点であるが、まず被告人らの言動と間接的にも無関連の自傷行為に限定するとき、自己の身体に傷痕を残すほどの負傷をする可能性は、早朝体操時にはほとんど否定できるが、ヨット訓練時には全面的に否定はできないであろう。しかし、後者につき、関係証拠によって肯認できるUの訓練状況(二三九頁から二四二頁)に照らすと、「Uの死体に認められる損傷」の「相当部分は被告人らの暴行によって生じたものと認めることができる」(二八八頁)との結論を支持することができる。それのみならず、戸塚ヨットスクールの早朝体操や海上訓練の状況(六二頁から六五頁)を加えて考察すると、被告人戸塚らは、早朝体操時、他の訓練生らと同様Uについても、到底こなせない各種目を暴行を加えて強制しているから、Uが疲労も加わり誤って転倒などしても、純粋に自損行為とはみられないのであり、その結果による負傷も被告人らの暴行を加えて行う早朝体操と無関係なものとはいえないし、また、被告人戸塚らは、特別合宿生であるi"に短時間Uにヨットの操縦方法を指導させただけで、その後Uに一人でヨットの操縦をさせているのであり、右のような指導方法では初心者のUが上手に操縦できずに負傷することも当然であるから、これもまた被告人らの暴行を加えて行う海上訓練と無関係なものとはいえない。

7  Uの死因について

検察官の所論は、Uは、被告人戸塚らの一連の暴行による外傷性ショックにより死亡した。すなわち、Uの死体には外傷性ショックを起こすに足りる外傷があり、各臓器に末梢性の循環障害を示す変化が出現しており、組織学的にも臨床的にも外傷性ショックにより死亡したと認められ、Uの死に至る経過も外傷性ショックを裏付けている。他の死亡原因となる要因は認められないし、死亡当時の体温は腋下温が三五度を越えていた可能性もないではなく、低体温死の特徴的所見もみられない、などという。

弁護人の所論は、Uは、低体温症と医療過誤などにより死亡したもので、被告人Dらの暴行により死亡したものではない。すなわち、Uは、痩身ひよわで肝機能障害の疑いがあり、冬季訓練で長時間寒冷下にさらされ、多量の体温放散のため、筋肉の硬直現象と意識消失があらわれ、低体温症となったが、乙山病院に搬送されたときは症状の改善がみられたのに、J医師が不在なため常滑市民病院に搬入され、同病院では低体温症に対する積極的な復温治療などがなされず、ボスミン一アンプルを皮下注射される医療過誤もあって死亡した。被告人Dらの暴行は、Uの身体にわずかな損傷を与えたのみであるから、右暴行はUの死亡とは因果関係がない、という。

原判決には、Uの入校前の身体の状況の認定、被告人戸塚ら七名が訓練過程で加えた一連の暴行がUの身体に与えた損傷の評価、海上訓練に伴う寒冷暴露の評価の点で事実誤認があるし、Uの死因に関する証拠の検討方法と検討結果(二四八頁から二八一頁 なお、二七四頁八行目「一月九日ころ」は「一二月九日ころ」の誤記と認める。)には是認することができない点があり、その結果死因の認定にも事実誤認があると認められる。関係証拠によれば、Uは、前認定のとおり戸塚ヨットスクールに入校前には心身に日常生活に支障が生ずるような異常はなかったのに、入校後到底こなせない早朝体操及び海上訓練を押し付けられ、被告人戸塚ら七名から原判示のとおり多数回にわたり暴行を受けて身体表面に損傷を、体内の臓器にも多数の損傷を受け、食事も摂取できないほどに衰弱したのに、なおも一二月一二日早朝体操及び海上訓練を押し付けられた上暴行も加えられ、体温も低下し、意識も混濁して倒れ、常滑市民病院に搬入され懸命の救命措置が取られたが及ばず、被告人らの暴行による外傷性ショックにより死亡した、と認定することができる。以下、順次補足して説明する。

(一) 原判決の誤りについて

Uの入校当時の健康状態につき、虚弱な体質であり、肝機能障害の疑い等の素因があるとの原判示の認定に事実誤認があることは前記のとおりである。

Uに加えた暴行による損傷につき、一二月七日午後の健康診断のGPT等の数値の増加は、被告人戸塚らの加えた暴行によるものと認められ、この点に関する補足説明に誤認があることは前記のとおりである。Uの死体にみられる体外体内の多数の損傷は、被告人戸塚ら七名の訓練過程で加えた一連の暴行により生じたもので、後記のとおりUはその外傷性ショックにより死亡したと認められるから、右暴行が身体に与えた損傷の影響の認定にも誤認がある。

海上訓練に伴う寒冷暴露、それによる体温低下につき、原判決は、寒風下の訓練に伴う自然現象のように理解しているが、被告人戸塚らは、Uに対し寒風下で何度も暴行を加えながら早朝体操及び海上訓練をさせ、一二月一一日夕方には食事も十分摂取できず、翌一二日の午前中も寝込んでいたのに、同日午後の海上訓練に連行し、これを強制したのであるから、右寒冷暴露による体温低下も被告人戸塚ら七名の右暴行による損傷というべきである。

Uの死因につき、関係証拠の検討方法と検討結果に誤りがあり、死因の認定には誤認がある。すなわち、原判決は、補足説明①のⅡのとおりUの死因を外傷性ショックとする矢田の所見を要約し(二四八頁から二五五頁)、①のⅢのとおり原審弁護人から送付された資料に基づいて低体温死の可能性の意見をとりまとめた相原弼徳(以下「相原」という。)の所見を要約し(二五五頁から二五七頁)、①のⅣのとおり同様に原審弁護人から送付された資料に基づいて意見をとりまとめた木村康(以下「木村」という。)の所見を要約し(二五七頁から二六二頁)、①のⅤで矢田の所見と木村の所見の相違を指摘し(二六二頁から二六五頁)、①のⅥで矢田の所見につき、アで身体外部の損傷による影響を、イで身体内部の損傷、殊に腎臓の挫滅症候群を検討して矢田の所見を排斥し、外傷性ショックと認定することは困難であるとし(二六五頁から二七〇頁)、①のⅦで相原と木村の両所見の結論と重視した点を指摘し(二七〇頁、二七一頁)、更に弁護人の低体温に関する主張についても検討し(二七一頁から二八〇頁)、①のⅧでUの死因は低体温症の可能性はあるが、それ以上の判断は難しいとした(二八〇頁、二八一頁)。

しかし、矢田の所見を排斥した外傷性ショックとの認定が困難とした点につき、①のⅥのアの外傷の程度が弱く、左大腿部の損傷のみで出血性ショック死を引き起こすことはできないとの指摘は、矢田は、もともとUの死因を出血性ショックと判定していないのであるから、左大腿部の損傷から出血性のショックを引き起こさないからといって、矢田の所見に疑問が生ずるものではない。イの腎臓の挫滅症候群がないことから、外傷性ショックとの認定が困難であるとの点も、矢田は、もともと腎臓の挫滅症候群の所見はないとしながら、他の身体内外の損傷から外傷性ショックにより死亡したというのであるから、右の点から矢田の所見に疑問が生ずるとはいえない。

相原及び木村の所見から低体温症の可能性を認めた点につき、相原の意見書(弁266)及び証言(一一四回、一一八回、一二〇回)によれば、相原は、低体温死(凍死)の死体所見は特異なものではないから、矢田の解剖所見だけでは低体温死の診断を下すことは困難であって、気象条件、本人の行動、現場の状況などを総合して判断するしかないと指摘しているところ、Uの死体等には低体温死特有の症状は認められない。また、相原が使用した資料は、矢田鑑定書、矢田証書(九回、一五回のもので一六回のものはない。)、Uの死体を見分した一二月一六日付実況見分調書(甲23)、本件当時の気温等に関する報告書等、健康診断をした乙山病院のカルテ等、常滑市民病院の病床日誌等、入院時記録等、J"(二七回)、R(四六回)、D"(五八回)、K"(六六回)、J(六七回)、L"(八九回)の証言調書の写しなどであるが、L"の証言は前記のとおり信用性がないし、原審で調べたM"(甲397)、i"(甲442の3)、M1(甲411)の検察官調書などは含まれていないし、一二日午後の海上訓練後のUの心身の状況について、相原が送付された資料から認めた事実関係と原判決の認定では相違があるから、相原の所見から低体温死であるとはいえない。木村の所見は、前提となる資料の関係で同様な問題がある上、木村の意見書(弁283)、木村の原審の証言(一二七回、一二九回)によれば、温水シャワーを浴びた後のUの身体ががちがちとなっていたとのL"の証言を重視して右所見を述べていることが明らかであるが、L"のこの点に関する証言は信用できないから、右所見にも疑問が生ずる。

(二) Uの死因について

関係証拠によれば、Uは、被告人戸塚ら七名が加えた一連の暴行による外傷性ショックにより死亡したと認められる。

(1) Uは、細身であったがもともと虚弱体質でもなく、被告人戸塚らの暴行以外の事由で健康を損ねたものとは認められない。

Uは、入校当時日常生活に支障があるような健康状態ではなく、被告人戸塚らから暴行を加えられて到底こなせない量の早朝体操を強いられ、寒風下で厳しい海上訓練を受け、海水に浸けられるなどし、次第に健康を損ね、一二月一二日朝著しく健康を損ねているのに、原判示認定の気象条件下(二七四頁、二七五頁)で早朝体操及び海上訓練を強制され、殴打されたり海水に浸けられて心身を損ない、体温が低下したものと認められ、それ以外の事由で心身を損なった疑いはない。

(2) 被告人戸塚ら七名の一連の暴行は、外傷性ショックを招くに足りるものである。

被告人戸塚らは、一二月五日から同月一二日まで原判示の暴行を加えたが、その結果、救命措置による熱傷を除くUの死体にみられる多数の外傷を生じさせ、体内の臓器に多大な損傷を与えた。外傷は、頭部、顔面、胸部、背面、腰部、上下肢等に合計一一四群の表皮剥離、皮下出血、筋肉内出血等であり、臓器の損傷は、臓器の大脳、脳幹、小脳に水種とうっ血、肺の毛細血管の著明な拡張、肺胞内の洩出液を伴う肺水腫、腎は皮質、髄質にうっ血、左大腿筋には著明な浮腫などを生じさせた。矢田の前記鑑定書(甲26)及び証言(九回、一五回、一六回)によれば、Uの右損傷は、それ自体外傷性ショックを引き起こすに足りるものである。

ところで、原判決は、Uの外部所見から出血性ショックを引き起こすほどのものとは認められず、内部所見上もショック状態に起因するとは認められない、という。しかし、出血性ショックに関する原判決の疑問は前記のとおり理由がないし、矢田の右鑑定書によれば、全身に分布するおびただしい外傷は、いずれも内部の主要臓器の損傷を伴っていないものの、これらが総合蓄積されて作用したとするとUの生活機能に重大な悪影響を与えたことは確実であるとするが、Uが健康を損ねた原因が他に考えられないし、右所見に何ら疑問はない。また、内部所見に関する原判決の疑問は前記のとおり理由がないし、矢田は、Uの死体には組織学的に各臓器に末梢性の循環障害を示す変化が著明に生じており、多数の外傷により外傷性ショックに陥ったことを強く示しているというのであるが、他に右のような変化を生じさせた原因も考えられないのであるから、右所見に疑問はない。

(3) Uの死亡経過は外傷性ショックの症状と整合する。

Uは、一二月一二日朝の早朝体操で原判示の暴行を受けた後、一人で合宿所まで歩くことができず、他の訓練生に両脇から抱えられ、途中から付近の住民に片腕を取られて支えられるようにして合宿所に戻り、その後は三階の男子訓練生の部屋で眠っていたところ、午後の海上訓練に連行され、原判示の暴行を受けた後本部艇の船室に入れられたが、本部艇への乗り降りも一人ではできず、他の訓練生に支えられて移動し、青白い顔をしてうわ言のように小さな声を出し、海上訓練が終わり、本部艇からモーターボートに移り、船着場に戻ったときも自力で動けず、更に被告人戸塚らから原判示の暴行を受け、温水シャワーを浴びせられたころ意識が混濁し、身体が硬直したような状態に陥り、間もなく心臓マッサージなどの応急措置を受け、乙山病院次いで常滑市民病院に搬入されて救命措置を受けたが、意識は昏睡状態、脈は微弱、全身蒼白、身体の冷化などの症状に陥り、前記の経過で死亡した。右の症状は暴行による外傷性ショックによる症状と認めることができる。

以上の(1)から(3)の事実によれば、Uは、被告人戸塚ら七名から原判示のとおり暴行されて前記傷害を受け、その外傷性ショックにより死亡したものと優に認定することができる。

(三) 弁護人の死因の主張について

弁護人の所論は、Uは、虚弱体質で肝機能障害の疑いがあり、冬季の訓練で長時間寒風にさらされ、低体温症に陥り、乙山病院に搬送されたときは改善されていたのに、常滑市民病院の医療過誤により死亡した、という。

しかし、前記のとおりUは、虚弱体質ではないし、肝機能障害を指摘されたこともなく、日常生活に何ら支障はなかった。被告人戸塚らは、一二月初旬から中旬の厳しい気象条件を知りつつ、Uに強度な暴行を加えて過酷な早朝体操及び海上訓練を課し、Uが次第に健康を損ねて早朝体操などについていけないのを承知しながら、なお暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制し、これができないと拒絶反応が強いと言って更に暴行を加え、一二日午前には体調を損ねて寝込んでいたのに、同日午後の海上訓練を強制し、その結果体温低下を招いたから、体温低下を被告人戸塚らの暴行と関係のない自然現象としてとらえることは相当ではない。そして、Uは、乙山病院に搬送されたときは既に重篤な状態に陥り、常滑市民病院で懸命な救命措置を受けたのに蘇生しなかったもので、同病院に医療過誤もない。矢田は、Uの低体温死も考慮する必要があるとしながら、結局これを否定しているし、低体温症により死亡したことを示す特徴的症状も認められないのであるから、低体温死の疑いもない。これらによれば、弁護人の所論は採用できない。

(四) 被告人らの暴行とUの死因との因果関係について

弁護人は、仮にUが外傷性ショックで死亡したとしても、被告人戸塚らの暴行との間に因果関係はない、という。

しかし、これまで詳論してきたとおり、被告人戸塚ら七名は、Uに対し原判示の暴行を加えながら過酷な早朝体操及び海上訓練を強制し、Uの心身を損ね、体外及び体内に多数の損傷を負わせ、食事も十分摂取できなくなり、意識も混濁し、体温も低下させる状態に陥らせて、死亡させたものであるから、右一連の暴行とUの死亡との間には相当因果関係が認められる。

(五) 結論

以上によれば、Uは、被告人戸塚ら七名の原判示の一連の暴行による外傷性ショックにより死亡したと認定することができるから、原判決のUの死因は外傷性ショックか低体温死か確定できないとの認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、この点を指摘する検察官の論旨は理由があるが、低体温症で死亡したなどとの弁護人の論旨は理由がない。

8  傷害致死罪の成否について

弁護人の所論は、傷害致死罪が成立するには、行為者に死亡の結果発生の予見可能性とそれを前提にする過失が必要と解されるが、被告人戸塚らには、体罰を加えたUが死亡するとの予見可能性も、死亡の結果発生についての過失もないから、原判決が傷害致死罪を認めたのは事実誤認及び法令適用の誤りである、という。

しかし、先に述べたとおり傷害致死罪の成立について、暴行を加える際に被害者の致死の結果の予見可能性も過失も必要としないから、それぞれ暴行を加える際Uが死亡するとの予見可能性がなく、死亡の結果発生に過失がなかったとしても、傷害致死罪の成否に影響を及ぼすものではない。論旨は理由がない。

9  共同正犯の成否について

弁護人の所論は、共謀共同正犯の法理に関する最高裁判所の判例は変更されるべきである。仮に同法理を認めるとしても、原判示の新人迎えを指示された時点あるいはUと行動や生活をともにした時点で共謀が成立するとはいえないのに、原判決は、特定の構成要件を離れて被告人戸塚らの間に共謀の成立を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認及び法令適用の誤りである、という。

共謀共同正犯の点、被告人戸塚及びコーチらの共謀の点については、前記第一の五、第二の三の6で触れたとおりであり、被告人Aが実行共同正犯である点については、前記第四の一の2で説示したとおりである。関係証拠によれば、被告人戸塚ら七名の間には原判示のとおりそれぞれ共謀が成立したと優に認定することができ、原判決に事実誤認や法令適用の誤りがあるとは認められない。なお、所論のように一二月一二日の暴行のみが共謀の対象であり、一二月五日から同月一一日までの暴行は共謀の対象とならないとは、到底考えられない。論旨は理由がない。

四  違法性に関する法令適用の誤りの主張について

弁護人の所論は、Uの両親の戸塚ヨットスクールに入校させる委託、U自身の入校の承諾があるし、被告人戸塚らの加えた体罰は、正当行為ないし正当業務行為として違法性が阻却されるのに、原判決が違法性を阻却しないとしたのは、刑法三五条の解釈適用の誤りがある、というのである。

しかし、違法性の阻却を認めなかった原判決の結論は相当として是認することができる。当裁判所の一般的見解は前記第一の六で触れたとおりであるが、戸塚ヨットスクールにおける前認定の訓練方法が正当行為あるいは正当業務行為などとして違法性が阻却されるものとは到底考えられない。なお、Uは、Uの両親の入校の承諾とU自身の意思で入校し、ある程度厳しい訓練を受けることは承知していたと認められるとはいえ、体力を増強するために入校したものであり、Uの体力に応じて早朝体操及び海上訓練をすべきであるのに、被告人戸塚らは入校後間もなく他の特別合宿生とほぼ同様の量の体操や訓練を課し、それができないと拒絶反応が強いなどと述べて暴行を加え続け、Uの体力が減退し食事も摂取できないような状態に陥ったのに、なおも暴行を加えて早朝体操や海上訓練を課し、それがこなせないと暴行を加え、その結果死亡させたものである。そうすると、U及びその両親が生命にかかわる危険性の高い暴行を加え続けられるのを承諾したものでないことは明らかであり、被告人戸塚らの暴行を正当行為、正当業務行為とみる余地はないし、他の違法性阻却に関するすべての事由を考慮しても、その違法性は阻却されない。論旨は理由がない。

第五その余の事件

弁護人は、原判決第一章の七の「その余の事件」のうち次の各事件について、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反、事実誤認、法令適用の誤りがある、などと主張するので、以下順次検討する。各事件の(事件についての補足説明)は補足説明という。

一  V"子に対する傷害事件(被告人戸塚、同C、同F)1の②のⅠ

W"子に対する暴行事件(被告人戸塚、同C)1の②のⅡ

所論は、W"子の検察官調書は特信情況がないのに、原審がこれを採用して事実認定に供したのは訴訟手続の法令違反である。被告人Cは、五七年五月一七日ころの午後八時ころ北屋敷合宿所でV"子に暴行を加えていない、同日時場所で被告人戸塚及び被告人Cは、W"子に暴行を加えていないし、D2子(旧姓V"子、以下「V"子」という。)の証言は、被告人Cがその場にいたかどうか分からない、というのであり、W"子の証言は極めてあいまいで信用性がないのに、原判決が原判示の各事実を認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、W"子の検察官調書は証拠能力が認められるし、これを含む原判決挙示の各証拠によれば、原判示1の②の各事実(三二五頁、三二六頁)を認定することができるし、1の③の補足説明ⅡⅢの認定説示(三二七頁から三三〇頁)も、概ね相当として是認することができる。なお、当審で調べたメモ(反省文)二通(当審検28、29)によると、V"子が入校したのは五七年五月一三日ころ、W"子及びV"子が北屋敷合宿所から一緒に逃走したのは同月一五日ころと認められ、入校を同月一五日ころ、逃走及び犯行を同月一七日ころとする原判決の各月日の認定には事実誤認があるが、この点の誤りは判決に影響を及ぼすものではない。

証拠能力につき、W"子は、本件から約四年八か月経過した六二年一月一九日の四一回に証言したが、細部の記憶が乏しいことは明らかである。W"子は、検察官に当時の記憶どおり供述したと証言するところ、W"子の五八年一〇月二二日付検察官調書(甲190)は、本件から約一年五か月経過した時期のもので、相当詳しく具体的であり、帰宅した五七年五月一八日より数日前に逃走したが捕まり暴力を受けて反省文を書いたとの点は、前記反省文と合致し、逃走前後の経過の点は、V"子の証言(平成三年五月三一日実施の証人尋問調書)と符合し、コーチらに二階で正座させられた点は、被告人戸塚や被告人Fが右二階の部屋にいたとのPの証言(四九回)と符合し、V"子も殴打された点は、五七年五月二八日付写真撮影報告書(甲189)と符合する。なお、W"子は、検察官調書作成当時戸塚ヨットスクールやコーチらに対し悪感情を持っていたとみられるが、誇張したり検察官に迎合して供述した疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。

事実関係につき、補足説明に若干付加すると、被告人Cから暴行を受けたとのV"子の証言、被告人戸塚及び被告人Cから暴行を受けたとのW"子の証言及び検察官調書は、V"子の正座した向きなど細部で相違する点があるが、両名が北屋敷合宿所から一緒に逃走したが、連れ戻された夜に暴行を受けたとの基本的事実関係は符合しており、その核心部分はいずれも信用することができる。そして、V"子の証言中、コーチらから暴行された点は、五月一九日半田警察署で撮影された写真(甲189)と合致し、翌二〇日愛知県中央児童相談所で事情を聞かれた経緯とも整合し、一緒に逃走したW"子の証言やW"子の検察官調書と符合し、被告人戸塚や被告人FがいたとのPの証言(四九回)、Pの五八年一〇月二五日付検察官調書(甲512)と符合しており、信用することができる。なお、V"子は、戸塚ヨットスクールに入校したばかりでコーチの氏名もよく知らなかったから、次々と暴行を加えたコーチを具体的に特定できなくても不自然ではないし、名前を知っていた被告人Cがその場にいたか分からなくても同様である。次に、W"子の証言、右検察官調書も信用することができる。

他方、被告人Cは、ウェットスーツを着替えたりして二階の現場にいなかったと原審で供述(一二二回)するが、最初から最後までいたかどうか覚えていないとの五八年九月二二日付検察官調書(乙79)と相違し、右供述は信用できない。被告人戸塚の原審及び当審における供述は、V"子及びW"子が一致して供述する点とも相違し、信用できない。

右の各点に補足説明指摘の点を併せ考慮すれば、原判示の認定に事実誤認は認められない。

二  f"に対する監禁事件(被告人戸塚)7の②のⅠ

f"に対する暴行事件(被告人A、同戸塚)7の②のⅡⅢ

所論は、f"の検察官調書(甲405、414)は、特信情況がないのに、原審が採用して事実認定に供したのは訴訟手続の法令違反である。監禁事件につき、f"の非行は徐々に進み、両親は放置できなくなって入校を依頼したから緊急性があり、執拗に暴れて逃走する危険が高いf"を玩具の手錠で拘束して合宿所まで連行し、格子戸付き押し入れに収容しても手段の相当性があるから、正当業務行為として違法性を阻却するのに、原判決が監禁罪の成立を認めた(7の②のⅠ)のは法令適用の誤りである。暴行事件につき、被告人Aは、五七年一一月二九日午後一一時ころの寝静まっていた時刻に入所してきたf"に対しわざわざ点灯してまで暴行を加えていない、被告人戸塚は、翌三〇日ころの午後九時ころf"に暴行を加えていない、f"の証言は、主尋問と反対尋問では相違し、著しくあいまいで信用できないし、検察官調書も信用できない、原判示の被告人Aの暴行(7の②のⅡ)、被告人戸塚の暴行(7の②のⅢ)の各事実認定は事実誤認である、という。

しかし、f"の検察官調書には証拠能力があるし、f"の証言も信用でき、これらを含む原判決挙示の各証拠によれば、原判示7の②のⅠないしⅢの各事実(三四五頁から三四八頁)を認定することができ、7の③の補足説明(三四八頁から三五六頁)も概ね相当として是認することができる。なお、原判決三四九頁九行目「同年七月一四日付・甲141」は「同年七月二三日付・甲414」の、三五三頁一、二行目の「昭和五八年七月二九日付・甲71」は「昭和五八年七月二九日付・乙71」の誤記と認める。

証拠能力の点につき、f"は、六〇年九月一九日の二四回に本件の経緯を証言したが、五七年一一月二八日午後九時ころ新人迎えの自動車内で両手首に手錠を掛けられたが、その手錠をロープでドアの上部に結び付けるように指示した者、同月三〇日午後九時ころ被告人戸塚に尻を殴打される前のやり取り、一二月中旬Eに殴られた経緯や殴られた回数などの細部の記憶が判然としていない。f"は、検察官に対して当時の記憶どおり供述したと証言しているところ、五八年六月三日付(甲405)、同年七月二三日付(甲414)検察官調書は、記憶している点とそうでない点を区分けして供述し、右各点につき具体的詳細に供述し、他の特別合宿生が戸塚ヨットスクールに連行された際の状況と整合している。f"は、前記第四の二の1でも触れたとおり検察官に迎合して虚偽の供述をしたとか、過大に供述した疑いはない。これらによれば、特信情況が認められる。なお、f"と同じ自動車に乗車したE2子の供述調書を検察官が原審で申請しなかったからといって、右検察官調書の信用性に影響を及ぼすものではない。

逮捕監禁の違法性につき、前記のとおり戸塚ヨットスクールの合宿所において強度の暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制するため、特別合宿生の意思に反して合宿所に連行し、その行動の自由を制限する逮捕監禁は、到底許容されるものではなく、その違法性は阻却されない。なお、f"は、前記のとおりシンナーを吸入するなどの問題行動を重ねたが、五七年一一月下旬当時非行性の改善が困難な状態ではなかったし、その両親がf"の意思に反して戸塚ヨットスクールにおける前認定の訓練を受けさせる緊急性も必要性も認められないし、原判示の逮捕監禁行為が相当性を逸脱していることも明らかである。

暴行の事実認定につき、補足説明に若干付加すると、f"は、六〇年九月一九日の二四回に合宿所に連行されて間もないころ相次いで暴行を受けた状況を証言し、反対尋問でもその証言を維持しているし、右検察官調書でその経過を詳細に供述しており、その信用性に疑問はない。F2は、平成三年六月二四日の一二八回にf"が入校した当日痛いとの声が聞こえた、後でf"から木刀かサンダルでたたかれたと聞いた旨証言し、Rは、五八年七月二九日付検察官調書(甲492)で被告人Aにf"を連行してきた旨報告した、f"は坊主頭になっても額の上の両側に剃り込みの跡が残っていた旨供述し、f"の右証言及び検察官調書を裏付けている。他方、この点に関する被告人Aの原審及び当審の供述、被告人戸塚の原審及び当審の供述は、前記各証拠と対比し信用できない。f"の証言及び検察官調書など原判決挙示の各証拠によれば、原判示の各暴行を認定することができるのであって、所論のように前記E2子を証拠調べしないことが審理不尽であるとはいえない。

三  i"に対する暴行事件(被告人A)七の8

所論は、原判決は、訴因を逸脱して公訴事実と異なる犯行月日を認定した。被告人Aは、長期間にわたり劣悪な条件で身柄を拘束され、肉体的精神的に疲労し、今後取調べがいつまで続くか不安定な精神状態で取調官に迎合して供述したから、五八年七月二四日付検察官調書(乙8)は任意性がないのに、原審がこれを採用して事実認定に供したのは訴訟手続の法令違反である。そもそも五七年一二月五日か六日の海上訓練にはUは参加していないし、Uが初めての海上訓練で転履しても、Uに対するi"の指導方法が悪いことを理由に、被告人Aがi"に体罰を加える筈もない、この点に関するi"の証言は信用性が乏しいのに、原判決が原判示の暴行を認定したのは事実誤認である、という。

しかし、原判決の認定は訴因を逸脱したものではないし、被告人Aの右検察官調書の任意性に疑いはなく、i"の本件に関する証言は信用することができ、これらを含む原判決挙示の各証拠によれば、原判示8の①の事実(三五六頁、三五七頁)を認定することができ、8の②の補足説明(三五七頁、三五八頁)も相当として是認することができる。

訴因逸脱認定につき、公訴事実の犯行月日は、五七年「一二月五日ころの午後三時ころ」であり、月日を特定できなかったものであるところ、原判決は、同年「一二月五日か六日の午後」と認定しているのであり、右認定が訴因を逸脱したものではないことは明らかである。

証拠能力につき、被告人Aの右検察官調書は、暴走族事件やU事件等で起訴された後の五八年七月二四日に供述したものであるが、身柄拘束に問題はなく、弁護人との接見も前記申合せに従いなされている上、その供述も本件の具体的な記憶が乏しく、i"がやられているというのならそのとおりと思うという程度のもので、捜査官に迎合して供述した疑いもない。これらによれば、右検察官調書の任意性に疑問はない。

事実認定につき、補足説明に若干付加すると、i"は、六一年一一月二八日の三九回に、戸塚ヨットスクールに入校した以上コーチの言うことに従い要領よく行動し、早く番外生になって卒業したいと考えて行動していた、Uが海上訓練に出た月日に同じヨットに乗って三角ブイを回ってヨットの扱い方などを教え、その後Uが一人でヨットに乗って操縦したが、上手に操縦できなかったため、被告人Aから指導方法が悪いとして和船上でヨットのティラーで尻を殴打されたと証言した。i"は、U事件関係の記憶に乏しい点があるが、本件については自己の体験した事実を証言したものであるから、本件の記憶が判然としている点に疑問はない。早く番外生になるように行動した点は、五七年一〇月一〇日入校した後同年一一月中旬番外生になった経過と整合し、Uにヨット操作を指導した点は、被告人Aの供述と符合している。なお、右月日につき、Uが初めてヨットに乗った日とか、一二月五日又は六日などと証言し、明確ではないが、Uが入校した後も毎日同じような訓練をしているのであるからやむを得ず、この点は証言全体の信用性を損なうものではない。ところで、M1の五八年六月四日付検察官調書(甲411)は、新たに入校した訓練生は午前も午後も海上訓練をしていたというのであり、所論のように新人迎えをした特別合宿生だけが午前午後に海上訓練に出たともいえず、右調書はi"の証言を裏付けている。一方、Uに関するメモ帳(甲706)には右両日の午前に海上訓練に出たと記載され、両日の午後に海上訓練に出たとは記載されていないが、右メモ帳は、Uが死亡した後にQコーチらがUの入校後の出来事を思い起こして記載したものであり、右記載から両日の午後に海上訓練に出なかったとはいえない。また、戸塚ヨットスクール日誌(弁250)にはUの属するB班が五日及び六日の午前に海上訓練をしたと記載されているが、もともと同日誌には基本的なスケジュールを記載していたにすぎないし、コーチ日程表綴り(当審弁61)もコーチの休日予定を記載したものであり、被告人Aが書き入れたとおり休んだともいえないから、いずれもi"の証言に疑問を抱かせるものではない。これらに補足説明指摘の点を併せ考慮すれば、i"の証言は信用することができる。

他方、被告人Aの所論に沿う原審の供述は、被告人Aの右検察官調書とも相違するから、信用できないし、当審における供述も同様である。

四  j"に対する暴行事件(被告人戸塚)七の10

所論は、M1の五八年六月四日付検察官調書(甲411)は、特信情況がない。被告人戸塚は、五七年一二月一二日午前六時過ぎころj"に暴行を加えていないところ、j"は、同月九日の早朝体操で被告人戸塚のUに対する暴行を見て「やめて下さい」と述べて殴打されたと証言し、同月一二日朝に殴打されたとは証言していない、もともと同月八日に入校したj"が同月一二日に至り右のように述べることも考えられないのに、原判決が原判示の事実を認定したのは事実誤認である、という。

しかし、M1の検察官調書は、前記第四の二の1で説示したとおり特信情況が認められ、証拠能力を有するし、j"の証言など原判決挙示の各証拠によれば、原判示七の10の事実(三六一頁、なお、同頁三行目「昭和五八年一二月一二日」は「昭和五七年一二月一二日」の誤記と認める。)を認定することができる。

事実認定につき、j"は、六一年三月五日の二八回にUに対する被告人戸塚の暴行を見て「やめたって下さい」などと言った際、被告人戸塚に原判示のような暴行を受けた、検察官には暴行を受けた月日を含めた記憶どおり供述したから、Uが死亡した当日の朝と供述していればその日に暴行を受けたと証言する。j"は、入校前に覚せい剤取締法違反を犯すなどし、戸塚ヨットスクールで何度も暴行を受けて反感を持っているが、被告人戸塚に暴行をしないように訴えること自体珍しいことであり、被告人戸塚もその月日とその際の対応は異なるが、j"からそのように言われたと認めている(一二四回)し、止めて下さいと言ったj"も殴られていましたとのM1の検察官調書の裏付けもあるから、j"の右証言は十分信用することができる。他方、被告人戸塚の暴行を加えていないとの原審及び当審における供述は、j"の証言、M1の右検察官調書に照らし信用できない。そして、右信用できるj"の証言など原判決挙示の証拠によれば、前記の事実を認定することができる。

五  n"に対する傷害事件(被告人戸塚、同C) 15の②のⅡ

所論は、n"の証言(四三回)は、被告人戸塚らに反感を持って証言し、証言時の体調及び証言時期からして詳細すぎてかえって不自然で、事前に供述調書を閲覧していたことが明らかであり、信用できない、Q"子の証言(四二回)は、具体性がなく、原審の午前の尋問後被告人戸塚から「くそ覚えとれよ」と言われたと虚偽の証言をしているし、強制わいせつ事件ではその証言が信用できないとして被告人Fは無罪となっているから、信用性がない、被告人戸塚は、本件前にn"に骨折を負わせた被告人Cに厳重に注意しているほどであり、n"に暴行を加えたことはないし、被告人戸塚は暴行に関与していないとの被告人Cの原審供述の裏付もあるから、原判示の認定は事実誤認である、という。

しかし、n"、Q"子の各証言は信用することができ、これを含む原判決挙示の証拠によれば、原判示15の②のⅡの事実(三七四、三七五頁)を認定することができ、15の③の補足説明(三七五頁から三八〇頁)も概ね相当として是認することができる。なお、原判決三七八頁三、四行目の「正座させられ、「わざとやったのかと言われ、違いますと言ったあと、顔に二、三回げんこつで殴られ」て鼻血が出たこと」は「正座させられ、「わざとやったのか」と言われ、違いますと言ったあと、顔を二、三回げんこつで殴られて鼻血が出たこと」の誤記と認める。

若干付加すると、n"は、六二年二月二三日の四三回に証言したが、その証言は、具体的詳細であり、不自然な点はなく、殴打されて出血した鼻血の後始末については、質問もされていないから、この点を証言しなくても不自然ではない。暴行を受けた点はQ"子の証言や被告人Cの本件に関する経過の原審の供述(一二二回)と多くの点で符合し、骨折した点は五八年三月九日付診断書(甲78)、健康保険診療録(甲80)と合致しているから、信用することができる。Q"子は、n"がストーブを倒したため、被告人戸塚と被告人Cから体罰を受けたと証言したが、その月日や時間帯、暴行の態様など判然としない点もあるが、n"の右証言を裏付けている。なお、Q"子の証言中、被告人Fの強制わいせつ事件関係部分が信用できなかったとしても、証言すべてが採用できないものではなく、被告人Aの暴行事件(七の13)、被告人Dの傷害事件(七の14)関係の信用性に疑問がないことは明らかであるし、本件は合宿所二階付近で起きた出来事で他の関係者もいるのであるから、本件に関するQ"子の証言に疑問はない。他方、被告人戸塚の原審供述は、n"及びQ"子の各証言と著しく相違し、後日被告人Cのティラーによる殴打がn"の右尺骨骨折の傷害を負わせたと知り、そのことを被告人Cに注意したからといって、本件当夜にn"に原判示の態様の暴行を加えなかったということはできない。これらに補足説明指摘の点を併せ考慮すれば、原判示の認定に誤認はない。

六  r"に対する監禁事件(被告人戸塚、同A、同D) 18の②のⅠ

所論は、r"は、五八年三月ころ被告人Aから格子戸付き押し入れから出たいかと尋ねられたのに、自らの意思で押し入れに残り、同年四月ころ映画「スパルタの海」の撮影にエキストラ出演した際も、見張りもないのに自らの意思で二週間にわたり出演したから、同年二月四日午前八時三〇分ころr"の自宅から連行した後、r"が脱走した同年五月一七日午前八時三〇分ころまで継続して監禁したとはいえない。被告人戸塚は、親権者の委託及び承諾に基づき新人迎えを指示したが、被告人Dらの連行方法も傷害を負わせるようなものではなく、格子戸付き押し入れに収容する期間が長くなったのも右事情によるものであるのに、監禁の共同左犯と認定したのは事実誤認である。被告人らの各行為は、正当行為ないし正当業務行為として違法性が阻却されるのに、違法性を認めたのは法令適用の誤りである、という。

しかし、原判決挙示の証拠によれば、厚判示18の②のⅠの事実(三八五頁から三八七頁)を認定でき、事実誤認や法令適用の誤りがあるとは認められない。

事実誤認のうち、監禁期間の点につき、r"は、宮東合宿所に連行されて約一か月後の五八年三月ころ被告人Aから押し入れを出たいかと尋ねられたが、番外生らと同じ部屋で寝ればいじめられると考え、夜間には引き続き格子戸付き押し入れに入り、同年四月ころから戸塚ヨットスクールを舞台にした映画「スパルタの海」の撮影にエキストラとして出演したなどと証言する(三七回)。ところで、戸塚ヨットスクールでは、特別合宿生の様子から逃走の危険がある程度減少してきた段階で、夜間合宿所の格子戸付き押し入れに入れないで、他の特別合宿生と同じ部屋で就寝させることにしていたが、もとより退校を許す意思はないし、コーチ及び番外生が見張る方法で行動の自由を制限してきた。そうすると、r"は、合宿所に残らざるを得ない以上、三階の男子訓練生の部屋に移って番外生にいじめられるより格子戸付き押し入れに残る方を選択したというにすぎないから、右の点は監禁罪の成否に消長を来すものではない。次に、被告人Aらは、特別合宿生の海上訓練を一時免除してエキストラ出演を許可したものにすぎず、コーチらは撮影現場を見学したり、番外生を介して出演した特別合宿生の行動を把握しており、仮に撮影現場から逃走すれば捕まえて実力で連れ戻すつもりであり、r"も逃走は困難と認識してとどまっていたのであるから、この点も監禁罪の成否に消長を来すものではない。

被告人戸塚の共同正犯の点につき、関係証拠によれば、被告人戸塚は、r"の祖母らの依頼によりr"を入校させることにし、被告人Aに新人迎えを指示し、被告人Dらが原判示の暴行等を加えてr"を連行して宮東合宿所に収容し、r"が逃走するまで同合宿所及びその周辺で合宿訓練をさせたから、逮捕監禁罪の共同正犯が成立する。

違法性の阻却につき、戸塚ヨットスクールにおける前認定の訓練方法は到底許容されるものではないし、r"の意思に反し前認定の訓練を受けさせる必要性及び緊急性は認められない上、被告人Dらは原判示のとおり「警察の者だ」と嘘を言ったり、r"の顔面を殴打し両手首に手錠を掛けるなどして連行し、夜間は合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込め、日中は見張りの下で早朝体操及び海上訓練を強制したから、その違法性は阻却されない。

七  u"に対する監禁致傷事件について(被告人戸塚) 21の②

所論は、u"を父親の依頼により合宿所まで連行した行為は逮捕監禁罪の暴行とはいえないのに、暴行と認めたのは事実誤認である。u"が逃走して民家に逃げ込んだ際に番外生がu"に加えた暴行は、被告人戸塚らの予想を超えた暴行であり、逮捕監禁に伴う暴行ではなく、制裁として加えた暴行に準ずるものであるから、関与していない被告人戸塚には共同正犯の責任はないのに、原判決がその傷害の責任まで認めたのは、事実誤認及び法令適用の誤りである。被告人らの逮捕監禁は、正当行為ないし正当業務行為として違法性が阻却されるのに、違法性を認めたのは法令適用の誤りである、という。

しかし、原判決挙示の証拠によれば、原判示21の②の事実(三九一頁から三九三頁)を認定することができ、21の③の逮捕監禁致傷に関する補足説明(三九三頁から三九五頁)は相当として是認することができる。

事実誤認のうち、連行時の暴行の点につき、I、w"及びx"は、u"を連行するため、Iがu"の顔面を手拳で殴り付け、I、w"、x"がu"の両腕及び背中付近のズボンベルトをつかんで引っ張るなどし、付近に停めていた自動車の後部座席にu"を乗せ、Iがu"の顔面を手拳で殴り付け、その後u"を宮東合宿所に連行したから、右行為は逮捕監禁のための暴行に該当する。

番外生らの加えた暴行と傷害の結果につき、右補足説明に若干付加すると、u"は、宮東合宿所へ連行された翌々日乙山病院で診療を受けて外に出た後逃走したため、同行していた番外生のK"、G'、G2は、直ちにu"を追跡し、u"が逃げ込んだ民家に入り、玄関のげた箱をつかんだりして連れ戻されないようにしているu"を引き出したが、u"がなおも付近に停車していたトラックのパイプをつかんで放そうとしなかったため、K"がu"の身体を引っ張り、G2の付近にあったビニールパイプでu"の背中を殴り付けるなどして、u"を引き離して自動車まで連れ戻したが、その際u"に原判示の傷害を負わせたものである。そして連れ戻した目的は、特別合宿生として合宿訓練を強制するためである。そうすると、G2らは、逃走したu"を連れ戻して監禁状態を維持継続するため、右暴行を加えたことは明らかであり、逮捕監禁のための暴行であり、新人迎えや逃走した訓練生の連れ戻しの際にコーチが加える暴行と比較し、右暴行の程度はやや強いとはいえ、被告人戸塚の予測を超えたものとはいえない。これらに補足説明指摘の点を併せ考慮すれば、被告人戸塚は逮捕監禁致傷罪の共同正犯を免れない。

違法性阻却につき、前記事実関係に照らし、逮捕監禁の違法性が阻却されないことは明らかである。

八  暴走族事件(被告人A、同C、同B、同F、同D) 23の②のⅠないしⅢ

所論は、被告人Dの検察官調書(暴走族事件乙21・乙456、暴走族事件乙22・乙457、暴走族事件乙23・乙458)には特信情況がない、被告人Aの検察官調書(暴走族事件乙2・乙449)は、検察官が最高責任者として責任を取るよう責め立て、事実に反する供述を押し付けたもので任意性がないのに、原審がこれらを採用し事実認定に供したのは訴訟手続の法令違反である。被告人Aは、捕まえた暴走族を警察官に引き渡して事態を収拾しようと考えており、他のコーチと共同して暴行を加える意思もなく、暴走族を合宿所の中に入れるように指示もしていない、共謀共同正犯の法理に関する最高裁判所の判例は変更されるべきであり、仮に右法理を認めるとしても、被告人Aに被告人Cらとの共同正犯の成立を認めたのは事実誤認、法令適用の誤りである、という。

しかし、被告人Dの右検察官調書には特信情況があり、被告人Aの検察官調書の任意性に疑問はなく、これらを含む原判決挙示の各証拠によれば、原判示23の②のⅠないしⅢの各事実(四〇二頁から四〇六頁)を認定することができるし、被告人Aに対し被告人Cらとの共同正犯の成立を認めた点に事実誤認、法令適用の誤りもない。

証拠能力につき、被告人Dの平成二年一月一二日の九七回の供述は、被告人Aらの行動の点などで前記各検察官調書と相違するところ、被告人Dは、本件を連帯して争う被告人Aらの面前では真相を供述しにくい事情がある。被告人Dの右各検察官調書は、D1ら被害を受けた者の各供述調書、被告人A、同C、同B、同Fの本件に関する検察官調書と符合している。なお、被告人Dの五八年五月三一日付検察官調書(暴走族事件乙21・乙456)が、被告人Aの同月三〇日付司法警察員調書(乙259)と類似しているからといって、所論のように被告人Dが検察官の強い示唆に基づいて供述したとはいえない。これらによれば、特信情況が認められる。次に、被告人Aは、暴走族事件で逮捕勾留されたが、その逮捕勾留の過程に問題はないし、勾留中に何回も弁護人の接見を受けていた上、右検察官調書は、被告人Aの指示で誰かがロープで三人を数珠つなぎにしたなどというもので、記憶が判然としない点はその旨供述しており、検察官に供述を押し付けられた疑いもない。これらによれば、被告人Aの検察官調書の任意性に疑問はない。

事実認定につき、前記各証拠を含む関係各証拠によれば、被告人Aは、物音や大声などを聞いて宮東合宿所一階に降りて来て、被告人DやEらが捕まえたD1、E1、F1を中に入れるよう指示したり、被告人Cらに指示してD1ら三名をロープで後ろ手に数珠つなぎに縛り上げ、同合宿所前に正座させたと認定することができ、原判示の認定に事実誤認はない。なお、所論は、被告人Cの五八年六月五日付検察官調書(暴走族事件乙7・乙452)の誰かが外に出して置けと言った旨の供述も信用できないというが、捕まえた者を合宿所の外に出した経緯に照らし、その信用性に疑問はない。

共同正犯の点につき、共謀共同正犯の法理は確立した判例であり、これを変更すべき理由を見いだすことができない。被告人Aは、前記のとおり指示したことが認められるから、原判示の各罪につき共同正犯の責任は免れない。なお、コーチの間で警察に通報しようとの話が出たが、結局警察署に通報しないで原判示の各行為に及んでいるのであるから、右の話が出たことから、被告人Aの共同正犯の成立に支障が生ずるものではない。

以上によれば、弁護人の論旨はいずれも理由がない。

第六当裁判所の裁判

一  原判決の破棄

原判決の被告人戸塚、同A、同C、同B、同FのM事件、被告人戸塚、同A、同C、同B、同DのU事件の事実認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるが、原判決は、被告人戸塚らの各罪は刑法四五条前段の併合罪の関係にあるとして各被告人に一個の刑を科しているから、結局原判決中被告人六名に関する部分(ただし、被告人Fについては有罪部分)は、全部について破棄を免れない。そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人六名に関する部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により更に判決する。

二  当裁判所が新たに認定する事実

1  原判決第一章の三の「Mに対する傷害致死事件(M事件)」に代えて認定する事実

原判決第一章の三の「Mに対する傷害致死事件(M事件)」中の1の(犯行に至る経緯等)、2の(罪となるべき事実)中、原判決八六頁二行目から同頁四行目までを次のとおり改めるほか、原判決と同一であるから、ここに引用する。

「被告人戸塚、同A、同C、同B、同F及び原審相被告人Gは、前記一連の暴行により、Mの顔面、背部、腰部、上下肢等に多数の皮下出血、表皮剥離、肺に出血と浮腫、心臓、腎臓にうっ血等の損傷を負わせ、これらによる外傷性ショックによりMを死亡させたものである。」

2  原判決第一章の五の「Uに対する傷害致死事件(U事件)」に代えて認定する事実

原判決第一章の五の「Uに対する傷害致死事件(U事件)」中の1の(犯行に至る経緯等)、2の(罪となるべき事実)」中、原判決二四五頁八行目から同頁一〇行目までを次のとおり改めるほか、原判決と同一であるから、ここに引用する。

「被告人戸塚、同A、同C、同B、同D及び原審相被告人Eは、前記一連の暴行により、Uの顔面、胸腹部、腰背部、上下肢等に多数の皮下出血、表皮剥離、筋肉内出血、大脳、脳幹、小脳に水腫、うっ血を、肺に水腫等の損傷を負わせ、これらによる外傷性ショックによりUを死亡させたものである。」

3  なお、原判決の認定のうち、判決に影響を及ぼすことのない事実誤認、明白の誤記と認めた点は次のとおりである。

原判決第一章の七の1の「V"子に対する傷害(被告人戸塚、同F、同C)、W"子に対する暴行(被告人戸塚、同C)事件」の①の(犯行に至る経緯等)中の原判決三二四頁八行目「昭和五七年五月一五日ころ」を「昭和五七年五月一三日ころ」に、同頁一〇、一一行目「昭和五七年五月一七日ころ」を「昭和五七年五月一五日ころ」に、②の(罪となるべき事実)の三二五頁七、八行目「昭和五七年五月一七日ころ」を「昭和五七年五月一五日ころ」に改める。

原判決第一章の七の10の「j"に対する暴行事件(被告人戸塚)」の(罪となるべき事実)の原判決三六一頁三行目の「昭和五八年一二月一二日」を「昭和五七年一二月一二日」に改める。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

M事件及びU事件を除き、その余の原判決が認定した各事実、すなわち、第一章の四のあかつき号事件(T、Sに対する監禁致死事件、被告人戸塚、同A、同C、同B、同F)、第一章の七の1の②ⅠのV"子に対する傷害事件(被告人戸塚、同C、同F)、七の1の②ⅡのW"子に対する暴行事件(被告人戸塚、同C)、七の2のX"に対する傷害事件(被告人C)、七の4の②Ⅰのb"に対する傷害事件、七の4の②Ⅱ、Ⅲのa"、c"に対する各共同暴行事件(被告人B、同D)、七の5のb"、a"、c"に対する各暴行事件(被告人戸塚)、七の6の②のc"に対する強要事件(被告人C、同F)、七の7の②Ⅰのf"に対する監禁事件(被告人戸塚)、七の7の②Ⅱ、Ⅲのf"に対する各暴行事件(被告人A、同戸塚)、七の8のi"に対する暴行事件(被告人A)、七の9の②のj"に対する共同暴行(被告人D)、七の10のj"に対する暴行事件(被告人戸塚)、七の11の②Ⅰのl"に対する暴行事件(被告人C)、七の11の②Ⅱのl"に対する傷害事件(被告人戸塚)、七の12の②Ⅰのm"に対する暴行事件(被告人B)、七の12の②Ⅱア、イのl"、m"に対する各傷害事件(被告人A、同B、同F)、七の13のQ"子に対する暴行事件(被告人A)、七の14のQ"子に対する傷害事件(被告人D)、七の15の②Ⅰのn"に対する監禁事件(被告人戸塚、同A、同C、同D)、七の15の②Ⅱのn"に対する傷害事件(被告人戸塚、同C)、七の16のR"に対する共同暴行事件(被告人A、同B)、七の17q"子に対する暴行事件(被告人F)、七の18の②Ⅰのr"に対する監禁事件(被告人戸塚、同A、同D)、七の18の②Ⅱのr"に対する傷害事件(被告人A、同C)、七の19のs"に対する傷害事件(被告人D)、七の20のt"に対する暴行事件(被告人C)、七の21の②のu"に対する監禁致傷事件(被告人戸塚)、七の23の②Ⅰ、ⅡのD1、E1、F1、G1に対する各監禁致傷事件、七の23の②ⅢのH1に対する傷害、監禁事件(被告人A、同C、同B、同F、同D)の各事実並びに当審が原判決に代えて認定したM事件(Mに対する傷害致死事件、被告人戸塚、同A、同C、同B、同F)、U事件(Uに対する傷害致死事件、被告人戸塚、同A、同C、同B、同D)の各事実について、関係被告人毎に原判決第三章の「法令の適用」欄と同様な法条を適用(ただし、単に「刑法」とある分は平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法と改める。科刑上の一罪、刑種の選択、併合罪加重の処理を含む。)し、各処断刑期の範囲内で、被告人戸塚を懲役六年に、被告人Aを懲役三年六月に、被告人Cを懲役三年に、被告人B及び被告人Fを懲役二年六月に、被告人Dを懲役二年にそれぞれ処し、改正前の刑法二一条を各適用して、原審における未決勾留日数中、被告人戸塚、被告人A、被告人B及び被告人Fに対し七〇〇日を、被告人Cに対し六〇〇日を、被告人Dに対し五〇〇日をそれぞれその刑に算入し、改正前の刑法二五条一項を各適用し、この裁判の確定の日から被告人Fに対し四年間、被告人Dに対し三年間それぞれその刑の執行を猶予し、原審及び当審における別紙目録記載の訴訟費用について、刑訴法一八一条一項本文、連帯負担分については更に同法一八二条を適用し、別紙目録記載のとおり被告人らに負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、戸塚ヨットスクールの校長及びコーチらが、厳しいヨット訓練を通して体力と精神力を強化すれば情緒障害等を改善克服できるとの独自の信念に基づき、特別合宿生をその意思に反して合宿所に収容し、常態的に暴行を加えて海上訓練等を強制する過程で犯した多数の暴力事犯と、戸塚ヨットスクール付近を疾走する暴走族らにコーチが暴行を加えて監禁するなどした暴力事犯である。

被告人戸塚らは、戸塚ヨットスクールにおけるヨット訓練によって短期間で情緒障害等が改善克服できる旨標ぼうし、特別合宿生に強度の暴行を加えながら早朝体操及び海上訓練を強制し、また、その訓練のため特別合宿生に暴行を加えて自宅から連行し、合宿所に収容して行動の自由を制限し、逃走すれば実力で連れ戻して制裁を加えるなどし、本件各犯行に及んだものである。訓練の実態は、まず、新人迎えと称して特別合宿生に暴行を加えその意思に反して合宿所に連行し、夜間合宿所の格子戸付き押し入れに閉じ込め、コーチ及び番外生らが見張ってその行動の自由を制限した上、訓練に際しては特別合宿生らの体力、運動能力や体調などに配慮せず、一方的に各種の訓練を強制し、それができないときに強度な暴行を加えるものであり、特別合宿生の人権を無視する程度が甚だしく、特別合宿生の生命身体に危害を及ぼす程度も著しいものであって、社会通念に照らして到底許容される訓練方法ではない。そして、訓練過程での暴行傷害、訓練をするための逮捕監禁は、独自の信念に貫かれた校長及びコーチらによる組織的集団的な犯行であり、無抵抗の特別合宿生に対し情容赦なく、個性を無視して一方的に加えられる悪質かつ残忍な犯行である。また、訓練や懲戒を口実に、実際はそれとは全く無関係な私的感情に駆られて犯した犯罪も多い。

全体を考察するに、被告人戸塚らは、訓練生らが情緒障害に陥った原因を個別かつ科学的に究明し、情緒障害の原因・程度に応じて特別合宿生の人権を尊重しながら訓練を施す考えはなく、過酷な暴行を加えて訓練を続け、特別合宿生が健康を損ねてもなお同様な方法で暴行を加えて訓練を続けさせたものであり、治療矯正を意図したとしてもこのような方法による訓練をする目的に正当性は認められない。被告人戸塚らは、情緒障害に陥った原因を個々の資質、能力、性向、病状に即して科学的に究明し、その人権を尊重しつつ家族の協力も得ながら治療に当たる方法を、時間ばかり掛かり治療効果も乏しいかのように非難し、独自の方法で訓練を続け、相当数の悲惨な事態を目の当たりにしているのに、医療面で協力者を得るなど若干の改善はしたものの、根本的な訓練方法を改めようとはせず、安全対策も不十分なまま次々と多数の特別合宿生を受け入れ、同様な方法で訓練を続けてきた。親から委託された特別合宿生に情緒障害があるといっても、専門家の診断により専門施設での収容教育や治療が必要であるとされるほどその程度が進んでいた者ばかりともいえないし、委託した親らも、戸塚ヨットスクールにおけるこれほど過酷な暴行の実態を知った上で委託したとも認められない。そのような訓練の結果合計四名の若者を死亡させ、多数の者に軽視できない傷害を負わせ、多数の者に肉体的精神的に多大な苦痛を負わせた。被害者ら、特に死亡した特別合宿生の無念さやその遺族の深い悲しみを思うと、遺族が被告人戸塚らに対し厳罰を求める気持ちは十分に理解することができる。いわれなく逮捕監禁され、暴行傷害を受けた者の被害感情にも厳しいものがある。

しかるに、被告人戸塚らは、このような悲惨な結果をもたらした事態を直視して謙虚に自省しようともせず、警察官及び検察官が重大な結果を生じさせた事件の強制捜査をして一連の事件を起訴したのに反発し、警察官の捜査及び検察官の起訴は戸塚ヨットスクール潰しを図る不当なものであるなどと非難し、今なお戸塚ヨットスクールの訓練方法は正当であり、死亡した四名の心身には問題があるとか、うち一名については搬送した病院の治療に過誤があるなどと主張し、改悛の態度は認められない。公訴事実中には当初から事実を争わないものもあるが、それらについても一部行き過ぎがあると認めたものにすぎず、戸塚ヨットスクールの根本的な訓練方法自体について非を認めて反省しているとはいえない。人権を無視した暴力的方法に教育も治療も矯正もない、という自覚によるものではない。当審においても被告人らに供述の機会を与えたが、ついに誰からも心から反省悔悟する言葉を聞くことはなかった。

事件を個別にみる。M事件は、成人のMに暴行を加えて自宅から連れ出した上、多数回にわたり殴打足蹴りなどの激しい暴行を加えて早朝体操及び海上訓練を強制し、多数の損傷を負わせて外傷性ショックにより死亡させた悪質重大な事件である。あかつき号事件は、一五歳のT及びSに対し、暴行を加えて合宿所へ連行し、合宿所の格子戸付き押し入れに収容したり、奄美大島の夏期合宿施設へ連行し、現金を持たせず、手紙の発信や電話通信も一切禁止し長期にわたり見張って行動の自由を制限し、ついに奄美大島からの帰途フェリーから海に飛び込んだ二人を死亡させた悪質重大な事件であり、若年の二人が広い海に飛び込んででも逃走しようとまで思い詰めた胸中は察するに余りある。U事件は、体力が劣っているため心身の鍛練を目的として入校した一三歳のUに初日から激しい暴行を繰り返し、次第に体力が衰え健康を損ねているのに、なおも過酷な海上訓練を強制し、激しい暴行を加えて外傷性ショックにより死亡させたという、戸塚ヨットスクールの非人道的訓練方法を如実に示す極めて悪質重大な事件である。命を失った四名の者の無念の思いは、これを量刑に反映させないわけにはいかない。

原判決第一章の七のその余の事件も、すべて悪質な暴力事件で件数も多く、いずれについてもその犯行動機に酌むべき点はない。そのうち、1の被告人戸塚、同C、同FのV"子に対する傷害、被告人戸塚、同CのW"子に対する暴行は、V"子及びW"子が逃走した制裁として加えたもので、その暴行態様が激しく、V"子の受けた傷害の結果も軽視できない。2の被告人CのX"に対する傷害は、夏期合宿施設に向かうあかつき船内でスクワット運動を真面目にしていないとして腹を立て、X"の上腕部に自己の体重を掛けるようにしてのしかかり、左上膊骨を骨折させた乱暴な事件である。4の被告人B、同Dのb"に対する傷害、a"及びc"に対する共同暴行、5の被告人戸塚のb"、a"、c"に対する暴行は、b"らが特別合宿生のd"の殺害を企てた詳細を明らかにするとともに、加担者に制裁を加えるため犯したものであるが、日常的に激しい暴行を加えられたb"らが殺人事件を犯してでも退校しようとしたものであり、被告人戸塚らの人権を無視した過酷な訓練方法が原因にあり、各暴行の程度も厳しいものである。

6の被告人C、同Fのc"に対する強要は、格子戸付き押し入れに監禁されて尿を漏らしたc"に男子用便器内に約一時間にわたり頭部を入れさせ、その間被告人Cらにおいて頭上から放尿したりしたもので、一五歳のc"の人格を無視し、屈辱感を与えた軽視できない事件である。7の被告人戸塚のf"に対する監禁は、f"に暴行を加えて宮東合宿所へ連行し、その後逃走するまで約一か月半にも及ぶ期間監禁したもの、7の被告人Aのf"に対する暴行は、戸塚ヨットスクールが従前生活してきた所と違うことを知らしめるためうつ伏せにさせたf"の臀部等を木製の棒で殴打したもの、7の被告人戸塚のf"に対する暴行は、f"が額の端を剃り込んでいることを理由にうつ伏せにさせたf"の臀部付近を木製の棒で多数回殴打したものである。8の被告人AのI"に対する暴行は、Uに対するヨット操縦の教え方が悪いとティラーでi"の臀部を殴打したもので、ようやくヨットの操縦ができるようになった程度の技能しかないi"に落ち度はない。9の被告人Dのj"に対する共同暴行は、j"のこれまでの生活振りなどに不快感を抱いて顔面身体各部を一方的に殴打足蹴りしたもの、10の被告人戸塚のj"に対する暴行は、Uに対する暴行を制止するように求めたj"に足蹴りなどの暴行を加えた犯行である。

11の被告人Cのl"に対する暴行は、入校時に持ち込んだ物品を取り上げた際のl"の態度に立腹し、戸塚ヨットスクールが従前生活してきた所とは違うことを知らしめるためうつ伏せにさせたl"の臀部付近をティラーで殴打したもの、11の被告人戸塚のl"に対する傷害は、入校したばかりのl"に早朝体操を強制し、それがこなせない制裁として暴行を加え、鼻骨骨折の傷害を負わせたものである。12の被告人Bのm"に対する暴行は、逃走したm"に制裁として臀部等をボートフックで殴打したもの、12の被告人A、同B、同Fのl"及びm"に対する傷害も、l"及びm"が逃走したことに対する制裁として両名の臀部に灸を据えたり、l"の頭頂部に煙草の火を押し付けて火傷を負わせたもので、後者は特に残酷な犯行である。13の被告人AのQ"子に対する暴行は、戸塚ヨットスクールが従前生活してきた所とは違うことを知らしめるため臀部をティラーで数回殴打したもの、14の被告人DのQ"子に対する傷害は、早朝体操で腕立て伏せの姿勢中のQ"子の後頭部を上から強く踏み付け、顔面をアスファルトにぶつけて前歯折損の傷害を負わせたものである。このQ"子に対する各犯行をはじめ、他の女子訓練生らに対する暴力事犯によって、性別、能力を問わず画一的に、容赦なく過酷な暴行を加える戸塚ヨットスクールの悪質な犯行態様を看取できる。15の被告人戸塚、同A、同C、同Dのn"に対する監禁は、n"が興味をひきそうな嘘を言って誘い出し、途中戸塚ヨットスクールへ行く旨聞かされて逃走しようとするや暴行を加えて連行し、相当期間拘束したもの、15の被告人戸塚、同Cのn"に対する傷害は、n"が早朝体操で暴行された腹いせに石油ストーブを押し倒したことに対する制裁として、被告人戸塚がn"の顔面を殴打し、被告人Cがn"の臀部をティラーで数回殴打したものであり、後者につき、n"の落ち度も被告人戸塚らの刑事責任を大きく軽減するものではない。

16の被告人A、同Bのp"子に対する共同暴行は、戸塚ヨットスクールが従前生活してきた所とは違うことを知らしめるため入校したばかりのp"子をうつ伏せにさせ、被告人Bがp"子の両肩を押さえ付け、被告人Aが木製の棒のようなものでp"子の臀部を殴打した犯行である。17の被告人Fのq"子に対する暴行は、q"子に作らせた夜食の材料をめぐるq"子の応答態度に立腹し、臀部、背部等を角材で殴打した犯行である。18の被告人戸塚、同A、同Dのr"に対する監禁は、警察の者だと嘘を言ってr"を連れ出し、抵抗したr"の顔面を手拳で殴打したり、両手首に手錠を掛けるなどして連行したもので、監禁期間も約三か月余りと相当長期にわたり、18の被告人A、同Cのr"に対する傷害は、r"が隠れて喫煙した制裁としてその腰背部に灸を据え、被告人Aが腰部に煙草の火を押し付け、加療約一か月間も要する熱傷による皮膚潰瘍の傷害を負わせた重大なものである。19の被告人Dのs"に対する暴行は、海上訓練中ヨットから和船に速やかに乗り移れなかったs"の顔面額付近をボートフックで殴打し、前額部七針縫合等の重傷を負わせた犯行である。20の被告人Cのt"に対する暴行は、早朝体操中にt"の下腿部を木製の棒で殴り付け、転倒したt"の頭部付近を自分の膝で地面に押し付けた犯行である。

21の被告人戸塚のu"に対する監禁致傷は、I、w"らがu"の顔面を手拳で殴打するなどして逮捕監禁し、u"が逃走した際に番外生が背中をビニールパイプで殴打するなどして連れ戻して約一〇日間にわたり逮捕監禁し、右一連の暴行により全治約一週間を要する傷害を負わせたものであり、監禁期間や傷害の部位、程度に徴し軽視できない犯行である。23の被告人A、同C、同B、同F、同Dの犯した一連の暴走族事件は、自動二輪車で走行していたD1らを一方的に襲撃し、木の棒等で多数回殴打してそれぞれ傷害を負わせたり、ロープで後ろ手に縛り上げたりして身体の自由を拘束するなどしたものであり、戸塚ヨットスクールのコーチらの暴力的体質を顕著に示す犯行である。もとより警察官らにおいてその当時暴走族が宮東合宿所付近を暴走するのを放任していたとは認められない。

そうすると、被告人戸塚らは、情緒障害児や非行少年らを改善更生させようとの動機から前記方法で訓練をしようとしたこと、死亡させた被害者らの遺族との間では、原審においてMの遺族と示談を成立させ、当審において新たにT及びSの遺族、Uの遺族の母親と和解を成立させたこと、被告人らには前科がないか、特に量刑に当たって不利に考慮すべき前科はないことなど被告人らのために個別に斟酌すべき各情状を考慮しても、被告人らの刑事責任はいずれも重いというべきである。

被告人毎にその刑事責任をみて量刑すると、被告人戸塚は、戸塚ヨットスクールの校長としてコーチらとの関係では絶対的な指揮命令の権限を有し、同人の決定した基本方針の下で、同スクールの訓練及びそれに関連して本件犯行がなされたもので、関与した事件も多く、その刑事責任は重大であるから、懲役六年に処する。被告人Aは、副校長格として合宿訓練生活を総括管理し、自らも多くの事件に関与しており、被告人戸塚に次いでその刑事責任は重いから、懲役三年六月に処する。被告人Cは、コーチの中で最も激しい暴行を加え、死亡した四名の事件を含め多数の事件に関与し、M事件やあかつき号事件では各被害者に多くの暴行を加えており、一般コーチの中でも最も重い責任があるから、懲役三年に処する。被告人Bは、コーチとしての経歴も長く、死亡した四名の事件に関与し、他にも相当数の事件に関与しているから、懲役二年六月に処する。被告人Fは、死亡事件ではM事件、あかつき号事件に関与し、他にも相当数の事件に関与しているが、その地位役割なども考慮し、懲役二年六月に処し、四年間その刑の執行を猶予する。被告人Dは、死亡事件ではU事件に関与し、非情な暴行や人格蔑視の発言もあるが、その他の死亡事件には関与していないことなどを特に考慮し、懲役二年に処し、三年間その刑の執行を猶予する。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 柴田秀樹 裁判官 河村潤治)

〈以下省略〉

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